温かなコーヒー
カウンターの向こうの調理台であれこれ準備をする琴子の様子を確認した初名は、老人の顔を窺い見た。心配していたよりも、ずっと穏やかな顔だった。
「あの人は……綺麗やなぁ。ああして、誰かに料理を振る舞う時、誰よりも可愛らしゅうて、綺麗で……菩薩様のようや」
穏やかだが、どこか震えた声で、老人はそう言った。
カウンターで料理を温めている姿を見つめる瞳に、老人の想いがにじみ出ているように初名は感じていた。
そんな忙しそうにしている琴子を横切って、歩いてくる人影があった。
琴子よりも頭一つ大きな男性だ。常に引き締めたような表情でいて、口数も少ない、古豪のような空気を纏った男性……礼司だ。
琴子が『うちの人』と嬉しそうに称した、彼女の夫だ。
その礼司が、湯気をたてるコーヒーカップを載せた盆を携えて、老人の前に立った。
「お待たせしました。コーヒーです」
老人の視線が、鋭く、怪しく、光ったように見えた。
カタン、とカップを乗せたソーサーが小さな音を立てた。
真っ白なカップの中に黒いコーヒー、そこからまた白い湯気が昇り、温かさと芳ばしい香りを運ぶ。
真っ黒な水面に映る自分の顔を、老人はじっと見つめていた。すると、小さく息をついて、カップを手にした。
そっと顔に近づけ、香りをくゆらせると、口元に運んで小さくすすった。ごくりとのど元を通り過ぎると、ふぅと息を吐き出した。
その様子を、風見も初名も、礼司も、何も言わず見守っていた。
「……美味しいなぁ」
「ありがとうございます」
礼司は、普段は口数は少ないが、客からの感想には即答する。折り目正しいお辞儀をする様を見て、老人はほんの少し眉を下げた。その表情が少し悲しそうで、礼司は戸惑ったようだった。
「そうやった。あんさんの淹れるコーヒーは、ホンマに美味しいんやったなぁ」
「……え?」
礼司が尋ね返すよりも早く、老人はもう一口、コーヒーをすすった。飲み込んだらもう一口、もう一口……。話す間もなく、あっという間に、カップは空になった。
「ごちそうさんでした」
「どうも」
老人が頭を下げると、礼司もお辞儀を返してカップを下げた。
その顔をのぞき込んで、老人は唇を噛みしめていた。膝に置いた掌をぎゅっと握りしめ、息を吸い込んで、思い切ったように、奥へ下がろうとする礼司へ向けて声をかけた。
「あの……」
「はい?」
礼司が振り返ったことで、老人は一瞬ひるんだ。だが、震えを堪えて、もう一度声を発した。
「あんさん……あんさんは、昔……!」
「おまちどおさんです~」
老人の声を遮る形で、琴子の声が近づいて来た。
見ると、老人の頼んだ定食の盆を抱えた琴子が、にこにこして立っていた。
「はい、お好み定食です。ご飯とお味噌汁はおかわりできますから」
「はぁ……どうも」
「どないしはったんです? 別のおかずにしましょか?」
琴子が心配そうに老人の顔を覗き込んだ。老人は、心配ないと言いたげに慌てて箸をとったが、礼司までが一歩踏み込んで老人を見つめてきた。
「あの、失礼ですがお客さん……」




