8.モテたが故に煮込まれました。トマス・アクィナスさん
千二百二十五年頃。南イタリアの貴族の家に生まれました。
両親の家系が大分良い感じで、母親のテオドラさんは神聖ローマ帝国のホーリエンシュタウフェン家に連なる血筋。父親はランドルフ伯だったそうです。
父屋の居城で生まれたんですが、場所は、ナポリ王国アクイーノ近郊の「ロッカセッカ城」であると考えられてるそうです。
言いにくい名前のお城に住んでいたものです。
伯父のシニバルドと言う人物が、モンテ・カッシーノ修道院の院長をしていたので、トマスも伯父の後を継ぐことを期待されていました。
修道院で高位聖職者になると言うのは、貴族の子息にありがちなキャリアだと言う事です。
五歳の頃から修道院に預けられたトマスは、ナポリ大学を卒業するまで学び、両親の期待を裏切って……(別に裏切っても良いじゃないと思うけど、中世の時代に親を裏切ると言うのは、相当大事件だったんでしょうね)、ドミニコ会に入会しました。
ドミニコ会は、中世初期の教会制度への挑戦と言える新機軸を打ち出した修道会で、フランシスコ会と共に学会をリードする存在でありました。
家族はトマスがドミニコ会に入るのを好ましく思っておらず、強制的にサン・ジョバンニ城の家族の元に連れ帰り、一年間以上そこで軟禁され、翻意を促されました。
しかし、揺るがぬトマスさんの意思に家族も折れて、ドミニコ会に入会する事は許されたのです。
トマスさんはケルンで勉強して、生涯の師と仰ぐアルベルトゥス・マグヌスと出会います。千二百四十四年頃の事とされています。当時トマスさん、十九歳。
翌年にはアルベルトゥス共にパリ大学に行き、三年間を過ごしました。
千二百四十八年、再び二人はケルンに戻ります。
アルベルトゥスの思考法や学問スタイルはトマスに大変影響を与え、トマスがアリストテレス手法を進学に導入するきっかけに成りました。
当時の考え方としては、人間が「生物を真似た物を作る」のは悪魔的だとされていました。
アルベルトゥスが「自動機械」と言う物があるんだってさーと述べたら、当時の人としては当たり前のように聖なる物と悪なる物を区別していたトマスさんは、「自動機械」を悪魔的だと批判したそうです。
トマスさんは師匠より頭が固かったと見えます。
千二百五十二年。ドミニコ会から教授候補として推薦を受け、パリに行きました。規定通りに、講師として数年間講義を行なう事で学位(教授認可)を得ようとしましたが、当時パリ大学の教授会は托鉢修道士に対して敵意があり、学位取得は長引いたそうです。
四年後の、千二百五十六年には学位を取得し、パリ大学神学部教授となりました。
翌年には正式に教授会に迎えられ、その二年後にはヴェランシエンヌで行われたドミニコ会総会に代表として出席しました。
千二百五十九年にパリ大学を辞任してから、ドミニコ会修道院で教鞭をとり、教皇からのお願いで聖書註解や神学研究を来ない、千二千六十五年にはドミニコ会の命で、ローマのサンタ・サビーナ聖堂で神学大学を設立しました。
その後、再びパリ大学の教授に成って、色んな派閥と論争を繰り広げました。
トマスさんの外見的特徴としては、非常に太った大柄な人物で、色黒であり頭は禿げ気味だったそうです。ですが、所作の端々に育ちの良さが現れており、親しみやすい人柄だったと記録されています。
議論の時も、非常に冷静で、論争者達も人柄にほれ込むほどでありました。
記憶力が卓抜で、研究に没頭すると我を忘れるほど集中していたそうです。
トマスさんが話始めると、その理論の分かりやすさと正確さによって、強い印象を与えていました。
千二百七十四年。トマスさん四十九歳の時。
教皇からの命で、第二リヨン公会議への出席を要請されました。トマスさんは健康状態が悪かったけど、ナポリからリヨンに向かいました。道中、健康状態を害し、フォッサノヴァのシトー会修道院で世を去りました。千二百七十四年の三月七日の事でした。
トマスさんはドミニコ会修道会で最期を迎えたいと言って居たけど、間に合わなかったみたいですね。
シトー会士達は、遺体をドミニコ会に渡すまいと、棺を修道院の中に隠し、遺体の頭を切り離し、骨だけにするために遺体を煮込むなどを行なった、と言われています。
教皇の命令で、千三百六十九年になってから遺体がドミニコ会に引き渡されました。九十五年間もシトー会は粘ったわけです。
トマスの遺骨は、フランス・トゥールーズの教会に存在します。
生きていた時も人を惹きつける方だったようですが、死んでからもDoctor Angelicus(神の使いのような博士)と呼ばれました。
千三百十九年には列聖調査が始められ、千三百二十三年には列聖が宣言されて、聖人に成りました。
トマスさんは「異会の同士にもモテたが故に遺体を煮られた事」以外は、そんなに変な人でもなかったみたいですね。
何より怖いのは過激なファンと言う事でしょうか。




