5.哲人じゃないけど色々と民衆にアイサレタ「暴君」ネロ君
人間不信や苛立ちに駆られて暗殺や殺人を続けたら歴史的に冤罪までかけられました。
彼のお母さんである、アグリッピナと言う野心家の女性が居たのですが、この方が色々と仕組んだ後、最終的に先帝を毒殺した事で、アグリッピナの息子で十六歳だった青年ネロ君は、ローマ皇帝になりました。
アグリッピナ母ちゃんが、流刑に遭っていた哲学者のセネカと言う人物をローマに呼び戻してネロ君の家庭教師にして、その他にもいろんな周りの人に支えられて、十六歳の青年は「良き皇帝になろう」と頑張りました。そして、五年の月日が流れ、彼は二十一歳になりました。
剣闘士の闘う闘技場を建設したり、そこで実際に剣闘士同士の戦いを無料で見物できるようにしたり、自分を音楽家であると自負していたので、大規模な音楽祭を主宰して歌を披露したりしていたそうです。
当時のローマは「パンとサーカス」と言われるくらい、食事と娯楽が必要だったのと、それを手軽に手に入れさせる王こそが良き皇帝であると民衆には思われており、ネロ君は一躍人気者になります。ネロと言う人が元々目立ちたがり屋で派手好きだったので、大きな催し物を行なう事に情熱を燃やすタイプだった彼の気質と世論が嚙み合っていたんでしょう。
しかし、民衆の意見と政治の意見は嚙み合わないのが常ですから、ネロ君の側近達は、あんまり「派手に見世物を主催したがる王」を快く思ってなかったようです。
で、同時期にグレートマザーであるアグリッピナ母ちゃんが、政治に色々と口を出すようになってきました。人間は年を取ると体が動かない分、口だけ動くようになるんですけど、その様相が表れたのでしょう。その母ちゃんの「私の都合のいいように政治を運営しなさい活動」が、あまりにうるさいので、ネロ君は母親の暗殺を考えます。
最初は、船での事故死に見せかけようとしたんですが、アグリッピナ母ちゃんは泳いで岸まで辿り着いてしまいます。そして別荘に逃れた所を、「あいつ生きてるんか」と知ったネロ君の放った刺客によって殺さてしまいました。
その後、ネロ君は色んな人を暗殺しました。あんまり殺人についてばかり書いても仕方ないので省きますが。自分の言動に口を出してきたり影響して来ようとする、(信用のならない)都合の悪い人間を、古代ローマの政治家がどの様に片付けるかと言うと、「暗殺」って言う事になるんだと思います。
ネロ君に関しては、奥さんも堂々と殺しております。オクタウィアと言う最初の妻は「不義(不倫をしていると言う事)」の冤罪をかけられて処刑されました。次の妻のポッパエアは、妊娠中に「お前イラつくんじゃい」ってなったネロ君に腹を蹴られて流産したことが原因で亡くなりました。
そんな暴君なネロ君ですが、皇帝として、ちゃんと仕事もしていました。ユダヤ人の「クレストス」と言う名の、世の中に騒ぎを起こして秩序の乱れをもくろむ輩が居たんですけど、そのクレストス含む舎弟達が暴れるのを取り締まれと命令を出してたんです。この事が、後にタキトゥスと言う名の一人の歴史学者によって、「キリスト教徒迫害」のドラマに仕立て上げられてしまいます。
ネロ君が生きていた当時のローマにはほとんどキリスト教徒も居ないし、ユダヤ教と区別もほとんどついていないマイナーな宗教だったそうで、迫害されるほど有名でも無かったんですって。
タキトゥスが歴史書を書いたのは、ネロ君が生きていた頃から五十年後の事で、子供の頃の記憶を思い出し思い出し書いてたっぽいんです。そこで、「クレストス(複数形:クレスティアー二)」と「クリストス(複数形:クリスティアーニ)」とを聞き間違えたんじゃないかと言う疑いはぬぐい切れないのです。
おまけに、「ネロ帝がキリスト教徒(クリスティアーニ?)を一掃しろと命じた」的な事が書いてある当時の歴史書は、タキトゥスの「五十年前の少年だった僕の思い出集」の中にしか出てこないって言うんだから、信憑性が無いことこの上ない。
ネロ君の人生としては、ローマ中に「ネロはお母ん殺したんやで」って言うラクガキがされたのと、ローマの近郊に在中していた軍が反旗を翻したと言う事で、「あ。俺殺されるんやな」と察しての自殺で幕を閉じました。紀元後三十七年から六十八年の間の、三十一年の生涯でした。
ローマ大火から来る一連の寸劇を知らない人のために補足します。
西暦六十四年のローマで大火事がありました。この事件に関しては色んな民衆が色んなことを言ってるんですけど、総じて「ネロが放火をしたんだ」って言う風評が広まったんですね。ネロがローマを好き勝手に造り替えようとしたから火を放ったのだとか、ネロは火事の様子を観ながらバイオリン?を弾いてたとか、とにかく変な噂が蔓延しました。
その噂を、ネロが「俺そんなことしてへんがな。キリスト教徒がやったんがな」って言って、キリスト教徒弾圧を始めたと言うのが、今日のキリスト教圏と、一般的な方法で歴史を調べようとする人で通説とされている話です。
その後、キリスト教は世界的な宗教になるので、キリスト教と言う歴史を作るにあたって「大いなる敵」の存在があるドラマが必要だったと言う事なのでしょう。
ネロ君は、イラっとしただけで流産するほど強く妊婦の腹を蹴る人なので、「キリストに反する大いなる敵役」として打って付けだと思われたんじゃないですかね。
冤罪を着せられたところで、彼が反省するとは思えない。何せ、ネロ君は死ぬときに「なんと、偉大な芸術家が失われる事か…」とのたまったそうなので。