鬼の不便
「鬼……で、でも角とかないですよ?」
「……ないとアカンの?」
「いや、別にアカンことはないですけど……」
「あの真っ黒い怨念のもやを喰うたんは僕やで。散々見たくせに何言うとんねん」
呆れたように、辰三は言い放った。
だが初名は信じられなかった。目の前で団子を頬張る辰三が、ジェラートをあっという間に平らげた辰三が、人の死体を喰らって動いているという事実が。
同時に、頭の隅に思い浮かんでもいる。先日や先ほど、彼が怨念と呼ぶ真っ黒なもやをぱくりと食べてしまった光景が。
そしてもう一つ、先ほどの言葉もまた、浮かんでいた。
『僕は、そういう顔を見たいねん』
そう、言っていた言葉が。
「死体を……乗っ取ったってことですか?」
必死に頭の中を整理して、ようやく尋ねた。まともに返されると思っていなかったのか、辰三はわずかに驚いた顔をした。
「まぁ、そうやな。そやからこうして動いとるけど、死体は死体やから。人に見せるもんでもないからああして隠しとったんや。それやのに、こっちの方がええて……珍しいわぁ」
初名は、そう言われても絶対に自分の感覚の方が一般的であると自信があった。だが今はそんなことよりも、他のことが気になっていた。
「体を乗っ取った後、どうしたんですか?」
「どうって?」
辰三は眉をしかめた。
初名は、先ほどから聞いていた話と照らし合わせて考えると、どうしても、辰三を怖いと思えなくなっていた。
「家族が、甘いものが好きって言ってましたよね? どうしてわかるんですか? 美味しいって言ってる顔が見たいって言ってたじゃないですか。いったい、誰の顔なんですか?」
「聞いてどうするん?」
「どう……するかは考えてないです。ただ、怖くないぞーって言いたいっていうか……」
それを聞いた辰三は、しばし目を瞬かせていた。
自分でもしまらない答えだとわかっていた初名は、その反応を見て、徐々に恥ずかしくなってきた。じっと見つめられて、初名はだんだん顔が赤くなっていくのを感じていたのだった。
ついに耐えかねて俯いてしまったその時、何か吹き出す声が聞こえた。
「ハハハハ、怖くないか! これだけ言うても怖くないんか」
見たことないぐらいに、辰三が笑っていた。数度会っただけではあるが、いつでも飄々としているか、声が大きいと窘められるか、どちらかだった。
しかも今見せている笑いは、皮肉も何もなく、何やら愉快そうであった。
「私、何かおかしなこと言いました?」
「そら可笑しいわ。鬼に向かって怖くないって言い張りたいって……なんやねんな、それ」
辰三はそう言うと、残っていた団子をぱくりと飲み込んだ。空になった串を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「この体に憑りついて、色々見えてん。この体の主に家族がおるとか、何で暮らしを立てとったとか、どんなに幸せやったか……とかな」
「その人も、甘いものが好きだったんですか?」
「家族の中で一番な」
辰三はクスリと笑った。
「あの日も、天神さんにお参りに行った帰りに家族に桜餅とか買うてたわ。皆が好きやから、言うて」
「辰三さんは、それを家族に届けるために行ったんですね」
「桜餅だけちゃうで。稼ぎの入った巾着があったから、それも届けなアカンやろ。そやからちょっとだけ顔出すだけ……それだけのつもりやったんやけど、思てたよりもずっとええ家族でなぁ。つい、もうちょっと一緒にいたいて思てしもたわ。そやけど……あの桜餅を、一緒に美味いて言えたら良かったなぁとは思うわ……もうずぅっと昔の話で、その家族も皆死んでしもてるから、今更何言うても、どうにもならんけどな」
言うだけなら、きっと出来ただろう。だけど心からそう思って、一緒に笑うことは辰三にはできなかった。辰三にとっては、”美味しい”と思うことができないのだから。




