ワームホールの先星②
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私の名前は桜丘妃姫!
皆からヒキちゃんって呼ばれているよ!
今、学校の職員室に居るよ!
職員室はとっても広くて、天井が高くて、声を出すと少しだけ反響する感じがする。
銀色のデスクがズラーッと整列していて、どれも引き出しが沢山付いていて、冷たそうに光ってるよ。
蛍光灯の白い光が机の表面に反射して、キラキラしてるけど、その整然とした景色が逆に落ち着かなくて、胸の奥がソワソワするね。
私はクッションがふかふかで、下にコロコロ動くキャスターがついた椅子に座ってる。
渦神先生も、同じような椅子に座って、私の正面にいるよ。
広い部屋に、私と先生だけ。
職員室の空気は、午後の陽光が窓から差し込んで、埃の粒子をきらきらと浮かび上がらせていた。
だけど、人が少ないせいか、空気がスーッと冷えていて、椅子のクッションは柔らかいのに、背中に触れる空気は酷く冷たい。
手を膝の上に置いていると、指先が少し痺れるみたい。
「桜丘さん、何があったのか話せますか?」
渦神先生は前屈みになって私に問いただした。
七三に分けた真っ白な前髪が、顔を覆うように垂れ下がっている。
その前髪の隙間から見える褐色の頬は、まるでチョコレートがドロドロに溶けたみたいに皺が寄っていて、表情が読み取りづらい。
それでも先生の目は、ちゃんと私を見てるのは分かる。
でも、どこか遠くも見ているような、不思議な目。
先生の視線は優しい筈なのに、どこか底が見えなくて、私は自然と両手を膝の上で握り締めていた。
「今日は、家で飼っている黒猫のモモカが病気しちゃって…。」
声に出すと、自分の声が思ったよりも幼くて、頼りなく聞こえた。
喉の奥が少しだけヒリつく。
寒いから余計にそう感じるのかもしれない。
モモカは黒くて、酷く痩せてて、私が居ないとすぐに寂しがる。
今朝、体を丸めて動かなくなっていたのを見た時、ショックと不安で胸がギュゥッと締めつけられた。
「だから、学校に連れて来ました。」
荷台にモモカを乗せ、坂道を全力疾走したんだっけ。
今思うと、私の体力凄いなぁ。
遅刻ギリギリで死に物狂いで毎朝走っていた甲斐があったのかもしれない。
「そしたら、校門の所で、転入生の許子っていう女の子が迷ってるみたいだったから……、教室まで案内しました。」
そこまでは、ちゃんと覚えてる。
荷台の上でぐっすり寝ちゃったモモカを見て、私は目の前で困っている人を助けようと思ったの。
今まで猫を助けた事はあっても、人を助けた事が無かったから…。
「教室まで送った後、すぐにモモカの所に戻ろうと走ったんだけど……。」
言葉が、少し詰まる。
「いなくなっちゃったの。モモカ。」
その瞬間の胸のギュッのとする感じを思い出して、自然と指に力が入る。
先生の机の端が視界に入る。角が妙に尖って見えて、視線を逸らした。
ちょっとの間だけだから…と、私がグッタリしているモモカよりも知らない女の子を優先してしまった事、後悔しちゃったから。
「きっと、温かいモノを探しに校舎の中に入ったんだと思って……探してたんです。」
あの時の事を思い出すと、胸の奥がザワザワする。
そう、あの後…
「そしたら……昨日、意地悪してきた生徒達が、また来たの。」
声が、嫌でも小さくなる。
「同じクラスの子達なのに、いつも意地悪してきて…、今朝は目が合った途端、プールに連れて行かれて……暴力を受けました。」
その言葉を口にした瞬間、喉がきゅっと縮んだ。
渦神先生の視線が、更に深くなる。
「えっと、つまり、抵抗したけど、人数が多くて……」
腕を掴まれた感触が、まだ残っている気がする。
それと、髪を乱暴に引っ張られた時、頭皮が引き剥がされるみたいに痛かった。
「詩由羅ちゃんも……助けに来てくれなくて……」
詩由羅ちゃんの顔が浮かぶ。
あの時、昨日みたいに、何処からともなく現れて"イジメダメ"って言って助けてくれるって、少し期待してしまった。
彼女を責めるつもりは更々なかったのに、彼女の名前が勝手に口から出て来て、声が勝手に震えた。
「そのまま、冬のプールに連れて行かれて……」
思い出しただけで、体が強張る。
冷たいコンクリートの床。凍り付きそうな程に冷たい空気。
「寒いのに、突き飛ばされて……顔を、プールの水に押し込まれて……」
息が出来なくて、耳の奥がキーンって鳴って、冷たさと痛さが一緒に押し寄せてきた。
「怖くて……痛くて……悲しくて……」
言葉が続かなくなりそうになる。
でも、最後だけは、はっきり覚えている。
「我慢、出来なかった。」
そう。
胸の奥から、必死に助けを求める言葉が溢れ出した。
そして、叫んだの。
"助けてっ、まーちゃん!!"
ってね。
無意識にね、"まーちゃん"っていう名前を叫んでいた。
おかしいよね。
まーちゃんが誰なのか、何なのか、その時は知らなかったのに。
「私、暴力のショックで気絶していたんだと思います。」
そう言いながら、自分でも不思議に思う。
本当に、気絶だったのかなぁ?
確かに、視界がボヤけて、感覚が薄れていた気がしたけど。
「それで……いつの間にか、夢を見ていたみたいで……。」
私はそこで、言葉を止めた。
夢、と言うには、あまりにも鮮明で。
あまりにも、現実みたいで。
続きを話すべきなのか、自分でも分からなかったから。
だって、私が見た夢の話だから。
あれ、どんな夢だったっけ?
ふと気になって、記憶の中を整理してみる。
――あの時のこと。
思い出そうとすると、胸の奥がじんわり熱くなる。
職員室の蛍光灯が、ジジ…と小さな音を立てる。その音が、やけに大きく耳に残る。




