第4話
「奈緒さん!ディナークルーズのチケットもらったんで、一緒に行きませんか?」
そう誘ってくれたのは、会社の後輩緑川奈子である。
一期下の後輩で、彼女が入社した際、奈緒子がメンターとなって以来、親しく付き合っている。名前が似ている、というのも距離が縮まった理由だったりする。
婚活に関するあれこれも全部聞いてもらっており、いつも的確なアドバイスをくれるため、今ではどちらがメンターか分からない。
「え、でも旦那さんと行った方がいいんじゃないの?」
そう。奈子は昨年結婚しており、まだ新婚と言っても差し支えない時期なのだ。ディナークルーズなんて、夫婦のデートで使った方がいいはずである。
「いやいや、うちの夫、ああいういい雰囲気とか美味しい料理とか全く理解を示さない人なんで、一緒に行っても腹立つだけなんです」
あははと笑いながらそういうが、おそらく最近元気がない奈緒子を気遣ってくれてのことなんだろうと察する。申し訳ない気持ちとありがたい気持ちとでぐっちゃりしながら、「誘ってくれてありがとう。じゃあ行きたい!」と気遣いに気づかないフリをして、そう答えた。
そうして迎えたクルーズ当日。定時ダッシュで職場を後にした奈緒子は、奈子と二人、おめかしをして船に乗り込む。普段はあまり着ないお高めのワンピースを身に着け船に乗り込めば、それだけで気持ちも浮き立つ。
街の喧騒を離れ、海の上でおしゃれをしておいしいご飯を頂く。最高の贅沢だ。
仕事のこと、奈子の夫婦関係のこと、奈緒子の婚活のこと。とりとめもなく話題がうつりかわり、吐き出すことで、ここのところの婚活疲れも癒えたように感じていた。
そのときだった。突然部屋の照明がふっと暗くなり、バースデーソングがなり響く。
特別なディナクルーズということで、誕生日を祝う人がいたのだろうか。そう思って周囲を見渡していところ、花火がついたバースデーケーキを持ったウェイターが部屋に入ってきた。
ウェイターが一人、ウェイターが二人、三人、四人…続々と入ってくる様子に、奈子と視線を見かわす。
もしかして誕生日をお祝いするカップルが、周囲のテーブルにもケーキを配ってくれているのだろうか。もしくは船側の計らい?
そう思い見守っていたが、奈緒子たちのテーブルにケーキは運ばれてこない。にもかかわらず、周囲のテーブルには続々とケーキが運ばれてくる。
どうやら、奈緒子たち以外のカップル(そう、よくよく見渡すと奈緒子たち以外は全員カップルだった)はどのカップルもお祝いのために来ていたようで、彼彼女たちの目の前に運ばれてくる美しい火花を散らすケーキたちはその数もあって部屋を明るく浮かび上がらせる。
そして、流れるようにパカっ、パカっ、パカっ…周囲で次々開かれていく、指輪の箱。
なんてこった。
おそらく、奈緒子と奈子の心の声はこのとき重なったはずである。それくらい、二人とも揃ってポカンとした顔をしていたのである。そう、奈緒子たちが開いたのは指輪の箱ではなく、口だった。
奈子からすれば、婚活疲れの先輩をいやそうと思い誘ったはずのディナークルーズで突如始まったプロポーズ祭り。そして、奈緒子からすれば、婚活疲れから癒されていたときに突如食らったカウンターパンチ。
人目がなければ二人とも両手を前につき、うなだれていただろう。
「先輩、甲板にでましょうか……」
「そうだね……」
否やはあろうはずもなかった。
カップルたちが幸せそうにしている隙間を縫うようにして甲板に出る。
だがしかし、悲劇はこれで終わりではなかったのである。
甲板に出た二人は、心地よい夜風に当たりながら、無言だった。先ほどの気まずさから何を話して良いか分からないので、とにかく外の景色を楽しもうと、流れていく光り輝く街や夜空に目を向ける。綺麗だ。
そのときだった。
「すみません、写真を撮ってもらえますか?」
二人そろって後ろを振り返ると、先ほどプロポーズをしていたカップルがのうち一組のカップルが立っていた。プロポーズ後の記念写真だろう。
「あ、とりますよ!」
奈緒子に気遣ったであろう奈子が声をあげる。
嬉しそうに二人寄り添うカップルを撮る奈子。だがしかし、
「すみません、私たちもお願いしてもいいでしょうか?」
気づけばカップルたちがみんな続々と甲板に出てきていたのである。そして奈緒子もカメラを持ち、カップルを撮る。次々渡されるカメラに、もはややけくそのように「笑顔おねがいしま~す!」と声をかける。私たちも客なんだけどな……と思いながらも、愛想のよさが仇となり、そこからしばらく写真タイムとなってしまった。
「はあ……やっと終わりましたね」
二人そろってぐったりしつつ、「私たちも一応写真とっておきますか」そう言い、「じゃあ私の携帯で撮ろう」と奈緒子の携帯を適当な台の上に置いてタイマーをセットする。
そして奈緒子と奈子が携帯にむかって笑顔を作っていたそのときだった、ぐらりと船体が揺れた。カシャッとシャッター音を響かせながら落ちていく携帯。ガチャッと音を立てて携帯カバーが外れ、勢いよく床にぶつかる。
「……」
もはや、二人とも言葉も出なかった。携帯を持ちあげれば、ばきばきになった携帯画面。幸い強度のあるガラスカバーをしていたので下の画面までは傷が至っていなかったものの、それがとどめとなり、楽しいディナークルーズはどんよりしたまま幕を閉じたのであった。
■
だっははははははひーーっ!
喫茶店は、マスターの馬鹿笑いともいえる笑い声で満たされていた。ウェイターが一人、ウェイターが二人、のあたりから「羊……」とつぶやきながらぷひゅぷひゅ言いながら笑いを堪えていたマスターだったが、話しがプロポーズ祭りに至ったあたりから「ぐふふふ」に変わり、最終的には笑いが堪えらえなくなったようだ。その風貌とそぐわない笑い方に、話していた奈緒子の目が真ん丸く見開かれている。
「ツボにはまったんだな」
シロがあきれたようにつぶやく。普段は落ち着いたいかにも紳士然としているマスターだったが、自分好みの笑い話に遭遇すると、笑いが止まらなくなるという悪癖があった。
奈緒子としても、当時はげんなりした話を笑い話として消化できたのは嬉しいが、ここまで笑われるとなんだか複雑な気持ちになってくる。
馬鹿笑いをするマスター、あきれた様子で首を振るシロ、複雑な顔をした奈緒子と、店内はやや混沌とした様相を呈していた。