最後の作戦
今日も今日とて、梅田は賑やかだ。この街が……いやこの近隣が大昔は静かな田園地帯だったなど、とても信じられない。
記録には確かに残ってはいるが、今生きて、この町を歩いている人々のいったいどれほどが信じるだろうか。地下街をほんの少し歩くだけで、そう思う。
大きな地下街の地図が掲示されている下で、風見はそんな思いで人の流れを見つめていた。
彼が天神様の眷属となった頃、まだ人と人ならざるモノたちは互いの住処を脅かさないようにしながら棲み分けが出来ていた。
だが人々がより豊かさを求めて住処を開拓していくにつれ、その土地に古くから住むモノたちが住処を追われていった。
様々な場所に点在する天満宮や天神を訪れて回っていた風見は、行く先々でそういったモノたちの助けになってきた。この梅田もそうだ。
堂島界隈に米の取引所が出来て商業が盛んになり、遊郭も移設され、人に交ざることの出来ないあやかしたちは難儀していた。この曾根崎の近辺を勧めていたら、明治以降に鉄道敷設が始まり、一気に都市化していった。極めつけは、戦後にできた地下街だ。
この辺りが迷宮化したことで、あやかしたちは、梅田どころか、この地下からも出られなくなってしまった。
(豊かになるんは、ええことやねんけどなぁ……)
文明が発展し、暮らしが豊かになり、人の笑顔が溢れる。そのことを、風見はとても喜んでいた。だが、喜ばしいと共に、悲しいことでもあった。
その豊かになった姿を、この場所以外で見ることができなくなってしまったのだから。
ふと、天井を見上げた。本当は空を見上げたつもりだったが、それを見ることはもう、叶わないのだ。昼でも夜でも明るく照らす電灯の向こうに、風見は懐かしい姿を思い浮かべた。
(あいつ、どうしとるかな)
不思議と、色々な撫で牛の中でも最も気の合う奴だった。
穏やかで物静かで、お人好しで寂しがり……そして慈悲深き友・清友。弥次郎や辰三に言わせると風見とは”真逆”らしい。だが風見は、どこかで自分と通じるものを感じていた。少なくとも、一点だけ、確実に通じるものがあった。それを語った時の顔を、風見は今も忘れてはいない。
この地下街から清友のいる露天神社までは徒歩5分程度。それなのに、もう五十年以上も顔を見ていない。
いくら千年以上存在している神の眷属といっても、一度も顔を見ない期間としては、少し長い。さすがに、寂しいのだ。
「……まぁ、言うても詮無いことやな」
視線を戻し、風見は周囲を見回した。右に左に、前に後ろに、人間たちは行き交う。ある者は地上へ、ある者は乗り換えのため駅のホームへ、ある者はこの地下街の店に向かって、歩いて行く。
「さて、俺も行くか」
「どこへやねん」
いつも、この地下街に迷い込んだあやかしがいないかを見て回っていた。日課のように地下街を歩き回り、日課のように迷っていた。
そして、こうして声をかけられるのだ。
「おお、なんや。今日はえらい早いな、弥次郎……辰三もおるんか」
この二人のどちらかが、風見を連れ帰るのが、暗黙の了解だった。逆に言えば、どれほど迷っても、この二人が見つけてくれて確実に帰れるのだから、風見は安心して毎日迷子になれるのだった。
そう認識しているのがわかっているからか、弥次郎も辰三も、風見の浮かべる笑みにちょっと苛立っていた。
「『えらい早いな』ちゃうわ、ボケ。どこ行くつもりやねん」
「いつも通り、あっちの方に……」
「やめてや。あっちはもっと方向わかりづらいねんで。僕らまで迷子なるやん」
「そうやで! 風見さん、今日はそんな暇ないで!」
風見の前に、いつもはいない人物が仁王立ちして言い放った。
「絵美瑠? 珍しいな、お前も迎えに来たんか?」
偉い偉い、とでも言うように、風見は絵美瑠の頭を撫でようとした。その腕を、絵美瑠はがっしりと掴んだ。
「え?」
「確保!」
絵美瑠が刑事のようにそう言うと、今度は風見の両脇を、弥次郎と辰三がしっかり掴んだ。
「どこやっけ?」
「あっちや、あっち」
「ちゃうよ。こっち!」
何やら三人で指さし合いながら行く先を確認している。風見一人、いったいどこへ……いやどっちへ連れて行かれるのかわからず、おろおろしている。
「お、おい……何やねん。俺をどこへ連れて行く気や?」
「ええから着いてこい」
「大人しくしとったら、ええとこ連れてったげるから」
「な、何やねんそれはーっ!!」
風見の絶叫は地下街中に響き渡った……かのように聞こえたが、道行く人には風見の声は聞こえないので、今も、何事もなく、街は動いていくのだった。




