”お礼”の”お礼”
「あの……聞いてもいいですか?」
「なに?」
「この周辺、詳しいんですか?」
「まぁだいたいは。よう歩いとるから」
その言葉は説得力があった。ここに来るまで、辰三は一度も天井近くの案内板を見ていなかった。周囲の様子を見ても、数分に一度は頭上をちらりと見る人が多い。一度も見ずに歩いている人は、そういないのではないだろうか。
「よく歩いてるって……何のために?」
「趣味と実益を兼ねた仕事のため」
「じ、実益……?」
初名は先日の様子を思い出し、思わず一歩退いた。
先日の指輪から溢れていたような黒いもやを探している、ということだろうか。そんな考えが、筒抜けになっていたようで、辰三は肩をすくめた。
「まぁそれも無くはないけども、一応職業は別や」
「し、職業?」
「『人形屋 万』いいます」
達三は肩から提げたずだ袋から名刺入れを取り出し、妙に恭しく一枚差し出した。
「ああ、入り口のところの……え、人形屋さん!?」
「声大きいねん」
「すみません……あそことお店が開店してるっていうイメージが結びつかなくて……」
ついでに達三と人形というイメージも結びつかなかったのだが……黙っておいた。
「君なぁ……僕らのこと何やと思てんねんな? 横丁の並び見たやろ。皆、何かしら店出して暮らしとるんや。やじさんの古道具屋とかな。この地下街は色んな店が入れ替わり立ち代わり入るから、色々と調達できて便利やねん。甘いもんの店も多いしな」
確かに、ここまで歩いただけでいくつもの店を通り過ぎてきた。雑貨屋もあれば花屋もあり、大手チェーンのドラッグストアや喫茶店も、宝飾店もアパレルショップもいくつもあった。ちょっと歩くだけで、だいたいのものは見つかりそうに思えた。
出口以外なら、見つかるのだ。そう考えると、少し違和感を感じた。
「そういえばさっき、迷わずにここまで来ましたよね? 道、わかるんですか?」
「当たり前やん。何回も歩いてるんやから」
「道がわかるんなら、どうして出られないんですか?」
「……風見さんが言うたことか?」
先日、横丁を訪れた時、風見は言っていた。自分たちは、あの横丁から出られないのだと。この地下街の迷路のような道に惑わされて、出口がわからなくなったのだと、そう言っていたのだ。
だから、この地下街ができて50年以上もの間、ずっとあの場所に留まっていると。
「でも道がわかるんなら出られるんじゃ?」
「道はわかるけども、出口はわからへんねん」
「どうしてですか?」
「さぁ? 僕もどこまで歩けるんか試したみたことあるんやけど、地下街の向こうへ行こうとすると、なんやこう……わからへんようになるねん」
「わからなくなる……ですか?」
辰三は頷くも、首をかしげて言葉を捻り出そうとしていた。説明に困っている様子だ。
「なんて言うたらええかな。急に混乱するっちゅうか……自分が今どこにおるんか、どこに行こうとしてるんか、今見えてる道はホンマに道なんか、わからんようになる。それで進めへんようになってまうんや」
前後不覚、と辰三は言った。それは、彼らが迷っているというよりも、何者かに阻まれているように初名には思えた。
だがこの地下街ができた経緯を考えれば、偶然というよりほかない。風見たちあやかしも、この地下街を作った人々も、お互いにそんなことになるとは知らず、不幸な偶然が重なってしまったのだろう。
「……でも、じゃあ風見さんがいつも迷ってるのも、そのせいなんですか?」
「あの人は真正の方向音痴やから、しゃあない」
「どっちにしろ、迷うってことですね」
「そういうこっちゃ。まぁはっきり言うて、キミが生れる前から僕らここで迷子やったから、もう慣れとんねん」
けろりとそう言う辰三の声は、明るいわけではなかったが、軽快だった。重苦しい空気を少しも感じさせない、心地よい響きだ。
いつの間にか、辰三の横顔をしっかりと見て話していたことに、ようやく気付いた。
「あれ、どないしたん? 僕の顔に何かついてるん?」
「い、いえ……もう一つ、聞いて良いですか?」
「なに?」
初名は、|そのこと≪・・・・≫について怖い以外に遠慮して聞こうとしなかった。だが今、意を決して聞いてみることにした。
「その……顔に包帯巻いてるのって、どうしてなんですか?」
初名が勢いよく、一気にそう言うと、達三の方は目をぱちくりさせて、さらりと答えた。
「顔見せるん恥ずかしいからに決まってるやん」




