クモ座の劣等星③
ガラガラ……
引き戸を恐る恐る開けた瞬間――
「ヒキガエル、来たぞ!」
声変わりしたばかりみたいな、悪意たっぷりの男の声が教室に響く。
その奇声に、教室中の女子も男子も一斉に私を振り返る。
鋭い視線が、まるで矢みたいにビシビシ刺さる。
恥ずかしさで体が縮こまり、思わず俯いちゃう。
顔がカーッと熱くなって、足元しか見えない。
「ヒキガエル」――それ、私のこと。
意地悪な男子たちが、私をそう呼ぶの。
心の準備してたつもりなのに、入った途端に大声でやられて、胸がズキッと痛む。
すると、近くの席の女子が、頬杖ついて、ゾワゾワ絡みつくような声で言う。
「時間過ぎても学校に入れて貰えるなんて、特別待遇様はいいよねぇ~!」
言い返す言葉、浮かばない。
何か言っても、みんなに叩かれそうで怖い。
喉が詰まって、声が出ない。
ただ、黙って耐えるしかなかった。
今日も、言い返すの諦めた。
下を向いたまま、冷たい視線の間をくぐるように、トボトボ歩き出す。
白い陶器の花瓶がポツンと置かれた机までたどり着き、ガタッと椅子を引いて座る。
緑の黒板から一番遠い、一番後ろの席。
みんなの背中が見渡せる、私の定位置。
「ちょっと、何無視してんの?!」
前の席の女子が、キッと振り返って怒鳴る。
その声、怒りでビリビリ震えてる。
「いつもギリギリに来て、朝の日課サボってるでしょ!」
「みんな嫌でもやってるんだから!」
「罪悪感なさすぎ、最低!」
次々に、みんなが私を指さして叫ぶ。
罵倒の声が、教室中にガンガン響く。
何も言えない。
体を縮こませ、耳を塞ぎたいけど、手が動かない。
目をギュッと閉じて、深呼吸を繰り返す。
聞かない、言わない、考えない。
ひたすら、我慢する。
「お前、いい加減にしろ!」
突然、金髪で背の高い男子が怒鳴りながら立ち上がる。
クラスで一番目立つやつ。
ガシガシ近づいてきて、左手を振り上げる。
殴られる!
本能が叫ぶ。
考えるのをやめてたのに、頭が真っ白になる。
ギュッと目を閉じ、歯を食いしばる。
体がガタガタ震えて、息が止まる。
「はい、みんな、席に着いて!」
ガタガタッ!
渦神先生の高い声が響き、教室が一瞬で凍りつく。
みんな、慌てて自分の席に戻る。
金髪の男子も、悔しそうに「チッ」と舌打ちして、私をキッと睨みながら、左端の席にドサッと座る。
数秒間、ガタガタと椅子の音が響いた後、教室は静寂に包まれる。
先生は、薄い灰色のクリっとした目で、ひとりひとりの顔を黙々と見回す。
出席確認が始まった。
ホッとした。
でも、胸のドクドクが止まらない。
一番後ろの席なのに、みんなの視線がチクチク刺さる。
俯いたまま、机の木目を見つめる。
その木目の模様、なんか昨日行った赤い屋根の積み木みたいな家を思い出す。
白い花瓶は、あの不気味なメイドと執事を……。
昨日、ほんと最悪だった。
まーちゃんの首が刃物で切られた瞬間。
真っ赤な血が私の顔にベチャッとかかった感触。
ゾッとして、思わず身震いする。
もし、あれが私だったら――。
考えるのやめようと、慌てて首を振る。
痛いし、怖い。
そんなの、考えたくもない!
数十秒の静寂の後、先生が震える声でポツリ。
「……蝋奈さんと奇色さんも、欠席ですか。」
その言葉の直後、ガタッと椅子の音。
何人かが立ち上がり、教室が一気に騒がしくなる。
「本当だ、いない!」
「え、嘘でしょ、成績トップの二人なのに!」
「マジか、俺、選挙は蝋奈ちゃんに賭けてたのに!」
「お前、あの根暗ブスに賭けるって?!」
「奇色君までいなくなっちゃうなんて、ありえない!」
「泣かないでよ、私、奇色君に告白するつもりだったのに!」
「陰湿な奴に惚れるって、マジ?!」
「女の趣味、理解不能だな!」
「まぁ、所詮レットウセイ。ユウトウセイの私たちと一緒の教室にいること自体、間違いよね!」
「レットウセイなんて、選挙に出てもユウトウセイの養分になるだけだもん!」
みんな、好き勝手に本心をぶちまける。
まるで、蝋奈さんと奇色さんがもう死んだみたい。
私も思い出そうとしたけど……あんまり覚えてない。
名前が似てるから、兄妹って呼ばれてたことくらいしか。
「ヒキガエルが先に消えると思ってたのに。」
突然の声に、ビクッとする。
思わず、両手で頭を押さえて、腕で耳を塞ぐ。
関係ない、関係ないって思ってた。
でも、行方不明の生徒たち、みんな同じ学校。
無関係なんて、ありえない。
みんなが私を指さしてる。
口々に悪口を吐き出す。
嫌ってる目が、ギラギラ光る。
怖い。辛い。消えたい――。
「みんな、静かに!」
渦神先生が、いつもより高い声で叫ぶ。
みんな、慌てて口を閉ざす。
私も、ゆっくり顔を上げる。
「行方不明になっただけ。亡くなったとは限りませんよ。」
先生の声は、囁くように柔らかい。
みんなを落ち着かせるため、ゆっくり話す。
俯く子、悔しそうな子、ニヤつく子。
それぞれだけど、静かに聞く。
でも、私の頭の中、うるさい。
ドクドクドクドク。
心臓の音、鳴り止まない。
怖い!助けて!まーちゃん! !
「先生、ちょっとよろしいですか?」
凛とした声に、ビクッとして顔を上げる。
一番前の席で、右手をピンと挙げてる女の子。
高い位置でお団子にまとめた髪。
クラスで一番真面目な、生徒会長。
「はい、何でしょうか?」
先生が答える。
「桜丘さんの体調が優れないようです。」
生徒会長が、チラッと私を見て言う。
「えっ?」
思わず声が出ちゃう。
びっくりして、頭が混乱。
一番前の席の生徒会長が、一番後ろの私のこと、なんで?
「まぁ、桜丘さん、大丈夫?」
先生が、朝の校門での元気な私を思い出したみたいに、驚いた声。
遠くからでも、眉がハの字に下がるのがわかる。
心配そうな顔。
「え、あ、う、はい……。」
否定しようとしたけど、言葉が詰まる。
やっぱり、認めるしかなくて、モゴモゴ答える。
ここで意地張っても、意味ないよね。
「先生、桜丘さんを保健室に連れて行ってもいいですか?」
生徒会長が、落ち着いた声で尋ねる。
「わかりました。お願いしますね。」
先生が頷く。
「はい。」
生徒会長が、私を連れて行くことに決まった。
周りのみんな、不満そうな目で私をギロッと見る。
でも、先生が許可したから、誰も文句は言わない。
先生が、私を見て、シワシワの顔に優しい笑みを浮かべる。
「桜丘さん、少し休みなさいね。」
「う、え、はい……。」
緊張で、言葉がカチカチになる。
「歩けますか?」
生徒会長が近づいてくる。
横長の眼鏡が光を反射して、表情が読めない。
「は、はい……。」
小さく頷き、ガタッと椅子から立ち上がる。
「失礼します。」
「ひっ!」
いきなり、生徒会長が右手で私のスカートを――お尻をさする!
スカート越しとはいえ、真面目な子にこんなことされるなんて、予想外!
ガタッ!
男子たちが一斉に立ち上がって、ガン見してくる。
恥ずかしくて、顔が真っ赤になる。
抵抗できない状況、嫌ってるはずの男子たちのギラギラした目。
怖くて、ギュッと目を閉じる。
パラン、カラン……。
何か軽いものが落ちる音。
薄く目を開けて足元を見ると、金色の画鋲が1、2、3……10個、バラバラに散らばってる。
あ、また今日も、椅子に画鋲……。
ぼんやり画鋲を眺めてると、視界に生徒会長の白い手と制服のスカートが映る。
「さ、行きましょう。」
「あ、はい……。」
言われるがまま、生徒会長の背中を追い、教室を出る。
保健室へ向かう。
でも、胸のドクドク、止まらない。
画鋲のキラキラ、まーちゃんの紅い瞳、昨日の血の感触。
全部、頭の中でグルグルする。