ワームホールの先星⑤
厨房の柔らかなオレンジ色の照明が、棚に並ぶ幻のパンを優しく照らし、甘いバターの香りがまだ濃く漂う中、突然――
「あら嫌ですわ!」
甲高い声が、厨房全体に鋭く響き渡った。
悲鳴に近く、明らかに上品ぶった、わざとらしい抑揚。つい最近、学校で聞いたような……あの嫌な声。
背筋がゾクリと寒くなる。
「せっかく選挙を回避出来た筈ですのに…!」
もう一つの扉――厨房の奥にあった小さな扉が、キィッと音を立てて開いた。
そこから現れたのは、私たちと同じ白いワンピースの制服、白いタイツ、そして椎茸の断面みたいな、ぽってりとした茶色の髪型の女の子。
学校で私に意地悪してきた人達の内の、悪口ばかり言っていた子だ。
ピンク色の頰を膨らませ、クリクリとしたツリ目の上にある眉を吊り上げた表情は、正にいつもの意地悪顔。
何で?
どうして、私の夢に出てくるの?
せっかく嫌な出来事を忘れられると思っていたのに…。
「何故ワタクシの選挙会場が現れたのかと不思議に思っていましたら、貴女達の仕業ですのね!?」
選挙会場?
選挙って何だかよく分からないけど……、"ワタクシの"って事は、このお城は彼女のものだって事?
それにしても、“選挙”という言葉が、胸の奥で重く響く。
よくわからないのに、凄く嫌な、怖い響き。
体が自然と縮こまる。
すると、まーちゃんがスッと私の前に出て、私を守るように立ちはだかった。
「能力を使って1人だけ逃げて、私のお友達を陥れようなんて、そうはいかないわよ?」
シイタケ頭の子が、首をきょとんと傾げる。
「まぁ!?貴女どなたですの?」
「ヒキちゃんの大親友よ♡」
まーちゃんは楽しそうに両手をぱちんと合わせて、うふふ…と笑いながら厨房内を見渡す。
厨房の暖かな光が彼女の髪を優しく照らし、艷やかな黒髪に浮かぶオレンジ色の光沢が揺れ動く。
「貴女の選挙会場、オシャレで素敵ね!」
まーちゃんが褒めると、シイタケ頭の子の顔がほころぶ。
「ワタクシの選挙会場は上品さと優雅さに機能面を兼ね備えてますわ。特にダンスホールは豪華絢爛で気に入っておりますの、宜しければご案内致しますわよ。」
シイタケ頭の子の誘いに対し、まーちゃんは迷わず首を左右に振る。
「ダンスホールも良いかもしれないけど、私はこのキッチンが気に入ったの♡是非ここで手合わせしたいわ♪」
手合わせ?
ここで何か勝負でもするの?
よく分からないのに嫌な予感がして、自然と身構えてしまう。
するとシイタケ頭の子は途端に怪訝そうに目を細め、まーちゃんを睨みつけた。
「2対1とは卑怯ですわね!」
その瞬間、ゴードンがピョンッと前に飛び出し、両手をパタパタさせて威勢良く叫ぶ。
「2対1じゃないでしゅ、3対1でしゅ!」
フワッフワッの体をプクゥと膨らませて胸を張る。
その姿が、何だかかおかしくて、少し緊張がほぐれる。
そういえば、このゴードンはまーちゃんが動かしているんだっけ。
私が緊張している事に気が付いていたのかな…?
シイタケ頭の子はゴードンを無視して、やれやれと大きな溜め息を吐いた。
「…もっと上品にしていただきたいのですが、まぁ、仕方がありませんわね。」
そして、優雅に右手を差し出すと――ポンッ、という軽い音とともに、紫色の傘が現れた。紫の布地に金色の杖のような柄、赤いリボンがクルクルと巻かれた、まるでアサガオの蕾を思わせる優雅なパラソル。
傘の先端が微かに輝き、厨房の空気を震わせ…
バサッ!
傘が大きく開いた瞬間、厨房全体が一瞬にして深い紫色の光に飲み込まれた。
光は波のように広がり、壁や棚、パンの幻影までを妖しく包み込み、空気が甘く震え始める。無数の光の粒子が雪のように舞い上がり、ゆっくりと回転しながら部屋を満たし、まるで星屑の嵐が降り注ぐように粒子の一つ一つがキラキラと輝き、触れるたびに微かな鈴の音のような響きを立てる。
女の子の体がゆっくりと浮き上がり、重力を忘れたように優雅に宙を舞う。
短い茶色の髪が、まるで命を吹き込まれたように急速に伸び始め、鮮やかな紫色に染まりながら、頭の両側でクルリクルリと螺旋を描き、大きなフープ状に巻き上がっていく。髪の毛先が光を纏い、虹色の残光を残しながら揺れ、まるで生きている紫の炎のよう。
赤茶色の瞳がより深く輝き、瞬きするごとに黄金色へと変わっていく。瞳の奥から金色の光が溢れ出し、頰を優しく照らす。
体を覆う光の粒子が渦を巻き、白い制服が溶けるように透明になり、粒子となって散っていく。
その代わりに現れたのは、圧倒的に豪華な紫のドレス。大きなパフスリーブの袖がふわりと広がり、肩から腕にかけて柔らかなレースが重なり、胸元を飾る巨大な赤いリボンと、金色の大きなベルが煌めきを放つ。
ベルは微かに揺れるたび、甘い音を奏で、深海を思わせる青いスカートは幾重にも重なる花びらのように優雅に広がり、裾が光の粒子を纏って輝く。
足元には鮮やかな赤いハイヒールが現れ、金色の六芒星が靴の表面で回転するように輝いている。
再び日傘を高く掲げると、背景に降り注ぐ雪のような粒子が一層激しくなり、部屋全体が幻想的な紫のヴェールに包まれる。
彼女の表情がゆっくりと変わり、自信に満ちた、優雅でどこか冷たい微笑みを浮かべて、深々とお辞儀をする。髪のフープが優しく揺れ、光の粒子が彼女の周りを螺旋状に舞い続ける。
「ワタクシは山羊座の優等星、オランゲ・ゴゥトですわ。」
変身した!?
それも、まるで別人みたい…!
あまりの美しさと迫力に、息を飲む。
厨房のオレンジの光と紫の粒子が混ざり合い、まるで夢の舞台が現実になったみたい。空気が甘く、重く、心臓がドキドキと高鳴る。
驚く私を他所に、まーちゃんは優雅に一礼を返した。
「私は乙女座の優等星、蝶想幻子よ!」
“まぼろし”。だから、まーちゃんだったんだ……。
でも、まーちゃんは変身しないの?
すると、まーちゃんとオランゲは、互いを見つめ合ったまま――
「「選挙に立候補します!」」
と、ピッタリ声を揃えて宣言した。
あ、変身しないんだ……。
私も、彼女みたいにドレス着て、髪がキラキラ伸びたりするのかと思って、ちょっと期待しちゃってたのに。
ちょっと残念だなぁ。
でも、お城とか選挙とか変身とか、凄い!
選挙って、今から何をするんだろう?
不思議な夢で心臓がドキドキ高鳴る。
私の夢の世界で何かが始まろうとしている――そんな予感が、胸を熱くした。




