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大阪梅田あやかし横丁~地下迷宮のさがしもの~  作者: 真鳥カノ
其の四 涙雨のあとは
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あなたに、傘を

 横丁の天井で照らしているようなぼんやりとした灯りから、くっきりと眩しい光が見えてきた。明るくなってくると共に、老人の表情も呆然としていたものから、徐々に意識をはっきりと持ったものに変わり始めた。

 旧泉の広場の展示が目に入ると、人間の世界に戻ったのだと、感じた。

「ごめんなぁ、迷惑かけてしもうて」

「いえ……」

 横丁の出口から、地上への出口階段までを歩く間、老人はひたすら初名に詫びていた。

 壊れた人形のように、何度も何度も頭を下げていた。だが、歩く足取りは、横丁に向かっていた時よりもよほどしっかりとしていた。

 地上への階段を上る際には、老人は初名の介助は必要ないとまで言った。

 片方の腕で杖をつき、1段ずつしっかりと踏みしめる老人は、もはや神社で見かけた時のか弱い老人の姿ではなかった。

 だがそれでも、地上に続く階段の前に立つと、ほんの少し躊躇した。外は、雨が降っていた。降りしきる雨を見つめるその姿は、初名が初めて見た時よりもいっそう小さく見えた。

「ほな、これで……もう、ここへは来ませんよって」

「ち、ちょっと待ってください。ちょっとだけ、ここで待っててくれませんか」

 初名の言葉に、老人は戸惑いながら頷いた。

 それを見て、初名は地下街の店に向けて走った。旧泉の広場を抜け、イーストモールを走り抜け、案内板の少し先にあるドラッグストアに駆け込み、大急ぎで戻った。

 元の場所に、老人は所在なさげに立っていた。そんな老人に、初名は手にしたものを差し出した。

「傘……濡れちゃうので」

「ああ……ありがとうなぁ」

 初名が差し出したビニール傘を手に、老人はぺこりと頭を下げた。顔を上げた老人は、ほんの少しだけ考え込んだ。

 そして、唇をかみしめると、初名に向き合った。

「一言だけ。あのお二人に、『ごちそうさん』て伝えてもらえまへんやろか?」

「……はい」

 初名が戸惑いながらも頷くと、老人は今度こそにっこりと笑って、手を振った。

「おおきに。ほな」

 老人は、そう告げてくるりと向きを変えた。そして土砂降りの街の中へ、ゆっくりゆっくり歩いて行った。

 初名は、その後姿をずっと見守っていた。老人の小さな姿が見えなくなるまで、いつまでも。

 大粒の雨が、視界を遮る。

 いつもなら華やかで賑やかなこの街を、薄暗がりと雨音が塗り替えている。

 老人の姿も、そんな雨の向こうへと消えていった。まるで、一時だけ降る激しい夕立が、すべてを洗い流したかのように。

(これだけ激しい雨でも、犯した罪は消え去りはしないんだ)

 初名は老人と風見の言葉を思い返して、そう感じていた。

 ふと、一歩踏み出していた。

 一年中快適に調整された空間から踏み出すと、そこは梅雨の雨と、じっとりと湿気を帯びた空気と、夏に近い暑さが同時に纏わりついて来た。

 琴子と礼司は、こんな雨の中死んだ。あの子も、こんな雨の日に苦しんでいた。

 きゅっと目を瞑ると、瞼にまで冷たい雨が落ちてきた。だが次の瞬間、雨の感触がふわりと消えた。

 目を開けると、目の前には見慣れた傘があった。差しているのは、自分よりも小さな少年だった。

「濡れてまうよ」

 その少年……清友は、先日初名が差し出した傘を、同じように差してくれていた。

「ありがとう……でも、いいよ。持っていて。ここから神社まで、また濡れちゃうよ」

「……僕があの神社に帰るって、何でわかったん?」

「……何となく」

 濡れた頬や額を拭いながら、初名は答えた。こみ上げてきていた思いを、ぐっと抑え込むことができて、内心はほっとしていた。

「私は地下で傘を買えるから、持って行って。また今度、返してもらいに行くから」

 何とか笑顔を作ってそう言うと、清友はじっと初名の顔を見上げたまま黙り込んだ。気のせいか、その瞳が、ほんの少し悲しそうに見えた。

「君は、いつも傘を差してくれるなぁ」

「え?」

 清友の瞳が、瞬き一つせず。まっすぐに初名の瞳を覗き込んでいる。初名は、清友の瞳を介して、今の自分の姿を見た。ほんのわずかな間に、情けないほどにずぶ濡れになっている自分を。

「必要としている人に、君は必ず傘をくれる。僕にも、あの老人にも、弥次郎にも、辰三にも。きっと……風見にも」

「ど、どういうこと……ですか?」

 清友は、その問いには答えず、ただにこりと笑った。

「覚えといて。君に傘を差してあげられる者も、必ずいる。その時は、迷わずにその手をとってな」

 そう、囁くように言うと、清友はふわりと初名に傘を手渡した。

 もう一度清友に渡そうと前を向いたその時ーー雨は、止んでいた。いつの間にか、空は晴れていた。

 どんな雨も、止まないはずがない。そう伝えているようだった。

 あの老人の雨は、いつか、止むだろうか。


 初名はそう考えたものの、すぐに振り返り、地下街へと戻っていった。


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