ラウルの思い
「……来ないか……」
翌日、初名は大通りから入り込む形になっている通用口の近くで、ずっと張り込んでいた。そういった場所に、横丁の入り口はぽっかりと口を開ける。他にも横丁の入り口はあるらしいのだが、初名が知っているのはここしかなかったので、ここに居座ることにした。
(ああ、でも……やっぱり別の入り口から入られたらどうしよう。私、一生会えないんじゃ……)
なにせもう一時間以上立ち尽くしているというのに、それらしい姿は見えない。
だが昨日、清友が言っていた。
『明日、大学が終わったら、いつもの横丁の入り口のあたりで待っとき。きっと、ええことがあるから』
清友の言う“ええこと”が何を指すかは明確ではないが、悪いことではないのは確かだろう。できれば絵美瑠と遭遇できることを期待しながら、初名はじっと一点を見つめていた。
「……うーん、なかなか来ないな、都築さん」
「いや、今日はもう帰ったで」
「そうなんだ。おかしいな……じゃあ”ええこと”って何だったんだろう……へ!?」
いったい誰が初名に返事をしたのか。
振り向くと、見覚えのある人の好さそうな笑顔が初名を見つめていた。
「ら、ラウルさん……!?」
「初名ちゃん、張り込みご苦労さん。絵美瑠は帰ってもうたから、僕とお茶しよか」
ラウルはそう言って、また人なつこい笑顔で初名を近くにある喫茶店までぐいぐい引っ張っていった。
地下街の中は多種多様な店が並ぶが、やはり飲食店が多い。特に立ち飲みも含む居酒屋や料理屋が多いのだが、全国展開しているチェーン店も含め、落ち着いた雰囲気の喫茶店も多い。
店に入るなり、ラウルは迷うことなくメニューを選んだ。どうも常連のようだった。
「僕、こういうお店好きでな。自分の店閉めて、よく来るねん。おかげで開店休業とか言われることも多くてな、ははは」
「ははは……」
落ち着いた様子のラウルに反して、初名は妙に落ち着かなかった。初めて入る店ということ以上に、目立つ容姿のラウルが女性客の注目を浴びているせいだ。
「何でも好きなもん頼んでな。僕の奢り……この前のお詫びや」
それは、絵美瑠が逃げ出した時のことを指すのだろうか。そう思うと、初名は頷けなかった。
「あれは自業自得だから……逃げられて当然のことをしたので」
「そんなことはないよ。目の前で逃げるなんて失礼や。たとえ、どんな関係であってもな」
初対面の辰三の前で気を失った初名には、何とも言えなかった。
だがラウルの言葉はそのことではなく、昨年の出来事を指す響きがあった。忘れていたが、このラウルは、都築絵美瑠の父親なのだ。
「あの……すみません。私、娘さんに怪我を……」
「試合の時のことなら、僕に謝る必要はないよ。怪我したんは僕やないし、悪意があってのことやないってわかるから」
ラウルは、届いたばかりの紅茶のカップを揺らし、立ち上る湯気から香りを吸い込んでいた。
「悪意がなくたって……」
「なぁ初名ちゃん。僕が、ただのお人好しでこんなこと言うてると思う?」
ラウルが、カップをソーサーに置いた。カチャンと固い音が、いやに響いた。
「いくら僕でも、娘を傷つけられたら黙ってはおらんよ。相手を二度と立ち上がれんようにしたろうか、ぐらいは考えるんやで」
「は、はい……」
まさしく、その相手とは初名のことだった。思わず身を固くする初名を見て、ラウルは小さく笑った。
「でもその相手っちゅうのが、なんとも人の好い憎まれへん女の子やからなぁ……おまけに、他ならぬ娘が悪く言うなって言うんやから」
「え、都築さんが?」
頷くラウルを、初名はまじまじと見つめていた。とても、信じられなかった。
「だって……私、あんな怪我させちゃったんですよ? そのせいで、その後の試合を棄権になったんですよ?」
「怪我は治ったし、棄権したのは初名ちゃんも同じなんやろ?」
「それはそうですけど……」
「絵美瑠はずぅっと言うてたわ。『うち一生、小阪さんの顔見られへん』て」
「ど、どうして都築さんが、そんなことを?」
初名の驚いた顔を見て、ラウルはにやりと笑った。その初名の大きく見開かれた瞳を指さして、言った。
「さては、初名ちゃんも同じこと考えとったな? 二人はきっと、良い友達になれると思うわ……ふふ」




