ケルベルス座の上級星と水の星徒達⑭
まるで滑り台を滑るように、渦の壁に沿ってスルスルと海底へ落ちていく。
冷たい水流が、風呂敷をガシャガシャと叩き、塩水の味が唇にピリピリと滲む。
息を吸うたび、肺の奥まで海の匂いが染み込んでくるようだ。
大きな耳がピクピクと震え、桜の鈴がチリンチリンと鳴り響く。
音は渦の唸りにかき消されながらも、確かに耳の奥をくすぐった。
渦の壁は青と緑の光でキラキラと輝き、まるで星空の螺旋を滑っているみたいだ。
泡がブクブクと弾け、トンネルのうねりが、まるでアタイの心臓を両手で握りつぶすかのように締め付ける。
ジョーカーが「うひゃひゃ〜!」とはしゃぎながら、風呂敷にしがみつく。
小さな手が風呂敷をギュッと掴み、抹茶色の体が水流に揺れる。
その楽しそうな様子が、ふとディケヤミィの笑顔と重なり、ビーズの目の奥に幻のように浮かび上がる。
懐かしさと切なさで胸の奥がちくりと疼いた。
ズルッと滑り落ちた先で、鱗魚助がバシャッと海底に着地する。
ザリザリと擦れた音が足元から広がった。
「よし、到着っと。」
彼がアタイをそっと降ろすと、耳がツンとするほどの静けさが訪れる。
まるで深海そのものが息を潜めているみたいだ。
桜の鈴が、チリンと小さく鳴った。
音はやわらかく、安堵を囁くように響く。
アタイは、目の前の小さな空間を不思議そうに見渡す。
海底なのに、水が一切入ってこない。
まるでガラスドームに閉じ込められたみたいに、目に見えない壁が空間を囲む。
青と緑の光が、渦の方から漏れてキラキラと揺れ、砂の床に魚の群れのような影をつくる。
それらは揺らめき、泳ぎ、そして消える。
頭上を見上げると、海面がゴオォッと渦巻き、壁とも呼べる板の赤と青の電光が、遠くでバチバチと明滅してるのが見える。
アマネラッカのギターの唸りが、厚い水の層をくぐってくぐもった音で届き、まるで海全体が彼女のライブを妨げているようだった。
「何だ、こりゃ…?」
アタイの声が、空間に小さく反響する。
耳がピクピクと動き、壁の向こうからかすかな水流のザザ〜ッという音を拾う。
鱗魚助が両手で渦の滑り台に触れると、巨大な穴は渦を巻きながら段々と小さくなり、何も無い海水の壁へと変化させて出入口を塞いだ。
「オイラの忍術だ。海底に一時的な隠れ家を作ったぜ。」
その声には誇らしげな響きと、ほんの少しの安堵が混じっていた。
ジョーカーが、ピョンピョンと砂の床を跳ね、ビーズの目がキラキラと光る。
「すいじょくかんのなかみたいですごいじょ〜!」
アタイは濡れた風呂敷をギュッと握りながら、再び目の前の空間を見渡す。
足元の砂は白と灰のまだら模様で、踏みしめるたびに小さく沈み、そこから細かな粒子がふわりと舞い上がっては透明な壁に沿って漂っていく。
とても深いのだろうか。
澄んでいるとはいえ、見えない壁の向こうは薄暗く、先が見えない。
今立っている場所は天井が高いからか、頭上から差し込む青緑の光が空間全体をゆらめかせ、所々に落ちている小石や貝殻に虹色の筋を描く。
どこからともなく、潮と鉄の混ざったような匂いが鼻をかすめ、耳の奥では時折「コポッ…」と小さな気泡がはじける音がした。
尻尾がピクピクと震えるのを感じる。
でもそれは恐怖や警戒じゃなく、胸の奥から湧き上がる興奮の震えだった。
カキコケラーの能力にどことなく似ている。
だが、彼は特殊なハサミを使って切り拓いたのに対して、鱗魚助という星徒は素手でこの技を成し遂げたのだ。
それだけじゃない。
土の壁を作ったり、海面を走ったり、こんな場所を一瞬で作っちまったなんて…。
タダ者じゃない。
「こんな技が使えるなんて、忍者って凄いな!」
アタイの弾んだ声が、空間に反響する。
大きな耳がピクンと動き、尻尾がピクピクと揺れる。
鱗魚助が「よせよ」と右手を振りながらも照れ臭そうに視線を逸らす。
「その代わりに、あんなデカい選挙会場は作れねぇけどな。」
彼の声に、どこか自嘲的な響きがある。
ブーツが砂をザッと蹴り、まるで自分の限界を踏みしめるみたいだ。
「それに、オイラは隠者の有家名の息子だからな。」
「何!?」
アタイの心臓がドクンと跳ねる。
桜の鈴が、チリンチリンと激しく鳴り、まるで驚きを叫ぶ。
美沙様と同じく、有家名――の…、子だって!?
頭の奥で遠い過去の記憶が霧となってドロドロと渦巻く。
商店街の中でうずくまるアタイに優しい笑顔を向けながら手を差し伸べるミーシャ様と、そのミーシャ様に平伏す肉屋の男を思い出す。
どういう訳かこの区域には有家名が存在しないのだが、幻想町は有家名が選挙で領地を手に入れ、統治するのが決まりだ。
そして、アタイ達星徒は自分が住んでいる町を統治する有家名様に従わなければならない掟がある。
何の役職に入るか、何処で食べて寝るのかは勿論、生きる権限さえも全て管理され、逆らう事は一切許されない。
もし逆らっても、圧倒的な能力で存在そのものを消し去られてしまうと言われ、恐れられている。
それ程までに有家名というのは、星徒であるアタイらなんかより遥か上の権力と能力を持つ存在。
そんな有家名の血が、こんな星徒の中に流れてるなんて!
敵じゃなくて良かった…。
胸の奥で、ホッと安堵の息が漏れる。
妃姫様を裏切ったアイツが、こんなスゲェ能力を持ってても、味方でいてくれるのだから…。
桜の鈴が、チリンと優しく鳴り、まるでその安堵を肯定する。
「取り敢えず、ありがとう。助かったよ。」
アタイは、風呂敷をクルクルと解きながら礼を言う。
濡れた布が、ペタペタと肌から剥がれ、塩水の匂いが鼻をつく。
風呂敷を鱗魚助にパッと渡そうとすると、彼が突然アタイを指差し、黒い目を見開く。
「お、お前…!?」
「何だよ、急に!」
急にお前呼ばわりされ、アタイはムッとする。
アタイが素直にお礼を言うのが意外だと思っているのかい!?
しかし、鱗魚助の視線がアタイの体をガン見してる。
頭のてっぺんから足の先まで。
ジョーカーが、ピョンピョン跳ねるのをピタッと止め、抹茶色の体を傾け、ビーズの目でアタイをジロジロ見る。
「うひゃ〜、モモカ、ピンクピンクだじょ〜!」
と再びピョンピョンしながら叫ぶ。
何!?
ピンクだって!?
アタイは自分の体を見下ろす。
海水で泥が洗い流され、茶色い肌がスッキリと輝いてる。真っ黒に汚れていた毛はピンク色に濡れてキラキラと光り、まるで全身に桜の花が咲いたみたいだ。
大きな耳も、長い尻尾も、ピンクの毛でフサフサと弾み、まるで浅瀬に生えるサンゴみたいに揺れる。
そして、服――カボチャパンツとメイド服!?
丸い形の黒いズボンとシャツに真っ白なフリルのエプロンが濡れてペタッと張り付いてはいるものの、紛れもないメイド服だった。
エプロンの裾が、膝上でヒラヒラと揺れ、桜の鈴がチリンチリンと鳴る。
「何!? アタイ、こんなピンクピンクな毛並みだったのか!? しかも、メイド服だったのかよ!?」
アタイの声が、空間に響き、透明な壁に反響する。
心臓がドクドクと暴れ、大きな耳がピクピクと震える。
長いピンクの尻尾には黒いリボンが結ばれており、アタイに相応しくない可愛らしさをアピールしていた。
まさか自分がこんな姿だったなんて!
ゲンソウチョウの転生が、アタイの姿までこんな風に隠してたなんて!
「うひゃひゃ〜、モモカ、かわいいじょ〜!」
ジョーカーが、砂の床でピョンピョン跳ね、赤い口がパクパクと笑う。
鱗魚助が、風呂敷を握りながらニヤニヤと笑う。
「嬢ちゃん、なかなか派手な毛並みと衣だな!」
と、からかう声に、アタイの顔がカッと熱くなる。
「う、うるさいよ!こんな姿、初めて気づいたんだからな!」
桜の鈴が、チリンチリンと鳴り、まるでアタイの照れを囃し立てる。
砂の床がザリザリと足裏に擦れ、冷たい空気がピンクの体毛をチリチリと刺す。
まだ乾いていないピンクの巻き毛がペタッと額に張り付き、カボチャパンツのメイド服もビショビショで体に貼りつく。
アタイの姿、こんなに派手だったなんて、自分でも信じられないなぁ…。
「さて、そろそろ作戦会議をしようぜ。」
彼の声が、空間に低く響く。
鱗魚助が、紺色の風呂敷を肩にかけ、砂の床にドカリと座る。
黒い目が渦の光をキラリと反射する。
ジョーカーが抹茶色の体をピョンピョンと弾ませ、ビーズの目でキラキラと鱗魚助を見つめる。
「うひゃ〜、さくせんじょ〜!」
アタイは、桜の鈴をチリンと鳴らしながら砂の床にペタンと座る。
大きな耳がピクンと動き、尻尾がピクピクと警戒心で揺れる。
作戦会議って言っても、この状況、どうすりゃいいんだよ?




