私と彼女の罪悪感
初名は、深く、頭を下げた。絵美瑠の顔が見えないほどに深く。
だから、その声は頭上から降ってきた。
「試合の時……? なんで小阪さんが謝るん?」
うすうす、こんな答えが返ってくるのではないかと、予想はしていた。
だが本当にそう返されてしまうと、やはり少し戸惑う。拍子抜けというか、驚くというか……悲しいというか。
「あの時、怪我をさせたから」
「怪我? だってあれ、うちが勝手に転んだんやん! しかも小阪さんの竹刀を勝手に持って行こうとして、止められて……めっちゃ自業自得やで」
「でもそのせいで、試合を棄権しなくちゃいけなくなったよ?」
「今年もう一回頑張るし。もともと三年の先輩が一人足りへんかったから入っただけやったもん」
なるほど、そういう認識だったらしい。それで笹野たちが憤慨していることに対して怒ってくれたのか……初名は、胸の奥で色々なことに納得した。
「あのね、怪我させただけじゃないの。絵美瑠ちゃんが怪我して、血を流してた時……周りの人はすぐに駆け寄って手当てしようとしてた。でも私はできなかった。それどころか……逃げようとした……怖くて」
「うちだって血ぃ怖いよ! 結果的にちゃんと手当てが間に合ったんやし、ええやん!」
「違うの。絵美瑠ちゃんが瞼から出血してる時、その……笑ったでしょ? 私しか見えていなかったみたいなんだけど、それに竦んじゃって……それもすごく失礼なことしたと思う。結果、いくつも酷いことをしてしまいました。本当に、ごめんなさい」
もう一度、深々と頭を下げた。だが頭上では、首をかしげたような気配しかしない。
「笑った……? うち、あの時笑ってた?」
「う、うん……こう……ニタァって感じで……」
初名が両頬を引っ張り上げる形で再現する。ちょっと不気味にしすぎたかと思ったその時、またしても、絵美瑠の顔が真っ赤に紅潮……いや蒸発しそうになっていた。
「うそや!? うち、そんな顔しとったん? 嫌やもう! 恥ずかしい! やっぱり顔見せられへん!」
「え、えぇ~!?」
話が、大きく振り出しに戻ってしまった……。
「た、たぶんその時、心配せんといて的な意味で笑ったんやと思うねん。大丈夫やからって……でも痛いもんは痛いし、先輩とか血相変えてるし、なんか血ぃ出てるしでパニくってて……ああもう、うそぉ……怖がられとった……消えたい……!」
絵美瑠はそう言って、畳の上でぐねぐねと悶えていた。どうにも、初名と気にする点が違う気がしている。
それゆえに、話が逸れている。
だが気付いたことも多かった。絵美瑠がこんなことを気にしているなど、まったく知らなかった。あの試合から半年ほど、初名はずっと怪我をさせたこと、そしてすぐに自分が対処しなかったことを悔いていた。絵美瑠も、それを責めているものだと思っていた。
絵美瑠は、そんなことなど気にも留めていなかったというのに。
一方の初名も、絵美瑠が何年も抱えていた罪悪感を、気にしていないどころか知りもしなかった。
自分が気にしていることが、実は相手の気にしていることとこれほどかけ離れているということが、こんなにももの悲しいとは思ってもみなかった。
どうして悲しいのか、考えたら答えはすぐに思い浮かんだ。
(自分が、許して欲しいからだ。全部、”自分”でしかないんだ)
結局、お互いに抱いていた罪悪感は自分一人のものでしかなかったのだ。謝罪するとは、許して貰うとは、なんと身勝手なことなのか……苦い思いが、胸いっぱいに湧き上がった。
「絵美瑠ちゃん」
落ち着いた声で名を呼ばれ、絵美瑠はそろりと顔を上げた。まだ真っ赤な顔ではあるが、初名の声に耳を傾けているのはわかる。
「私も、たぶん絵美瑠ちゃんも……ここで『ごめんなさい』を言うことは、簡単なんだと思う。そしてそれに、『もういいよ』『気にしてないよ』って言うことも、簡単だと思う」
「うん、ホンマに気にしてへんもん」
「でもそれって、相手のことを無視してるような気もする」
「無視?」
絵美瑠が悲しそうに首をかしげる様子に、初名は頷いて答えた。
「私が、あの試合の直前に怪我したことを『何も気にしてない。だって試合にはちゃんと出られたんだから』って言ったら、絵美瑠ちゃんの罪悪感は消えるんじゃなくて、行き場がなくなるだけなんじゃないかな。私だって、そう。『瞼の傷は治ったんだし、試合は今年もあるから』って言われても、あの時怪我させた事実は変わらない。あの時感じた罪悪感も焦りも恐怖も、何も無かったことにはできない」
「そ、そうやけど……」
初名は、背筋をぴんと正して、絵美瑠を見据えた。
「だから……お互いに悪いことをしたと思うから、お互いに相手が悪いと思ってることをちゃんと受け止めて、許そう」




