ワームホールの先星③
◆◆◆
助けを求めて必死に叫んでいたら、物凄い白い光がパァッと視界を塗り潰した。
目を開けていられないほど眩しくて、思わず交差した腕で顔を覆った。
そして、次に瞬きをしたら――
「……え?」
心臓が、一拍遅れて跳ねた。
誰もいない。
さっきまで私を取り囲んで、嘲笑って、怒鳴って、殴って、押し倒して、頭を踏んづけてきた子達が跡形も無く消えていた。
水音も、叫び声も、足音もない。あの嫌な笑い声やざわめきが、全部消えている。
水面は静かで、凍り付く程に冷たかった空気さえ、何故か柔らいで感じた。
その時――
「ヒキちゃん、おはよう♪」
鈴が転がるみたいな、明るくて楽しそうな声。
まるで、何事もなかった朝みたいな、自然な呼びかけ。
一体、誰!?
ビクッと肩が跳ねて、私は振り返った。
そこに立っていたのは、私と同じ、白いワンピースに黒いリボンの制服を着た女の子だった。
すらりと背が高くて、綺麗な佇まい。
腰まで真っ直ぐに伸びた、ツヤツヤの真っ黒な髪が、プールの照明を映して青く光っている。
閉じたままの目蓋には、長くて濃い睫毛が影を落としていて――
額の縦に走る一本の大きな傷さえなければ、本当に、溜め息が出るほど整った顔立ち。
「……貴女は、誰?」
警戒と戸惑いが混ざった声が、勝手に口から出た。
すると、その女の子は、目を閉じたままニコッと微笑んだ。
涼しげで、どこか余裕のある笑顔。
「私はね、まーちゃんだよ♡」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が、チクッとした。
「……まーちゃん?」
聞いた事があるような、無いような。
でも、思い出そうとすると、霧がかかったみたいに何も掴めない。
多分、あだ名なんだろうけど……。
こんな子、学校にいたっけ?
…でも私、学校で名前までちゃんと知ってるのって、生徒会長と、詩由羅ちゃんくらいしかいなかったな。
"まーちゃん"って子ぐらい居てもおかしくないか…。
「そうだよ。ヒキちゃんの大親友の、まーちゃんだよ?」
彼女はそう言って、くいっと首を傾けて口角を上げる。甘えた仕草なのに、不思議と嫌な感じがしなかった。
「……忘れたの?」
忘れたの、って言われても。
「はじめまして、だと思うけど……」
正直な気持ちを言うと、まーちゃんは少しだけ口元を緩めた。
でも、それは困った笑顔じゃなくて、"仕方ないなぁ"って言いたげな、余裕のある微笑みだった。
「変だなぁ。いつも一緒にいたのに?」
一緒に?
いつ?
どこで?
頭の中が、ふわふわする。
……あれ?
もしかして、ここって――
「ねえ、ここは……どこ?」
そう言って、私は周囲を見回した。
さっきまで、息を吐くたびに白く凍って、その白い息でプールの水面がほんの少し揺れる、冬の朝の寒いプールサイドにいた筈なのに。
今見ると、周りは暗かった。
……暗い、というより――夜。
ついさっきまで、薄曇りの昼間の空だったのに、 今は、空一面に星が散りばめられている。
数え切れない程の星が、キラキラ瞬いて、落ちてきそうなくらい近い。
まるで天の川がすぐ頭上に降りてきたかのように、銀河の光が柔らかく降り注ぎ、プールサイドを淡く照らしている。
そしてそのプールの水は、青白い照明で幻想的に光っていて、 周囲のタイルは、ピンクや紫、黄色のネオンライトが柔らかく縁取られ、妖しい輝きを放っている。
水底から湧き上がるようなライトが、水を深いサファイアブルーに染め、微かな波紋ごとに色が移ろい変わる。
水面には、 ピンク、白、黄色、青……派手な色の丸い照明や、ふわふわと光るランタンがぷかぷか漂っていて、 それらが水に反射し、キラキラ、ゆらゆらと揺れ動き、無数の光の粒が踊るように散らばり、時折、軽い波が立って、光の輪が広がり、消え、また新しく生まれる。
まるで、水面に映る打ち上げ花火のよう。
あるいは、光輝くプールの遊園地みたい。
どちらにしても、非日常の魔法に包まれた贅沢なパーティー会場のようで、不思議でワクワクする。
「綺麗……。」
思わず、ポツリと呟いていた。
不思議な事に、 さっきまで芯まで冷えていた体が、 この幻想的な灯りを見ているだけでじんわりと温かくなっていく。
心まで溶かされるような、甘いぬくもりが広がって――。
「でしょ〜?」
まーちゃんと名乗る女の子が嬉しそうに言った。
どこからか低く響く、ピアノやハーモニカや弦楽器とは違う、独特な電子楽器で奏でられた音楽。
ウィーンとしたメロディにドン、ドン……と、心臓の鼓動に似た重いベースのリズムが、夜の空気に溶け込む。
そして、遠くから甘いトロピカルの香り――パイナップルやライムの爽やかさと、ほのかにお酒のツンとした刺激が混ざった匂いが、温かな風に乗って鼻先をくすぐる。
「何だか夢を見ている気分。」
私が再び呟くと、女の子が小さく頷く。
そして、私の方に顔を向けて、胸を張る。
「ここはね、ヒキちゃんの世界だよ♡」
「ぁ……やっぱり、夢なんだ……。」
何だか納得してしまった。
私、また変な夢を見てるんだ。
同時に悲しい気持ちになった。
夢と現実が反対だったら良かったのに…。
「寒いでしょ?」
まーちゃんは、悲しむ私の手を取った。
ヒンヤリしている筈なのに、その手は不思議と温かい。
「暖かい場所に、行こ!」
突然、キュッと指を絡められて、私はそのまま、まーちゃんに手を引かれた。
引かれるがまま、足が動く。
抵抗しようとか、疑おうとか、そういう気持ちは、不思議と浮かばなかった。
ただ――
この人について行けば、大丈夫な気がした。
星が瞬く夜のプールサイドを、私たちは並んで歩き出した。
ネオンの光がタイルの湿った表面に反射し、足元に虹色の残光を散らし、歩く度に光の波紋が広がっていく。




