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大阪梅田あやかし横丁~地下迷宮のさがしもの~  作者: 真鳥カノ
其の四 涙雨のあとは
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『許してくれ』

 老人を見送った後も、その視線や声が頭から離れなかった。

 翌日になって、大学に行って授業を受けて……それでもあの老人のことがふとした拍子に脳裏に甦る。

 会いたい、と言う気持ちは理解できた。自分にも、会いたい人がいる。

 初名は授業の終わりに、ある人に声を掛けるのが日課のようになっていた。その人は、よく同じ教室で授業を受ける同級生だった。

「あの……笹野さん」

「……なに?」

 笹野という女子は、睨むように初名を見上げた。好感を持たれていないことは確かだ。

「ちょっと聞いて欲しい話が……」

「どうせ、剣道部に連れていけって話やろ? 嫌やから」

 笹野はノートを鞄に詰め込んで立ち上がった。初名を視界に入れないようにしながら、歩き去ろうとする。

 いつも同じことを頼み込むうち、話を聞くことすら億劫になったらしい。とりつく島など、つくらないようになってしまった。

「どうしても、ダメ……ですか」

 か細い声でそう呟くと、笹野の動きがかろうじて止まった。そしてくるりと振り返った。

 その顔に浮かぶのは、憤りと苛立ちと嫌悪と……とにかくあらゆる悪感情が籠もっていた。

「何なん? 被害者ヅラせんといて。だいたい、あの子があんたに会いたいわけないやろ」

「そ、それはそうですけど……」

「わかってるんやったら、ええ加減諦めて。こっちの大学にまで来るて、ちょっと頭おかしいんちゃう?」

 笹野は今度こそ、初名を睨みつけて去って行った。周囲がそのやりとりに戸惑う中、初名はまだ立ち尽くしていた。

 ああ言われることはわかっていた。あの老人は愛しい人を必死に追い求めているのに対して、自分はただの自己満足だ。

 だがそれでも、言わずにおれない。

「あの子に、会わせてください……!」

 初名のその言葉をきく者は、この場にはもういない。行く先をなくした言葉は、ゆらりと揺蕩った後、風の中に溶けていった。


******


「次は、梅田。梅田です」

 アナウンスが響くと、電車に乗っている人たちはそろそろと降りる準備を始める。そんな中で、初名一人、呆然として席に座ったままだった。

 笹野に言われたこと、あの老人の言っていたこと、色々なことが頭の中で混ざり合っていた。

『……許してくれ』

 そう言った老人が、今の自分と同じに思えて、ならなかった。

 ふと、人目につかないように袖をまくった。腕には、指の形がくっきりと浮かび上がっていた。あの老人に掴まれた箇所がそのまま痣になっていた。あの時の力加減からして、当然と思われた。ただ、夏に近づいて気温が高くなっているこの時期に長袖のカーディガンを着る羽目になった。それだけが少しつらい。

 だがその程度だ。

 自分は何も痛くない。自分が感じる痛みなど、大したことはない。

「あの子に比べれば……」

 そう呟いて、初名は袖を元通りに戻した。ちょうど電車は阪急梅田のホームに到着した。初名は鞄を抱え直し、他の人の流れに従って電車を降りた。

 梅田駅は大きなターミナル駅になっている。そこに帰着する路線は三本。それぞれに三つホームがあり、一時に五台以上の電車が集結している時もある。そこから降りる人々が改札をくぐると、合わさって驚くほどの数になる。

 初名は東京の方で慣れていたつもりだったが、やはり不慣れな場所で人の波に揉まれるのは骨が折れるものだった。

 だが最近は、ようやく道がわかってきたところだ。

 人の波に飲まれないように注意しながらエスカレーターに乗り、まっすぐに次の乗換駅に向かった。その途中に通過する場所は、年中快適な空間を維持する場所。今の初名にとっては、ちょっと一息つけるかもしれない場所だった。

 百貨店の前を抜けて再びエスカレーターに乗ると、目の前にはきらびやかな地下の街が広がっていた。相変わらず、地上の街となんら遜色ない場所だ。

 活気があって、きれいで、嫌なことなど忘れてしまいそうだ。

 だが初名は頭を振って、そんな思いを振り払った。この”嫌なこと”は、忘れてはならない。

 快適な空間ではあるが、そんな気持ちになるならここにいては毒だ。そう思い、初名は歩を速めた。

 と、そこに衝撃が走った。腕をしっかりと掴まれて、進めなくなったのだ。

「ちょっと待ち」

 聞き慣れた声も、同時に聞こえた。昨日も聞いた声だから、間違いない。初名はなるべく振り返らないようにしたかった。だがしかし、声の主はそんなこと、構いやしない。

「そのまま帰らん方がええで。ちょっとこっち|来≪き≫ぃ」

 そう言って、声の主が腕を引っ張るものだから、初名はつられて振り返ってしまった。すると、予想通りの人物が立って、初名のことを見下ろしていた。

 顔に包帯を巻き付けた、辰三が。

「き、今日は落とし物はしてないと思いますけど」

「そんなん、どうでもええ。これ、どないしてん?」

 そう言うと、辰三は初名のカーディガンの袖をまくった。五本の痣が、くっきりと見える。

「な、何でわかったんですか。見えたんですか?」

「見えたで。もう片方の腕も、はっきり見えるわ。真っ黒いもんがベットリついとる」

「……真っ黒い?」

 初名には、青黒くなった痣にしか見えないのだが、辰三は真っ黒いと言う。その表現は、確か以前にも聞いた。辰三がそう言うときは、それは”怨念”を指すはずだ。

「そんな……これは昨日、おじいさんが掴んだ時のもので……」

「おじいさんねぇ」

 辰三の包帯の隙間からのぞく瞳が、鋭く光る。そして初名の腕を掴んだまま歩き出した。

「とりあえず、おいで。話、聞かせてもらおか」

「話ですか? そんな、私は何も……」

 辰三はそれ以上の反論を認めず、黙ったまま初名をぐいぐい引っ張って、暗く長い階段を降りていった。


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