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大阪梅田あやかし横丁~地下迷宮のさがしもの~  作者: 真鳥カノ
其の伍 紡ぐ思い、解ける時間(とき)
65/105

謎の女性と『梅子』

 建物の中に入ると、戒めはあっさりと解かれた。暗いと思っていた建物の中は、目が慣れるとそれほど暗くはなかった。

 見回してみると、中は少し古風な造りの店となっていた。土間があり、品がいくつか置いてある。以前見た、弥次郎や辰三の店と似た造りだ。

 だが置いてあるものは少しばかり趣が違う。

 針や糸などの裁縫道具と、綺麗な着物、その布地などが棚に並んでいた。

 だが肝心の店主がいない。自分をここへ引きずり込んだ者はいったい誰なのか。初名はもう一度、おそるおそる店の中を見回した。すると、棚の奥に、部屋が続いているのが見えた。辰三の店にもあった、私的な部屋だ。

 そこは間違いなく、暗闇に見えた。そんな暗い場所から、ひゅう、という風のような吐息のような音が、聞こえた。

「…………梅子?」

 息の次は、声らしきものが聞こえた。初名がおそるそる耳を澄ませてみると、声はもう一度聞こえた。

「梅子……来てくれたん?」

「梅子って……」

 問い返そうとした初名の耳に、今度は別の音が聞こえてきた。ずる、ずる、と引きずるような音。今引きずられているのは自分ではない。この声の主が、何かを引きずっているのだ。しかし、いったい何を?

 そんなことを考えていたら、奥から人影がゆったりと現れた。といっても、現れたのは肩から上。伏せた状態から這って出てきたような、人の顔だけだった。

「梅子……」

 そう呟くのは、真っ白な顔をした女性だった。切れ長で凜とした瞳はうっすら潤んでおり、唇は血に濡れたように赤く、瑞々しかった。だが髪はまとめておらず、長い長い髪がだらりと垂れ下がっていた。そして真っ赤な襦袢を身につけていた。その赤が、肌の白さをより引き立てていた。

 見たところ、初名よりも少し年上の、20代くらいの女性だが、その容貌は、初名が目にしたことがないほどに艶っぽく、美しかった。

 風見のこともこの世のものとも思えないと感じたが、この女性は、また違った妖艶さを感じた。

 そして白い肌に見合わないほどの真っ赤な唇が、か細い声でまた呟いた。

「梅子……来てくれたんやねぇ。うちに……」

 そう言うと同時に、真っ白な腕が初名の頬まで伸びてきた。ゆっくりと撫でるその仕草は、まるで幼子を愛でるようだった。

 優しい手だったが、初名は息をのんで固まっていた。その白い優しい手の向こうに見えたのは、優しい瞳と真っ赤な唇と、長い髪と……そして、女性の襦袢の奥に隠れていたもの。腕と同じくらい真っ白な脚……ではなく、真っ黒で、長い、蜘蛛の脚だった。

 おそらく腰から下が蜘蛛の腹になっており、脚と同じく真っ黒だ。

 その様を目にした瞬間、初名は思い出した。

 ここに初めて来た際、集まっていた面々の中に、確かに蜘蛛のような女性がいた。あの姿を見て、ただの集まりではないとわかって戦慄したのだった。

「ひっ」

 思わず身をよじって|後退≪あとじさ≫った。

 すると、蜘蛛の女性もまた、ぴくりと動きを止め、震えだした。

「梅子……怒ってるんか? それとも、うちが……怖いんか?」

 初名の頬を伝う真っ白な手は、力なく震えていた。まるで、彼女の方が怖がっているようだった。そして、悲しんでいるようだった。その手を、初名は払いのけることが出来なかった。

 この女性が、初名を誰かと間違えていることは明白だった。だが、今回は見知らぬ他人に間違われているのではなかったのだ。

「梅子」の名を呼んで悲しそうに肩を震わせる女性を、初名はじっと見据えた。

「怒ってません。それに、怖くもありません」

「……ホンマに?」

 顔を上げた女性は、涙で瞳をにじませていた。初名の言葉にほんの少し希望を見いだしたようだ。

 その希望を砕くようでほんの少し気が引けたが、初名は、はっきりと告げた。

「私は『小阪初名』です。『梅子』じゃ、ありません」

 そう告げた瞬間の女性の顔は、何とも形容しがたかった。悲しそうであり、驚いたようであり、落胆したようであり、でも同時に安堵したような……様々な感情が、そこに混在していた。

「そう……間違えてしもたわ。ごめんね」

 そう言って、するりと下げた手を、初名が掴み返した。驚いて見返す女性に、初名はさらに告げた。

「あの……『梅子』って、もしかして……『青山梅子』じゃないですか?」

「そうやけど……なんで?」

「『青山梅子』は、私の祖母です」 


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