一歩前進
その日も、基礎科目の授業があった。学籍番号順にクラスを割り振られるその授業では、いつも顔を合わせる人がいる。
初名と同学年で、元剣道部主将だった、笹野が。|あの子≪・・・≫との繋がりがある、唯一の知り合いだ。好かれている知り合いではないが。
嫌われているのも無理はない。自分の後輩が怪我をさせられて、全国大会まで上り詰めたのに棄権せざるを得ない状況にまでなったのだから。
彼女の顔を見る度に、目の前にあのときの情景が甦る。笹野は、まぶたから血を流して痛いと叫ぶあの子を庇い、初名のことを睨み据えていた。
それでも、そんな恐怖にすら、初名は竦んではいけなかった。鞄から下がっているお守りと、そして匂い袋を握りしめ、すぅっと息を吐き出した。
試合に臨む前と同じ動作をしてから、初名は彼女の……笹野の元へ向かった。
「お、おはよう、笹野さん」
「……おはよう」
どうしたことか。いつもなら、無視されるのに、今日は無愛想ながらも返事が返ってきた。
初名は一瞬戸惑ったが、すぐに居住まいを正した。授業が始まる前に、きちんと言わなければ。そう思っていたのだが、初名が頭を下げるより前に、笹野が立ち上がった。そして……
「この前は、ごめん!」
「……え?」
頭を下げたのは、笹野の方だった。いったい何が起きているのか、まったく理解できず、初名は唖然としてしまった。
「小阪さんが会いたがってるて、別の人からあの子に伝わったらしくて……そしたら、その……会いたいて、言うてた」
「え? そ、そうなの?」
「うん……うちは、あの子は会いたくないんやとばっかり思ってて……でも、そんなことないって怒られてしもて……ホンマにごめん。酷いこと、いっぱい言うて」
「そ、そんな……私こそ、しつこくしてごめんなさい」
お互いに頭を下げ合う姿は、授業開始間近の教室ではかなり目立った。注目を浴びてしまい、気恥ずかしそうにして、二人は隣同士で座った。
折良く講師が入室してきて、開始を告げた。
慌ててテキストを取り出す初名に、笹野が周囲に聞こえないように囁いた。
「今度、会えるようにセッティングするから」
「う、うん……ありがとう」
そう言うと、笹野はほんの少し笑ったように見えた。
すぐに前を向いてしまったので、それ以降はわからないが、確かに笑っているように見えた。初名は、脇に置いた鞄の匂い袋をそっと撫でた。
ーーお守りの、効果だろうかと。




