誘い 2
『一応聞くけどさ……アンタ、騙されてないよね?』
人生で初めて女の子と遊びに行く息子へかける言葉としてこれほど酷いものが他にあるだろうか。
……あるかもな。
『マジで酷い!姉貴は本当に人の心がない!素直に応援できないの!?』
叔父であるいっくんはいつもの如く、彼の姉であるボクの母に噛みついた。
『うるせぇ!心配して何が悪い!』
当然のように母は噛みつき返し、いつも通り喧嘩していた。どうせ半日もしないうちにお互い忘れてなかったことのように振る舞うくせに元気なもんだ。
ボクは約束した場所へ自転車を漕ぎながら今朝の騒動を思い出していた。
……騙されてないよね?とか無駄に不安にさせやがって。
約束の時間の30分前、我ながら気合入りすぎていて恥ずかしい時間に到着した。
土曜日ということもあり、駅前にはたくさん……とも言いにくいが、それなりに人が行き来している。
「どうやって時間を潰そうか……」
なんて悩んでいると、見知った顔を見かけた。
クラス委員の草鹿さんだ。
通称《委員長》。真面目、勤勉、実直……堅物。
彼女を表すのはそんな言葉だろう。
地味で目立たないボクですら何度か注意をされたことがある、品川さんの天敵。
「……なにしてるんだろう?」
休日の草鹿さんが駅前にいるなんてボクのイメージする彼女と少しだけ違い、興味が湧いてきた。
休みの日でも制服で図書館とかに通っていそうなのに。
……まだ時間はある。
尾行してみ……たらヤバいな。
――完全に変態だ。
「……危ねぇ……気づいて良かった」
犯罪行為の手前で止まれた自分を褒めてほしい。
「何が危なかったの?」
「ぶっ?!……初音さんっ?!と、品川さんも?!」
「アキでいいって、てかアキって呼べよ。名字で呼ばれんの嫌いって言ったろ?」
なぜこんなに早く二人が?!品川さんとか数時間単位で遅刻しそうなのに!
――あと女子を下の名前を呼び捨てで呼ぶなんて難易度高すぎるから無理っ!!
「……あれ?もしかして草鹿さん?」
「え?マジじゃん。……つけてみる?」
ボクの視線に気づいた二人は早々に草鹿さんを発見し、品川さんはイタズラっぽく笑った。
「えー、よくないよ。放っておこう?」
「アイツには日頃からぐちぐち言われててムカついてたんだ。弱み握るチャンスってことで、これを逃すわけにはいかんのだ!」
品川さんは初音さんの抑止など無視してそそくさと走り出す。
「……仕方ない、私たちも行こうか?」
クラスメイトの私服姿にドギマギするような青春っぽい展開をする間もなくボクらの尾行が始まった。……高校生の休日の過ごし方としてコレはいかがなものか?流石のボクでも分かる。コレは間違っている!!
「は?マジ?」
「ここって、……楽器屋さん?」
草鹿さんは普段の言動と同じく、真っ直ぐと迷いのない足取りで駅ビル内にある楽器屋へと入っていった。
物陰からその姿を見送り、ボクらは顔を突き合わせて驚く。
「……バイオリンとかやるのかな?彼女、お嬢様だから」
と初音さんは呟き、ボクも同様の考えに至っていたので頷くが、どうやら違うらしい。
「……あれさ、ベース見てるよな」
「確かに……むっちゃ見てますね」
「ベースってなに?ギターと違うの?」
初歩的すぎる質問をする初音さんには後日説明するとして……、模範的優等生の草鹿さんがベースに興味がある。……テンプレすぎる。とボクは心の中で思った。
「マジ?優等生の草鹿がベースとかテンプレすぎじゃねぇか?」
品川さんもボクと同じ感想を抱いたらしい。
草鹿さんは辺りを見渡すように首を振っているが、ボクらに気付く感じではなさそうだ。
「あれきっと店員探してんべ!よし、一番バレなそうなトラジ、アンタが近寄って会話聞いてこい!」
マジか品川さん!?
初音さんに目線で助けを求めるが、ダメ。初音さんも少し楽しそうにしていやがるっ!
四面楚歌、援軍は期待できないので抵抗を諦め、ボクは中腰になり、隠れるようにして近寄る。
「わざわざ隠れなくても見えないだろ。ユイじゃねぇんだから」
……うるさい。きこえてるわ。
『あの、試してみてもいいですか?』
……草鹿さんが店員に声をかけた。
『…………またアナタですか?……はぁ、こんなこと言いたくないんですけど、本当に買う気あります?』
……ボクも何度かお世話になったことのある、とても丁寧で優しい店員さんが苦しそうな表情でそう言った。
「……気まずいやつかも」
というか『かも』じゃない。死ぬほど気まずい。
『何年も毎週のように来ては試奏だけ……、好きなのはわかるんでこんなこと言いたくないですけど流石にちょっとは……ね?』
『……すみません。ご迷惑おかけしました』
『バイトとかして、予定が出来たらぜひお越しください。予算が分かれば相談も乗りますから』
『はい……。その際はぜひお願いします。では……失礼しました』
ヤバい!
会話の内容もだが、問題は違う!
ボクの真横を――通った草鹿さんはボクに、ボクなんかに気付かず小走りで走り去っていった。
その姿を見届けた後、初音さん達が気まずそうな表情を浮かべながら近づいて来た。
「なんだぁアイツ、普段廊下で走んなとかうるせぇ癖に……」
「アキちゃん、……見た?」
「うん。まぁ見たよ。意外だよなぁ」
二人も見たらしい。
……つまり、確定だ。
――彼女は去り際。
「泣いてたよね?」「泣いていました……」「シド・ヴィシャスの南京錠つけてたべ?」
…………?
「え?マジ?泣いてた?」
「……南京錠?」「シド?ってだれ?」
……カルト的人気を誇るベーシスト、シド・ヴィシャスの南京錠を着けて、ベースを見ていたというのなら、彼女は……ベーシスト?草鹿さんが?
「ピストルズの話?僕も好きだなぁ。もはや王道だよね」
楽器屋の入り口で固まるボクらに、店員さんが話しかけてくる。
ボクは頭を下げて挨拶すると、店員さんは『えっと、』と思い出すように自分の頭を叩いた。
「えー……あれ?もしかしてイチローさんのところの、甥っ子くん?」
「あ、はい、お久しぶりです。お世話になってます」
「おおっ、って……んん?そっちは品川さんの娘さん?え?二人って知り合いなの?!」
「そーなんスよ。クラスメイトっス!」
品川さんは元気よく答え、店員さんは驚いた表情を浮かべる。……どうやら品川さんもここの店員さんと交流があるらしい。まぁこの辺りで楽器屋って言ったらここくらいしか選択肢がないもんな。
「え?……もしかして君たちでバンド組んでるとか?!」
「いやぁ、まだっスね!ベースがまだ見つかってないのと、……ボーカルの決心がつかないって感じっス」
品川さんは首を傾けて横にいる初音さんを覗き込む。
初音さんは苦笑いを浮かべて誤魔化す。
そのやり取りで店員さんは事情を察したらしく、『ははぁん』だなんて笑った。
「青春だねぇ」
顎髭を触りながら無責任に呟く店員さんは、羨ましいと言いたげだった。
世間的に見るとボクらは今、青春のど真ん中にいるらしい。漫画だってアニメだっていつだって高校生ってやつが青春の象徴として描かれているから分かってる。
そんなことは、分かってるんだ。
――でも、大人たちは重苦しいほどの青さの裏側にある重圧や不安を忘れているからそうやって羨望するのだろう。
ボクたちはみんな、なにかを抱えて苦しみ、逃げているのに。
――それはきっと、草鹿さんも。
「んじゃ、申し訳ないんスけど、あーしらはカラオケ行く予定なんで。また来るっすわ!」
「あ、そうなんだ。うん。またね!次はきっとバンドとして……ね?」
「ははっ、どうっスかね」
品川さんが店員さんに別れを告げ、ボクたちは足取り重くカラオケへと向かった――。
――草鹿さんを追わなければ、こんな重たくならなかったのに。と少しだけの後悔を抱えて……。