7.雷が怖くて修道士に成りました。マルティン・ルターさん
雷が怖かったんです。唯それだけだったんです。だけど、世の中の作りを変えられるくらいまでに成りました。あの時の神の怒りには、応えられたでしょうか?
1505年。22歳の大学生だった頃のルターさんは、とてつもない雷雨に出くわし「聖アンナ。助けて下さい。修道士になりますから!」と叫びました。其処から修道士になる事を決意しました。
彼の生きていた時代はまだ自然現象(災害)が神の怒りであると捉えられており、ルター青年も「神が何かしらに怒っている。私は神に仕えなければならないのだ」と思ったようです。
両親の反対を無視して大学を辞めて修道士になってから、聖書を熟読し、その理解を深めました。司祭になりましたが、「自分のような弱く小さな人間が、巨大な神の前に立っても良いのか?」と言う神への畏怖から、位が上がっても心は落ち着かなかったようです。
修道士になる動機が「神の怒り(雷)が怖かったから」と言う所からの理由もあるのでしょう。社会のシステム的に「偉い人」には成ったけど、心底の恐怖を与える事で自分に修道士の道を示した「大いなる怒れる神」の前に立って、神の言葉を説かねばならないとなったら、それは凄いプレッシャーでしょうね。
だって、神様は子羊を愛していないんだもん。怒るんだもん。落雷と暴風雨で人間の頭をつんざくんだもんって、心の何処かでは思ってるんだから、怖いったらないだろう。
「どれだけ禁欲的に罪を犯さないように生きていても神の前では自分は義(正しいとは言えないもの)である」と言う風に、当時のルターさんが解釈していた聖パウロの思想も引っかかっていたようです。
司祭として暮らしている間、悩みを聞いてくれる役の司祭と話をしても、全く心は穏やかになりません。ですが、ある日、自分の心を静めてくれる考えに辿り着きます。
「人間は善行ではなく、信仰によってのみ義(sola fide)とされる。(善行によって神が人を義とするのではなく)信仰のみによって人を義とするのは、神の恵みである」と言う風に理解の仕方を変える事が出来たのです。
つまり、善行を行なったから善人である正しい人であると言うわけではなく、神を信じると言う心のみが「私は正しいわけではない。唯神を信じているだけだ」と言う自分を正しいと信じさせてくれると言う風に考え直せたわけです。
この辺りは少し解釈が難しかったのですが、日本語だと、「義」は、「人としての正しい道。道理にかなっている」と言う意味と、「実物の代用となるもの(=偽物)」と言う両方の意味があります。
ルターさんが葛藤した悩みを表すなら、「sola fide」を「義」と訳すのは合って居るかも。
発想が変わってから、聖書を読みなおす事で、ルターさんは人間の義化について理解が深まり、自信を得ることが出来ました。
宗教改革でよく知られるルターさんの武勇伝は、この後に始まります。
その頃の世間では、ブランデンブルグ選帝侯ヨアヒム1世の弟であるアルブレヒトが、「マクデブルク大司教位」と「ハルバーシュタット司教位」の二つの司教位を持っていました。そして、さらに選帝侯として政治的に権限のある「マインツ大司教位」を得ようと目論んでおりました。
本来、司教位は一人の人間が一つしか持つことができないのですが、アルブレヒトは、複数司教位を持つための特別許可を得るため、多額の献金を行なっていました。
つまりカネで地位を買っていたのです。中世のキリスト教社会にも、賄賂って言うのはあったわけです。
その献金(賄賂)を集めるために、アルブレヒトは、自領内で「サン・ピエトロ大聖堂建設献金のため」と言う名目で贖宥状の販売独占権を獲得し、贖宥状の販売促進のためにドミニコ会修道士などを説教師に任命していまた。
俗に言う、免罪符の販売権を独占したわけです。「教会建てっからよぉ。カネくれねぇか? それで罪が許されんだぜ?」って言うすごく胡散臭い商売の権利を独占したんです。
真心からの献金も、ちょっとは混ざっていたかも知れないけど、この独占商売を始めた時、アルブレヒト本人なのか、その周りの人なのかは、強力な宣伝文句を考えたんですね。「贖宥状を買う事で、煉獄の霊魂の償いが行なえる」と言う謳い文句です。
この宣伝文句を解説すると、「煉獄(現世を巡り続け生前の業を繰り返す地獄)にある魂が、本来の贖罪に必要な秘跡(許しを得るための儀式)の授与や悔い改め無しに、贖宥状を買うだけで罪の償いが軽減される」と言っているわけです。先にも書いた通り、キリスト教の教えや信仰に忠実でなくても、カネを払うと罪が償えると言う意味の宣伝文句だったんです。
ルターさんはそんな風に献金を集めるお偉いさんに、燃えたぎる怒りを抱いたわけですね。
贖宥状を買うカネを払えば罪が許されるとするのを、「(贖宥状を買うと言う)善行によって善人である正しい人であるとされるわけではない」と発想し、先の宣伝文句を贖宥状の濫用であると考えたそうです。
実は、ルターさんが異論を唱える前に、アルブレヒトは「マインツ大司教」になっていたのですが、簡単に収入が得られることに味を占めたのか、贖宥状販売は相変わらず続けていました。
目的を達成しても、「楽で儲かる商売」に手を染めてしまったアルブレヒトは、人間としては堕落して行ってしまったんでしょうね。
ルターさんはそんな贖宥状販売(濫用)の継続に関して、「95か条の論題」を発表します。
其処から端を発し、後々にプロテスタントと言う新しいキリスト教の在り方が形成されます。これが教科書で習う宗教改革です。
ルターさん本人は、色んな社会・宗教活動に取り組みながら、終生ヴィッテンベルク大学で聖書講義を続けていて、1546年(当時62歳)に生まれ故郷のアイスレーベンで死去し、ヴィッテンベルク城教会内に埋葬されました。
司教は独身生活をするものなのですが、結婚を肯定的に捉える考え方に変わり、42歳で元修道女の女性と結婚して子供を作って、愛妻の手料理をお腹いっぱい食べて太って病気に成ったりしていたようで、なんとも満たされた生涯を送ったのではないでしょうか。