ケルベルス座の上級星と水の星徒達㉔
「嬢ちゃんの言う通りアイツが有家名だったら、オイラ達星徒が10人20人集まっても勝ち目はねぇ!」
鱗魚助の声が、震えながらも張り裂けた。
怒鳴るというより、必死に現実を押し返そうとする声だった。
「悔しいが、学校に帰るぞ!」
その一声に込められた悲しみと焦りが、潮の匂いを含んだ空気ごと揺らした。
波が、微かにざわめいた気がした。
アタイは、4人が消滅した跡――海面に残る歪んだ波紋や、砂に焼き付いた黒い影らしきモノ――に、膝が抜けそうになってた。
胸が締め付けられるように痛い。
悲しみと恐怖で動悸がして、呼吸が上手く出来ない。
だが、今回の妃姫様は今までと違うと確信出来た。
そして、その妃姫様と学校まで戻る事が出来た。
せっかくここまで来たのに、このまま黙って落選して、またいつ来るかも分からない転生を待つなんて――
負のループから抜け出せるチャンスを失うなんて、絶対に嫌だ。
今は鱗魚助の言う通り、学校に逃げるしかない。
消えていった星徒達のおかげで、学校に戻る事が出来る。
彼等の犠牲を無駄にはしない。
アタイは目を閉じ、頭の中に学校の姿を思い浮かべる。
厳重な校門、巨大な校舎、鐘の音、ざわめく星徒達。
鱗魚助と2人で戻る光景を、必死に念じる。
……すぐに、帰還の光が出る筈だ。
――なのに。
何も、起きない。
「……え?」
もう一度、念じる。
強く、強く。
……それでも、空気は動かない。
「学校に戻れない?!」
アタイの声が裏返る。
その時、ユユルルがピンク色の円盤に腰掛けた。
子供が遊具に座るみたいに、足をぶらぶらさせながら、胸元でメイスをくるりと回す。
「忘れたのですかぁ?ついさっき、皆さんで選挙に立候補したのですよぉ★」
その弾む声と同時に――
空が、また光った。
七色に輝く金平糖の隕石が、再び降り始める。
「危ねぇッ!!」
次の瞬間、強烈な衝撃。
「わッ!?」
鱗魚助が、アタイの肩を思い切り突き飛ばした。
身体が宙を舞い、サラサラとした砂の上を転がる。
細かい砂が、毛の間に、口の中に、容赦無く入り込む。
――直後。
ドッカァァンッ!!!
爆発音が、すぐ背後で炸裂した。
「ぅわあああああッ!!?」
鱗魚助の悲鳴。
振り返った瞬間、心臓が、凍り付いた。
「……鱗魚助?」
爆煙の中、彼はうつ伏せで倒れていた。
身体が、かすかに震えている。
アタイは我に返り、駆け寄った。
「だ、大丈夫かい!?鱗魚助!!」
爆煙の中に倒れていた鱗魚助は、うつ伏せのまま震えていた。
アタイはすぐ傍に駆け寄る。
「あ……脚を……やられて……」
かすれた声。
「動けねぇ……ッ……!」
……脚?
いや。
腰から下が――
――無かった。
目の前が真っ白になった。
さっきまで元気に走り回っていた男が、血溜まりの中で弱々しく蠢き、顔を上げる。
口元を覆っていた布を外した彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
「きっと、オイラが落選すれば……嬢ちゃんは帰れる……よかった……!」
「良くないッ!!」
咄嗟に出て来たアタイの叫びは、涙でぐしゃぐしゃだった。
「馬鹿野郎!アンタも戻るんだよ!一緒に帰るんだよ!!」
学校に戻れたら助かるかもしれない!
お願い、学校に帰らせてくれ!!
僅かな希望を胸にアタイは必死に念じる、何度も念じる。
でも――帰れない。
何ひとつ光らない。
「何で!?何で戻れないんだよ!?」
「何度お祈りしても無駄なのですよぉ〜★」
ユユルルが、クツクツと喉を鳴らした。
「お馬鹿さんなお友達がユユルルに選挙を申し込んだのですからぁ、ユユルルに勝てなきゃ帰れないようにしたのですよぉ〜★」
帰れないようにした、ってどういう事?
選挙のルールを勝手に決めたって事!?
「何で、そんな事が出来るんだよ!?」
アタイが空を見上げ、怒鳴る。
「ユユルルは元有家名ですからぁ、有家名の選挙ルールが適応されただけなのですよぉ☆」
有家名の選挙ルール!?
アタイ達の選挙とはまた違うってのかい!?
「幾つかルールがあって、その決定権は有家名であるユユルルにあるのですよぉ☆誰かひとりでも落選するか、リーダーを倒すか、選挙相手を全滅させるか…、勿論全滅に決めたのですよぉ★」
「そんな……そんなの……!」
つまり、有家名自身が有利なルールだって決められるって事じゃないか!
「最近転々として分かったのですけどぉ、星徒になっても有家名の地位や幻占力は、破亭主と幻菓力とかぁ上級星と幻星力とかに変換され、引き継げるのですよぉ★」
ユユルルは自慢気にペラペラと語る。
「あの下級星徒達はユユルルが元有家名だと見抜けず挑むなんて愚かだったのですよぉ★特に弟子になりたいと煩かった吊るされた男の有家名の娘の記憶力の無さにはガッカリなのですよぉ〜★」
吊るされた男の有家名の娘とは、もしかしてアマネラッカの事だろうか?
さっき、ピアノを弾いた時の彼女に対して意味深な事を呟いていたのを思い出した。
転生で忘れられていたとはいえ、あのユユルルという有家名は、自分を慕ってくれた彼女すら容赦無く葬ったっていうのか…!?
「でもユユルルは星徒に転生したばかりでしたからぁ、肩慣らしに選挙してあげたのですよぉ☆」
肩慣らしに選挙?
命を使って?
「有家名様に選挙して貰えるのは光栄な事☆きっと皆さん次の転生待ちしながらユユルルの事を感謝しているのですよぉ☆」
これが選挙!?
こんなの、選挙じゃない!
こんなの、ただの弱い者イジメじゃないか!!
あまりにも理不尽極まりない選挙に参加させられていたアタイは、心が張り裂けそうだった。
その時、誰かがアタイの袖をぎゅっとつまんだ。
鱗魚助だった。
「……そうだ。あの時……、ロケットの話が出た時に……思い出したんだった……。」
懐から、銀色のロケットペンダントを取り出す。
焦げ跡がついても、形だけは綺麗なままだ。
こんな非常事態に何を考えているんだ?
アタイの心配なんてお構い無しに、鱗魚助は震える手でそれをアタイに押しつけた。
「オイラの事……忘れないでくれよ……な?」
アタイは思わずロケットペンダントを受け取ろうとした両手を止め、首を左右に振る。
「こんなの……今アタイが貰っても……」
言い終わる前に気づいた。
鱗魚助の指が、力を失っていた。
身体が、砂に沈むように緩んでいた。
「……鱗魚助?」
返事がなかった。
さっきまであんなに喋ってたのに――
もう、息をしていなかった。
「鱗魚助……?ねぇ……?」
肩を揺さぶる。
でも動かない。
胸の鼓動も、呼吸も感じない。
ありえない。
アタイをお姫様抱っこして、アタイを嬢ちゃんと呼んで、助けてくれたのに。
「鱗魚助!!」
叫んでも、軽快な返事が来ない。
「目を開けたまま寝るんじゃないよ!!こんな時に冗談はよしてくれよ!!ホラ!起きろってば!!」
アタイの声は割れて、涙で言葉がめちゃくちゃになっていく。
それでも、彼は…
返ってくるのは、沈黙だけ。
「鱗魚助ぇぇぇぇぇぇッ!!!」
「キャハハハハッ★」
アタイの悲痛な叫び声と、ユユルルの甲高い笑い声が、不協和音に響き合った。
鱗魚助の冷たくなった手から、ロケットが砂に落ちた。
シャラン…、と金属の鎖が擦れる寂しい音がした。
アタイは震える指でそれを拾い上げ、ぎゅっと握りしめた。
涙で前が滲む。
喉が焼けるみたいに痛い。
「酷い!本当は苦しませず一瞬で殺れたんだろッ!?」
アタイは泣きながらユユルルを睨みつけた。
次々と涙が溢れてこぼれても、怒りの熱だけは消えなかった。
ユユルルは涼しい顔で、星空のような瞳を細めて言う。
「一瞬でやっちゃったら、つまらないのですよぉ★おかげで面白いものが見れましたのですよぉ★」
「有家名だからって、何をしても良いって思っているのかい!?」
叫んだ瞬間、ユユルルは肩を震わせて笑った。
その笑い声は喜劇を見てはしゃいでいる子みたいに軽くて、この惨劇とは釣り合わなさ過ぎて気味が悪い。
「何か勘違いしているみたいですがぁ、有家名の選挙道具として生まれたのが星徒なのですよぉ☆それはユユルルだけじゃなくて、有家名みぃんなそうなのですよぉ☆」
アタイの背筋に、氷みたいなものが流れた。
有家名はアタイ等星徒を……捨て駒扱いしてるって事!?
違う、ミーシャ様は違う…!
心の中で否定するアタイを他所にユユルルは続ける。
「そもそも、選挙というものはぁ有家名同士が領地を賭けた決闘なのに、星徒といい汚化子といい、奴隷やゴミが選挙ごっこするなんて生意気なのですよぉ★」
その言葉が刃物のように刺さった。
どこまで星徒をコケにするんだ!?
こんな……こんなクズみたいな奴も、ミーシャ様と同じ有家名だなんて……!
胸の奥が煮えたぎって、破裂しそうだ。
この女を、殴ってやりたい!
星徒は使い捨ての道具じゃないって証明してやりたい!
でも、アタイには無理だ…!
敵う相手じゃない!!
悔しさで歯を噛みしめる。
「モモカさんでしたっけ?」
不意にユユルルがアタイの名前を呼んだ。
「今朝、学校の門前で、太陽の有家名が拾った残飯処理女と一緒に居たのは。」
え?
太陽の有家名って…、まさか!
「ミーシャ様の事を知っているの?!」
アタイの声が急に高くなる。
その瞬間――
ユユルルの笑顔が、濁った。
表情にヒビが入るみたいに歪んだ。
「せっかく手に入れたユユルルの領地を、全部ぜぇんぶ奪ったあの女を……忘れる筈がないのですよぉ★」
甘ったるい声が、怒りで震えていた。
光っていたはずのエスカの球が、赤黒く点滅する。
「そして、復讐の機会を奪ったあのクソババアと残飯処理女はもっと許せないのですよぉ★」
「クソババアと…、残飯処理女?」
残飯処理女って妃姫様だろうけど、どういう事……!?
彼女は桜丘家について何か知っている?
「星徒である妃姫様が、有家名であるアンタに何を……?」
でもユユルルは、首を傾げながらニッコリ言った。
「お友達で居続けたいのでしたらぁ、知らない方が幸せなのですよぉ☆」
その声は甘いのに、心臓を握り潰すような冷たさだった。
アタイの胸に不安が走る。
「ユユルルはですねぇ、憎き桜丘家に復讐する為にあらゆるゲンソウチョウへ転生しているのですよぉ★この選挙の後は、あの残飯処理女に復讐するのですよぉ★」
メイスが振り上げられる。
星空がうねり、金平糖の輝きが再び集まり始める。
「だからモモカさぁん、何も知らない内に星屑にしてあげますよぉ〜★」
悔しい。
許せない。
でも……身体が動かない。
鱗魚助の落選で、足が地面に縫い付けられたみたいだ。
助けて……ミーシャ様……!!
アタイ、もうどうすれば……ッ!
空から落ちてくる7色の光が、アタイを飲み込みに来る。




