クモ座の劣等星④
カツン、カツン、カツン……。
靴の音が、広い廊下に反響する。
私と生徒会長の足音が、静かな空間にポツポツ響く。
保健室は1階の真ん中。
そんな遠くないはずなのに、さっきの教室でのことが頭をグルグルして、心も体もヘトヘト。
足が、なんか砂袋みたいに重い。
「本来ならば、桜丘さんを誹謗中傷したり、画鋲を置いた彼らを、侮辱罪や傷害罪で訴えることは可能です。」
右側から、キリッとした声。
ビクッとして、恐る恐る視線を上げる。
生徒会長が、すぐ隣を歩いてる。
「ですが、証拠が不十分で、なおかつ犯人が特定できない今のままですと敗訴になるでしょう。」
彼女の声、冷静で、なんか法律の本を読んでるみたい。
顔をチラッと見ると、黒い革靴に真っ黒なタイツ、すらっと長い脚。
私よりちょっと背が高くて、制服は黒いリボンまでピシッとシワなし。
モカブラウンの髪は、歪みゼロのお団子ヘア。
茶色のつり目、薄いフレームのない眼鏡。
思ったより冷たくない、知的で大人っぽいお姉さんって感じ。
普段、遠くから声聞くか、チラ見するくらいだったから、こんな近くで見たの、初めてかも。
窓から差し込む光が、黒白さんの髪に深い影を落とす。
その影が、彼女の真面目な表情を、なんかもっと厳しく、深く見せる。
まるで、遠くの何かを見てるみたい。
私、なんか言わなきゃ。
せめて、お礼くらい……。
「あ、あの、セイトカ――」
「桜丘さん、私の名前は黒白です。」
キッとした声と鋭い視線に、ビクッ!
逃げたい気持ちと、逃げちゃダメって気持ちがガチンコ。
結局、黒い靴に視線を落としちゃう。
うわ、失敗……。
クラス替え何度かあったけど、8ヶ月、240日も同じクラスなのに、黒白さんの名前、ちゃんと覚えてなかった。
よりによって、生徒会長の名前を!
バレちゃった……。
「ご、ごめんなさい、こ、黒白、さん……。」
黙ってると失礼だから、必死で謝って名前を呼ぶ。
でも、声がガタガタ震える。
黒白さんが、やれやれって感じで小さくため息。
「貴女、特別待遇の生徒なのに、もっと堂々としないと……この先、苦労しますよ?」
その言葉、胸にズキッと刺さる。
目を合わせられず、ただコクコク頷く。
わかってる、黙ってても何も変わらないって。
でも、さっきみたいなことが起きるの、怖くて、どうしたらいいかわからない。
クラスのみんな、言葉が通じない。
分かり合うなんて、ずっと前に諦めた。
だから、誰とも話さず、顔も見ず、選挙が終わるのを願って、避けてきた。
そうやって逃げてたら、いつの間にか、チャイムギリギリの登校が当たり前。
だから、嫌われて、いじめられて、差別されても、仕方ないのかも……。
このままじゃダメ、わかってる。
でも、私一人じゃ無理だよ。
せめて、まーちゃんがいてくれたら――。
「私は生徒会長として、法を犯さない限り、みんなを平等に扱う義務があります。それは桜丘さん、貴女も例外ではありません。」
ハッとして、黒白さんの横顔にチラッと視線をやる。
え、それって、私も平等に扱ってくれるってこと?
心がグラグラ揺れる。
黒白さんの言葉、ただの決まり文句?
それとも、私のこと、ちょっとでもわかってくれる?
疑問と、ほんの少しの希望が、胸の中で混ざり合う。
黒白さんは、歩みを止めず、廊下の先を――いや、もっと遠くを見てるみたい。
その瞳、なんか、町の紅い鳥居みたいに、静かで、でも重い。
いつか、黒白さんが、まーちゃんみたいなお友達になってくれたら、いいな。
そんな小さな希望が、胸にポッと灯る。
「ベッド、空いてますね。」
考え込んでたら、いつの間にか保健室の入り口。
黒白さんが、教室と同じクリーム色の引き戸をガラッと開けて、中を確認してる。
手招きされて、恐る恐る入る。
左手側に、白いカーテンで囲まれたベッドが二つ。
奥は閉まってて、手前はカーテンが開いてる。
白いシングルベッドが、ポツンと待ってる。
「私は教室に戻りますが、大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう、ございます……!」
慌ててお礼を言う。
「いえ、私は生徒会長として当然の事をしただけです。」
そう真面目に答えたけれど、黒白さん、ちょっとだけ微笑んだ?
いや、気のせいかな。
手前のベッドに近づき、黒い靴をポイッと脱ぐ。
膝から寝台に上がり、白いシーツと分厚い掛け布団の間に、つま先から肩までスルッと滑り込む。
白い枕に頭を乗せて、脚を伸ばす。
保健室のベッド、家のベッドより硬い。
掛け布団、ズッシリ重くて、ちょっとザラッとしてヒンヤリ。
なんか、冷たい空気が体に染みる。
「では。」
黒白さんが、軽く手を振って保健室を出る。
その背中を見送りながら、クラスのみんなのことを思い出す。
今日も、悪口の嵐。
心、ズタズタにされた。
でも、私も同じ生徒。
こんなことで、折れちゃダメだよね。
特別待遇なんだから、もっと堂々としないと。
黒白さんの言う通り、胸張ってなきゃ。
「でも……。」
やっぱり、怖い。
そんなの、最初からできてたら、苦労しないよ。
仰向けになって、真っ白な天井を見つめる。
染み一つない白。
教室のガヤガヤと違って、静かすぎる。
この白、なんか、昨日のまーちゃんの血を思い出す。
紅い瞳、蝶々に変わった姿。
ゾッとして、ギュッと目を閉じる。
早く、学校終わらないかな……。
まぶたが重くなる。
意識が、スーッと遠のく。
でも、胸の奥、なんかチクチクする。
この保健室、静かすぎて、逆に怖い。
まーちゃん、どこにいるの?