仕立屋 太夫
『仕立屋 太夫』の店に灯りが点いた。
そのことは、横丁中を騒然とさせた。なにせ横丁の入り口近くに位置する古参の店でありながら、ここ四十年ほど、開いていることがほぼなかった。
月に一度の会合には顔を出していたため、店主である百花の生存確認はできていたものの、皆、その真意までは知ることが出来ないでいた。
そんな中、百花が数十年ぶりに店に立った。
浮き足だった住人たちのうち数名は、いそいそと店に足を運んだ。もちろん、顔色をみるついでに頼み事をするためだ。
だが、その足は店の前で止まった。
店の中からは、二人分の声が聞こえてきたからだ。一つは百花の、もう一つは最近訪れるようになった人間の少女……初名のものだ。
店の前に立った百花と同じくらい古参の面々……弥次郎と辰三、そして横丁の世話役である風見は、顔を見合わせていた。
「そこはこうやって、輪っかを作って糸を通すんよ」
「輪っかを作る?……こうですか?」
「そう、そう……上手やないの。その調子で、端まで縫うて」
楽しそうな声だった。初名の懸命そうな声と、百花のいつもより軽やかな声音が、鈴のように響き合っていた。
「あの子……やっぱりここに来とったんか」
「風見さん、これ……ええの?」
辰三が、おそるおそる中を指さす。引き戸とその奥のカーテンに阻まれて中の様子は見えない。だが、おおよその見当はついた。
風見たち三人の脳裏には、ほぼ同じ光景が浮かんでいた。かつて見たことのある光景と酷似した様が。
だからこそ、三人揃って立ち竦んでいた。
「……あの子、ホンマに色んなことに巻き込まれるなぁ」
風見は苦笑いを浮かべながら、踵を返した。弥次郎も辰三も、その後を追って良いのか、しばし迷っていた。
「風見、放っといてええんやな?」
弥次郎の問いを背中に受け、風見は振り返らずに頷いた。
「どうするべきか、百花が一番ようわかっとるはずや」
「……見守るしかないっちゅうことか?」
その問いには、風見は答えなかった。応えずとも理解すると、わかっていたからだ。弥次郎と辰三は、ため息をつきながら風見の後を追った。
「世話役はつらいなぁ」
「何やねん、いきなり?」
「いや、色んな|者≪もん≫を見守っていかなあかんやん? それはつまり、助け船を出しとうてもぐっと踏みとどまらなあかん時があるってことでもあるんやなぁって思てん」
「……ようやくわかったか。俺の苦労が。ちなみに俺を一番悩ませとるんはお前やぞ、辰三」
「はぁ? 最近はどう考えても|あの子≪・・・≫やろ」
「いや、タツが断トツで一位やろうっちゅうことはわかる」
「ヤジさんまで何なん? 僕こんなに人畜無害やのに」
「どこがやねん!」
風見と弥次郎、二人分の叫び声が、横丁中に響いた。慌てて口を塞ぐも、並ぶ店店から、住人たちが次々に顔を出した。
風見は彼ら一人一人に何でもないと弁明しながら歩いた。
どうか、『仕立屋 太夫』までこの声が届いていませんようにと、密かに祈っていた。




