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沈む橙と私たちの青さと


『嘘をついた』

 と、田中くんは、確かにそう言った。

 

 彼の演奏に合わせて歌うことで感情が昂り、不意に溢れた涙を拭う私に、彼がなぜそんなことを言ったのかはわからない。

 

 でも、きっと彼なりに選んだ言葉なんだろうな、とは思う。

 だって彼が、いつも人を斜めから見るようにしていた彼がこうして真っ直ぐに私を見ているのだから。

 

「……ごめんなさい。ボクは……、ボクは『この曲』を弾けませんでした!」


 ベンチにギターを置き、深々と頭を下げる田中くんに私は困惑する。

「え?……ごめん、なんのこと?嘘って何?だって今、弾けてたじゃん?……どういうこと?」


 録音でも流していたってこと?

 スピーカーでも隠してあるの?

 ……少なくとも私にはそんな風に見えなかった。


「実は……昨日、初音さんと話したあの時……ボク、この曲を弾けなかったんです」

「……んん??」

 涙を流したことなど忘れてしまうほどに、彼の言葉は難解だ。


「な、何を言ってるのか全然分からないんだけど……。もしかして、慰めてくれてるの?」

 だとしたら、彼はどれだけ不器用なのだろう。

 本当にそうなら……失礼だけど、少し……笑ってしまいそうだ。


「……昨日、家に帰ってから練習しましたっ!」

「……昨日、練習??」

「はい!幸い、弾き語り系なのでコード進行自体はかなりシンプルなものだし、繰り返しが多くて難易度がかなり低めだったので」

「昨日、一日で覚えてきたって……こと?」

「……厳密に言うと今日の授業中や休み時間にもノートに書き出したコード表見て覚えて、って感じなんで一晩でってわけじゃないんですけど……」


 ……それは、凄いなぁ。

 だけどなぜその話を……今?


「今この話をしたのは、自慢したいとかではないんです。……ただボクが『どうでもいい見栄』を張って、初音さんとの……交流を途絶えさせたくなかった。そう思っていたことを、知って欲しくて――」


 ブレザーの袖をギュッと握りながら、苦しそうな顔で話す田中くん。

 彼がこんな風に、必死になる姿を見たことあるのはウチの学校では私だけなんじゃないだろうか。


 それくらい、珍しい姿だ。


「――それは、どうして?」

 私はベンチに座り、隣に立ち尽くす田中くんに向けて訊ねる。


「……ボクが、……寂しかったからです」


 ……恥ずかしい。

 あまりにも田中くんが緊張したような雰囲気だから、もしかしたら『告白』されるかもなんて、考える自分がいた。

 ……普通に考えたら、昨日の今日でそんなことある訳ないのに。


「えーと……、寂しい、か。……わかるよ」


 と、深く考えずに答えてしまい、私は少しだけ後悔した。私の感じている『寂しい』と彼の感じているものは果たして同じなのだろうか。


 田中くんは何も言わず、視線を少し落とした。


 彼がこれだけ自身の『弱さ』を見せてくれたのだ……。……今度は私が見せるべきだろう。


「私も……昨日の放課後、すぐ家に帰るのが嫌でさ、学校の中をプラプラしていて。ほら、本当なら部活に行ってる時間に帰ると……ね?」


 まだ、バスケ部を辞めたという話は親にしていない。田中くんにも話していないが、こうして昨日、今日と一緒にいるのでなんとなくバレているだろう。


「行く当てなんてなくて、私は……軽音部の部室の扉を叩いたんだもん」


 


「え?……いや、叩いてはいないですよ?」

「……そうだね。叩かないで開けたね」


「「ぷっ……」」

 

 二人して吹き出す。

「あはっ!ははっ!あははっ!」

 私はお腹を抱えて『ガサツ』と友人に言われたこともある笑い方。

 対して田中くんはテレビの芸人さんのように、口を腕に当てて笑う。


 たぶんお互いに、この不必要なほど緊迫した空気に耐えられなかったんだと思う。


 遠くで散歩中のワンちゃんが私たちの過剰な笑い声に反応して吠える。

 それを見て私は、また笑い出す。


 長いような、短いような時間をそうして過ごし、お互いに腹筋が痛くなって落ち着いた。


「……はぁはぁ、久しぶりにめっちゃ笑っちゃった!……あー、お腹痛い」

「ふぅ……。ボクもこんなに笑ったの……久しぶりです」

 お互いベンチで隣り合わせに座り、肩で呼吸をする。

 今思うと、そんなに面白いことが起きた訳じゃないんだけど、なぜこんなに笑えたのだろう。


「……ありがとね。なんか元気出たよっ!」

 心からの感謝を田中くんに告げる。

 きっと彼の描いた形ではないだろうけど、元気をもらえたのは事実だ。


 彼は視線を地面から上げると、私の方を真っ直ぐに見た。


 ……まだ少し口角が上がったままの私と対照的に、田中くんは真剣な表情になってる。さっきまでのオドオドした感じは、もうどこにも見えない。


「ボクは……初音さんに何があったかは知らないし、……聞きません。でももし、貴女にとって音楽が『逃げ道』になるなら、……ボクとバンドを組んでみませんか?」


 バンド……?

 予想の範疇にない言葉に驚き、私は言葉が出ない。


「ごめんなさい、……急に逃げ道なんて言っても、伝わらないですよね」 

「……どういう……こと?」


 きっと、普通に『バンドを組もう』って言われたら、私は断っていたかもしれない。

 音楽を聞くのは好きだが、バンドを組んでまでやろうっていう覚悟はないからだ。

 

 ――でも、彼はそう言わなかった。

 だから、……私は彼の話の続きが気になってしまう。


「ボクにとっての音楽は……一種の『逃げ道』なんです。あっ、いやっ、でもこれは別にネガティブな意味じゃなくて!……なんだろう、……『逃げ道も道の1つ』。みたいな意味で……」


 田中くんが必死に言葉を探しているのが伝わる。

 私は変に相槌を打つと邪魔をしそうな気がして、じっと待つ。


「……上手く学校に、周りの人たちに馴染めないボクが逃げた先、そこにいつも居てくれるのが音楽でありギターで……」


 抱きしめるようにギターを握る田中くんの姿は、普段より……小さく見えてしまう。


「……でもボクはそれが、……逃げることが悪いこととは思えなくて。……大事なのは『逃げた先で何をするか』だと思うんですよ」


 怯えたような、不安そうな雰囲気からは想像できなかった、力強い言葉。

 それは彼が自身に言い聞かせるようなものでなく……。


 ――今、確信した。田中くんはきっと、……私が『バスケ部から逃げた』ということに気づいている。

 いつ気づいたかは知らないが、たぶんきっと……もう確信しているんだ。

 ……だから今、この話をしているのだろう。


「もし、初音さんが何かから逃げて……何かで苦しんでいるのなら、ボクと音楽をやりませんか?……ボクらなら、きっと――」


 ……きっと。と言ったきり、田中くんの声は聞こえなくなる。

「……あ……」

 何かに気づき、困惑した顔をしている田中くん。

 その視線の先が気になり振り向こうとした時、


「なんだ、やっぱりユイじゃん!なにしてんのー?」

 


 振り返るとそこには……アキちゃんがいた。

 

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