ケルベルス座の上級星と水の星徒達㉒
「もう争わないのですかぁ? つまらないのですよぉ★」
突然、甘やかに弾んだ少女の声が響き渡った。
その声は風に混ざって届いたはずなのに、耳の奥に直接触れられたみたいに、生々しい。
砂の小島の上にいた全員の表情が同時に凍り付く。
幼く、妙に粘つく声。
聞き覚えがある…そうだ、今朝、校門の前で漂っていた、あの酷く高く、甘ったるい声だ。
「誰だ!?」
鱗魚助が大声を上げる。
ジョーカーを除いた砂の上にいる全員が一斉に警戒態勢に入る。
皆が高い壁の向こう、細長くなって崩壊寸前であるキャットタワーの頂を睨む。
空に、ピンクの点が浮かんでいた。
最初は小さな電球のようにも見えたそれは、次第に形を帯び、淡く輝く円盤だと分かった。
円盤はくるりくるりと回転しながら降りてくる。光が滴のように落ち、海面に反射して揺れる。
そして――その上に、少女が立っていた。
それはとても小柄で華奢な身体をした少女だった。
柔らかなラベンダー色の髪が肩にかかり、風を受けてふわりと舞う。
頭からは1本の釣り竿のようにしなった突起が伸び、チョウチンアンコウのように先端の球体がオレンジとレモンの交互に明滅していた。
その光が空気を染め、少女の頬を妖しく照らす。
瞳は大きく、星をそのまま閉じ込めたようなピンクの光を湛えており、それは遠くからでも見る者が目を合わせると吸い込まれるような錯覚を覚えるほどの輝きだった。長く尖った耳が光の粒を拾うようにわずかに震え、頬にはほんのり桜色の影が差している。
衣装は、濃いピンクのジャケットに薄桃色のミニスカート姿。
胸元には宝石のように大きなピンクの珠がはめ込まれ、広がった袖や裾には夜明けの光を思わせる淡い紫のラインが走る。
少女は、円盤の上から楽しげに手を振った。
「ユユルル、奴隷の皆さんが選挙してる姿を、ずぅっと見てたのですよぉ★」
その瞬間、円盤の下から金色の光が尾を引いた。
リボンのように広がる光が青空を撫で、やがて空は――ゆっくりと、星空に塗り替えられていく。
雲が溶け、太陽が淡く裂け、群青と緋色が混じり合うグラデーションの空。海面が鏡のように反射し、最初の星が昼間に瞬いた。
「ハァ!?奴隷って!?」
「ちょぅUレニσゑナょょ!」
アマビヒコとキコリンコが怒鳴り声を上げる。
その隣でアマネラッカが目を細める。
「貴女、今朝の転入星ね? 今更出てきて何のつもりぃ?」
――やっぱり、許子。今朝、校門で会った転入星だ。
そして恐らく彼女も、泣き叫ぶ妃姫様を見て嘲笑っていた連中の1人だ。
胸の奥がざわめき、何かが脈を打つように疼く。
「誰も落選してないから帰還できず、困ったのでしょう。」
カキコケラーが気怠げながらも眉をひそめる。
「誰かが落選するまで隠れてたって事!?ズルくね?」
「℧(キょぅもσ!」
アマビヒコとキコリンコの怒声が、波のように重なる。
"卑怯者"。
その言葉が、アタイの胸にぐさりと刺さる。
予定外な事になったとはいえ、アタイも最初、まともに選挙しても無理だと思って誰かが落選するまで隠れようとしていたから…。
「誰がユユルルの奴隷になるのか、試してたのですよぉ★ でも、どの子もイマイチで残念なのですよぉ~☆」
歌うように言い放つユユルルの声が、海面に波紋のように広がる。
その無邪気に見せかけた腹黒さが、余計に背筋を冷たくした。
「つまり、僕達を始末する気ですね?」
カキコケラーがハサミをチョキチョキと鳴らし、赤い目を光らせる。
彼の質問に答えるように、ユユルルはクスクスと嘲笑う。
「生意気な星徒は星屑となって消えてくださいなのですよぉ〜★」
「こちとら負傷してても6人だからね?たった1人で勝てる気?」
アマビヒコは唇を尖らせ、低く挑発する。
「マ于″卍!カゝカゝっτ(キナょ!」
キコリンコがギラリと爪を突き出す。
散りばめられた宝石達が星明かりに閃いた。
「ハァ…、ピンクの毛玉といい、おバカな忍者といい、頭のおかしい奴ばっかりね。」
アマネラッカがエレキギターを呼び出し、弦をビィンッと鳴らす。
乾いた音が空気を震わせ、潮風が赤い髪を揺らした。
容赦はしないと言わんばかりの眼光が、真っ直ぐユユルルを射抜く。
それら全てを見てユユルルは、
「ふ〜ぅん、ユユルルは悲しいのですよぉ☆」
――ただ嬉しそうに笑った。
円盤がシュウゥッと唸り、ピンクの光が海を染める。
「ユルユルダンス〜ぅなのですよぉ☆」
ユユルルは円盤の上でピンクのショートブーツの爪先と踵を交互にリズミカルに鳴らしながら両手を左右に大きく振って踊り出す。
その動きに合わせて彼女の背後で光の粒が弾け、まるで銀河が息を吹き返したように輝いた。
ほぐれた夜空に星がこぼれるように、光の粒が弾ける。
一回転する度に星が形を組み替え、ついさっきまで白く輝いていた空が完全な星夜へと変わった。
「嬢ちゃん、2回戦が始まるけど平気か?」
鱗魚助が、ユユルルを睨みつけたままアタイに訊ねる。
「うん…。」
アタイはピンクの尻尾をそよがせ、頷く。
だが、心臓がドクンドクンと重く響く。
何だ、この嫌な予感…。
背筋が凍る。
それに、あのユユルルの笑顔も、どこかで見た気がする。
アタイの気のせいであって欲しいけど…。
「ユユルルはケルベロス座の上級星☆ 選挙に立候補しちゃうのですよぉ☆」
少女の長い髪が夜風にふわりと舞い、カチカチと光を放つピンクの円盤がシュウゥゥ…と低く唸る。
ケルベロス座?
上級星?
そんなの、存在するのか?
それにしても、彼女は本当にひとりで選挙に立候補するのか?
「才⊃ゼ±″σれっ`⊂ぅせレヽ、≠⊃リ冫⊃・才⊃ジ!!」
「ウチは、タツノオトシゴ座の劣等星、アマビヒコ・カイバ!」
「蟹座の優等星、Drカキコケラー。」
「蠍座の優等星、アマネラッカ・スヰートよ。」
アタイの心配を他所に、疲労残っているものの余裕そうな表情で4人は名乗り出る。
「後ろのお二人さんも、突っ立てないで宣言してくださいなのですよぉ☆」
突然ユユルルに声をかけられ、アタイと鱗魚助は驚きと困惑の表情を浮かべる。
出来れば選挙を止めて一刻も早く学校へ戻りたい。
が、まだ誰ひとりとして落選していないから帰還出来ず、更に前の4人から"早くしろ"という無言の圧を感じ、名乗らざるをえなかった。
「え、あぁ…、オイラは魚座の優等星、伊甲賀鱗魚助。」
「あ、アタイはモモカァレン・サクラオカ。」
本当に名乗り出て良かったのだろうか。
いくら生意気な態度をとっているとはいえ、1人の少女相手に大人数で選挙するなんて。
コレじゃあまるで、弱い者イジメじゃないか…?
すると、彼等とは対象的に先程までふざけ続けていたジョーカーが抹茶色の体をジリジリと後退り始めた。
ビーズの黒い目が星屑を映しながら怯えるように体を小さく縮めませ、震える。
「どうしたんだ、ジョーカー?」
鱗魚助が心配そうに見下ろす。
「こ…は、ヤバ…じょ…!」
不思議な事にジョーカーがぷるぷると小刻みに震え、ぱくぱくと動かす口からはノイズが走って聞き取り辛くなっている。




