怖かった
「……手当は?」
「しました。まぶたが切れただけでした。でもすごい血で……痛いってずっと言ってて……私、怖くて……!」
「そんなに血ぃ流れてるところ見たら、誰かて怖いわ」
「でも私、何も出来なかったんです。自分のせいであの子が怪我したのに、動けなかった……! そのせいで、あの子はその後の試合を棄権したのに……!」
「……あんたは、その後どないしたん?」
「棄権しました。私だけ試合に出るなんて、とてもできないから」
「ほな、その子のお見舞いには行ったん?」
「行きましたけど、門前払いでした。会いたくないって……当然ですよね」
「……そうか」
気づけば、百花が手ぬぐいを差し出していた。梅の模様が刺繍してある、冬の光景のような手ぬぐいだった。
初名が受け取ろうか戸惑っていると、百花の手が伸びて、ちょんちょんと涙を拭ってくれた。もう片方の手は、初名の頬にそっと触れた。
「怖かったんやな、剣道するのが」
「怖いっていうか……」
「怖いんや。その子はできへんようになったのに、自分はやりたいことやってるていうことが申し訳のうて、他の誰でもない自分自身で責めとったんや、ずぅっとな」
初名は、頷くとそのまま俯いた。これ以上、顔を見られたくなかった。だが、百花の言葉はまだ続いた。
「もう一つ、自分で気ぃ付いてるかはわからへんけど……ホンマは、その子にごめんて言うことも、怖いんとちゃう?」
「……え」
顔を上げた初名の目に、百花の視線が刺さった。優しいが、厳しい視線だった。
「そうやろ。その子に謝ったら、自分はまた剣道に戻れる。心のどこかしらでそう思ってるんやろ。その子に謝って、安心してしまいそうなことが、怖いんや……違う?」
「あ……」
そう言われて、ようやく気付いた。百花の言うとおりなのだ。
どうして何度も謝りたいと思っていたのか。もちろん謝罪は当然の義務なのだが、そのためだけに同じ部で繋がりのある笹野にまで働きかけるのは、やり過ぎなようにも感じていた。それでも止めずにいたのは、それで”おしまい”にしたかったからだ。最低限の義務は果たしたと、言いたかったからだ。そうすれば、言い訳が立つからだ。
そして、傷つけたくせにそんなことを考えている自分が卑しくて醜くて、怖かったのだ。
再び百花がくれた手ぬぐいに顔を埋めた初名を、ふわりと柔らかな感触が包んだ。気付くと、初名は百花の腕にすっぽりとくるまれていた。
「アホやなぁ」
「……はい、私、とんでもなく馬鹿で……今になってもまだ震えてしまって……」
「そうやない。一人で抱え込んで、ずっと悩んで、でも他の人にはわからんように笑て……ホンマにアホや」
「でも私……悩むしか、してません……他には何も」
「十分やないの。その子は、痛かったやろけど、きっと慰めてくれたり心配してくれる人が|ようけ≪・・・≫いたと思うわ。そやけど、あんたはおらんかった。いても、あんたは逃げとったやろ。そやから、うちが言う」
抱きしめられて、百花の顔は見えない。だが声が、とても柔らかく、温かな響きだった。
「辛かったなぁ。痛かったなぁ。ずぅっと、苦しかったなぁ」
「……あの子の方が、ずっと……」
初名がそれ以上口にする前に、百花が初名の背中をぽんぽんと叩いた。。
「……アホ」
百花は、そのままもう一度初名を両腕におさめて、背中を優しくなで続けた。その柔らかな感触に、初名は幼子のように、身を委ねていた。




