第5話
カランカラン
その時だった。扉が開くのに合わせて涼やかな鈴の音がし、1人の男性が店内に入ってきた。
店内をきょろきょろ見渡しながら、「こんなところに店なんてあったんだ」とつぶやきながら入ってくるその様子を見る限り、一見さんだろう。
「いらっしゃいませ。ようこそ、喫茶Si vous vouleへ」
奈緒子に告げたのと同じように、マスターは男性に店名を告げる。
「あ、ども……。夜にやってる喫茶店なんですね」
そう言いながら店内に歩みを進めた男性は、顔が少し赤い。おそらくどこかで飲んできた帰りなのであろう。
「ええ、夜だけなんです。昼は別の仕事がありまして」
そう答えるマスターに、「え、そうだったんだ!」と思わず奈緒子が反応する。その様子に、
「あなたもこちらのお店は初めてですか?」
とニコニコしながら聞いてくる男性に、「あ、そうなんです…」ともごもご答える。奈緒子は、自分のこういったときのコミュニケーションスキルの無さが憎い、と思いながら、なんとか答える。
「よければ、お隣に座って頂いたらいかがですか?」
そうマスターが勧めるのに対し、男性はなんのてらいもなく、「じゃあお邪魔します」と奈緒子の隣に座ってきた。
男性は人見知りのない性格のようだ。
少し近い距離に座る男性の熱にドキドキしながら、奈緒子はそっと横目で男性を観察する。
細身で、スポーツマンといった感じではないが、清潔感のある男性だ。「どうも」と軽く頭を下げ、出されたおしぼりで手を拭きながら、おもむろに話しだす。
「先ほど入店した際、店主さん?ですかね?が大笑いしていたのが聞こえましたがなにかあったんですか?」
その質問が引き金になり、「え、ええ…へへはははは」と堪えきれなかったマスターの笑いに火が付き、再び馬鹿笑いが始まる。
その前で、奈緒子は、ちっちゃくなりながら、自分の経験を手短に話すしかなかったのであった。
「あははは、そんなことってあるんですね。ちなみに僕も婚活経験者なので、疲れてしまう気持ち、なんかわかります」
婚活経験者。その言葉に思わず男性の左手を見てしまう。
その視線に気づいてか、男性は「あ、経験者って過去形っぽく聞こえたかもしれませんが、まだ実ってません」と眉毛を垂らしながら苦笑する。
失礼な見方をしてしまったなと反省しつつ、婚活経験者、つまりは婚活仲間ということで、一気に親近感がわく。
「ちょっと今日あったこと聞いてもらってもいいですか……」
奈緒子は、普段であれば初対面の男性に自分からペラペラ話しかけるタイプではなかったが、先ほどのディナークルーズの話の勢いもあって、気づけば今日あったことを話し始めていた。
■
奈緒子は婚活アプリで出会った男性、中川渉との3回目のデートを迎えていた。渉は優しくて、話も合うし、年も近い。なにより、銀行員で身元もしっかりしている。この人となら付き合えるかも、そんな風に思っていた。
先日友人と恋愛に効きそうな神社巡りをしたから、それが縁を結んでくれたのかもしれない。
今日は奈緒子の誕生日でもあった。誕生日であることは伝えていなかったし、特別なことを期待していなかったけれど、もしかしたら彼との付き合いの記念日になるかもしれないと、ひそかに期待していたのは事実である。
一緒に映画を見ておしゃれなイタリアンのお店でご飯を食べる。
楽しい時間だったのはここまでだった。
食後のコーヒーを飲みながら、渉は言った。
「奈緒子ちゃん、ちょっと前から思っていたんだけど」
渉の表情が真剣で、奈緒子は少し緊張した。もしかして?
「今までのデート、楽しかったし、話も合うと思うんだけど……」
彼の言葉が途切れ、奈緒子はあまりいい話ではなさそうな雰囲気に、彼が何を言いたいのかわからないまま言葉を待っていた。
「あのさ、もう少し男を立てた方がいいんじゃないかなって」
渉の言葉は意外で、「へ?」と、奈緒子は一瞬何を言われたのか分からなかった。渉とのデートはいつも気楽でお互い自然体のつもりだったから、まさかそんなことを考えているとは思ってもみなかった。少し動揺しながらも、「どういう意味?」と尋ね返す。渉は深く息を吐いてから、答える。
「奈緒子ちゃん、なんでもぱっぱと決めちゃうし、見た目大人しそうなのに意外と我が強いというか。もう少し俺にリードさせてくれると嬉しいんだけど」
奈緒子はその言葉に戸惑いを隠せなかったし、瞬間的に心の中で反発を覚えた。この反発が、渉の言うところの我が強いということなのだろうか。
なんとなく気まずい空気のまま、会計を済ませ、渉と別れる。
別れ際、「じゃあまた連絡するね」と彼はいっていたけど、次なんてあるのだろうか。
あんなことを言われて関係が進展するとでも?
渉の本音が見えたことで、奈緒子は複雑な気持ちでいっぱいだった。つまりは、私は私の考えや主張を抑え込まないといけないし、それが彼の言うところの男を立てるってこと?
ーー冗談じゃない!
奈緒子は一見おとなしそうに見える。が、その実、内に秘めた性格は気が強い方であった。人に対して強く出るのが苦手なこともあり、中々その辺りが見えにくいところはあるが、仲良くなると「そういう感じなんだね!」と言われることがよくある。
誕生日にもかかわらずこんな気持ちにさせられたことにもむかむかしてくる。そりゃ向こうは知らなかったわけだけれど、あんな時代錯誤なこと言う人がまだいるなんて。
ひとまずやけ酒だ!と、奈緒子は目についたバーに入り、酒を煽ったのだった。
その帰り、この喫茶店にたどり着いたわけである
■
「それはまた……なんというか。あ!お誕生日おめでとうございます!」
「あ、ありがとうございます」
そう祝ってくれる亮に対し、奈緒子はペコリと頭をさげる。
踏んだり蹴ったりな1日だったが、最後にはこうして雰囲気のいい喫茶店を見つけることができたし、お祝いの言葉も受け取れて、それなりにいい1日になったかもしれない。
また、冷静になって考えてみると、渉の言動で少し自分自身を見返す気になったのも事実である。
おそらく渉は、奈緒子の外見や雰囲気から「大人しそう」とのラベリングをしていたのだ。それがちょっと思っていたのと違った、ただそれだけなのだと思う。
自分も、婚活を通じて会う人にはラベリングをし、そのラベルを通じて「加点」「減点」そんな感じで判断をしていた。
それが自分に返ってきただけ、今ならそう思う。
この先も一緒に居られる人に出会いたい、それだけのことがこんなに難しい。
「似たような経験をしているわけじゃないですけど、やっぱり婚活を通じて出会うっていうのは少し特殊は特殊ですよね。」
「そうなんです。普通に出会うのと違って、どうしても条件や外見から入ってしまうし。だから彼が私のことを大人しそうだと思っていたのに違った、っていうのもまあ、そうなんだろうなと」
「いや、仮にそうだとしても、それを口にするような男、こちらから願い下げでしょう。同じ男としてもありえないですよ」
「……ですよね?それに関しては明らかに向こうがありえないですよね?」
「そう思いますよ。……あ、今更ですが、俺、鳥山亮といいます」
「あ、私は楠本奈緒子といいます」
婚活という共通の趣味?を通じて熱く語り合う二人の様子に、マスターもシロも口を挟まず見守る。ちょっと空気が読めないマスターだったが、さすがに男女が楽しそうに語らっているところを邪魔するほど無粋ではない。シロがやや疑わし気にマスターを見張っているのはご愛敬である。
「ちなみに奈緒子さんはどこ住みですか?お互い婚活をしていても出会わなかったから、今日はたまたまこの辺りに来た感じなのかな」
「あ、私は中目黒に住んでます。この辺りは今日会ってた人が見つけてくれたお店の近くで……」
「ん?中目黒?」
「え?はい」
「中目黒ってどこにあるんですか?」
「え、あ、目黒区の…」
「え、やっぱりその?北海道じゃなく?」
「え?北海道…ですか?」
「もしかして旅行で来ていたんですか?」
「え?」
「え?」
いまいちお互いに理解ができず、頭の上にはてなマークが乱舞する。
「北海道。え?どういう意味ですか?」
「いやだから、今いるここ、北海道だからさ」
「え?いや、銀座でしょ?」
「え?」
「え?」
またもやはてなマークが飛び散る。
不思議そうに問い返す亮に、なんと答えてよいか奈緒子は言葉に詰まる。この人、もしかして見かけ以上に相当酔っぱらっているのか。いや、今までの言動ははっきりしていたし、酔いはさめているように見える。少し警戒心がもたげる。だが、先ほどまで話した感じではいたって普通の人のようであった。
助けを求めるようにマスターを見上げれば、
「ああ、今日は東京と北海道でしたか。昨日は高知だけでしたね。」
と答えるマスター。余計に意味が分からない。なんだろう、深夜番組のどっきりか何かなのか。きょろきょろとカメラを探しつつ混乱している様子の奈緒子を気の毒そうにみやったシロが、マスターに対し「全然説明になってない」と伝える。えっ?と不思議そうに奈緒子を見たマスターが、ああ!と今気づいたかのようにポンと手のひらを打つ。その姿が、少しわざとらしく感じるのは気のせいだろうか。
「このお店はですね、日本全国とつながっているんです。」
「「は?」」
亮と奈緒子は、声を揃えて聞き返していた。奈緒子は、思わず太い声が出てしまい、慌てて口元に手をやった。