魔法みたいな針仕事
するすると、針が右へ左へと行き来する。しなやかな白い手が、鮮やかな色の糸をきゅっと引っ張って、縫い目を作っていく。
縫っているのは決して大きな面積ではない。鞄の持ち手のうち一つを縫い止めているだけだ。
それだけなのに、これほどに優雅な空気を醸し出すものなのかと、初名は驚き、感動していた。見る人によっては唖然としているようにも見えるその様を見て、百花はクスリと笑った。
初名が買い物に行っている間に身支度を調えたのか、今は全身、人間の姿で、訪問着を纏って髪も簡単にだが結っていた。
そんな百花が見せる笑みは、ほんの微かなものすらも、艶やかだった。
「そんなに見られたら、穴開いてまうわ」
「ご、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げる初名に、百花は軽く手を振った。
「ううん、ええんよ。いくらでも見て。うちはこれくらいしか出来へんし。それに……」
「それに?」
「何でもない。ほら、出来たで」
そう言って、百花は初名の鞄を渡した。先ほどほつれていた持ち手は、より丈夫に繕われている。しばらくは、心配はなさそうだ。
「ありがとうございます! あの、お礼って何がいいでしょうか?」
「気にせんでええよ。針買いに行ってくれたし、ほんのちょっと縫うただけなんやから。なに? タツさんには何か奢れて言われたん?」
「ことこと屋のお団子を請求なさいました……」
「そうなん? あの人らしいなぁ。ほなこれからは、何か縫わなあかん時はうちのところに|来≪き≫ぃ。うちやったら、タダでやったげるわ」
「そんな、タダはさすがに……!」
気前の良い申し出だが、そんな厚意に甘えるわけにはいかない。労働には対価を、というのが亡き祖母の教えだったのだ。
今回のこの恩義に、いったい何で応えようか。初名がうんうん唸っていると、百花の方が提案をした。
「ほな、時々でええから顔見せに来てくれる?」
「顔を見せに……ですか?」
百花は笑って頷いた。
「うちなぁ、しばらく体壊してしもて、家に籠もってたんよ。いつの間にか横丁の人らともあんまり会わんようになってしもたから、誰かと会うのが嬉しゅうてなぁ……それがあんたやったら、尚のこと嬉しいわ」
初名は、それで頷きそうになった。
だが、それでいいのだろうかと迷った。顔を見せに来るぐらい、何でもないことだ。それでお礼をしたと言ってしまっていいものかと。
「強情やなぁ……ほな、うちの弟子になってくれへん?」
「弟子? 何のですか?」
「お裁縫の」
百花は、初名が買ってきた針を持って、にこりと笑った。
他のことなら喜ぶところなのだが、初名は申し訳なくも、苦笑いをしてしまった。裁縫は、初名がもっとも苦手とするところなのだ。
だがそんな顔まで見越していたと言うように、百花は続けた。
「うふふ、お裁縫は苦手?」
「はい……」
「やっぱり。そんなところまで、梅子とそっくりやなぁ」
その言葉に、初名は俯いていた顔を上げた。
「おばあちゃんがお裁縫苦手……? でも、おばあちゃんはすごく器用でしたよ。若い頃の着物を自分でリサイクルして、その鞄を作ってくれたくらい……」
「うん、そやからびっくりしてる。うちが教えたんは、せいぜい匂い袋くらいやったのに、ようこんなに立派なもん作ったなぁ、あの子」
百花はそう言うと。初名の鞄をそっと撫でた。最初に会った時と同様、幼子を愛でるような優しい手だ。
それともう一つ、愛弟子の力作を誇っている手つきだ。
「どう? 実績はあると思うけど」
艶っぽく投げかけられた視線に何故か戸惑いながら、それでも初名はまだ悩んでいた。
「それはとんでもなくありがたいお話なんですけど……それだと百花さんに苦労かけるばっかりで、何もお礼できないことになっちゃいますよ」
「そんなことない。梅子が亡うなってしもたいうことは、うちの技を継がせた|者≪もん≫がおらんようになってしもたっちゅうことやろ。一子相伝とは言わへんけども、せめて誰かには継いでおいてほしいやん? そやからな、あんたが弟子になって、うちの技を全部持ってってくれたら嬉しい思てるんや」
百花の手が、そろりと初名の手を取った。ひんやりと冷たいが、柔らかく優しい感触だ。初名は、気づけば大きく頷いていた。
「はい、よろしくお願いします……!」




