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セラバモ 〜セバリゴノ・ドミノ〜  作者: ロソセ
クモ座の劣等星
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クモ座の劣等星①

真っ白な床、真っ白な天井、真っ白なカーテンに囲まれた部屋。


その中心で、真っ白なベッドに横たわる少女がいた。


漆黒の長髪は、まるで墨を流したように艶やかで、真っ白なシーツと毛布の上に小さな枯山水のような波紋を描く。

髪の一房が、彼女の穏やかな寝息に合わせて、かすかに揺れる。


部屋は、窓用の白いカーテン、二台のベッド、その周りを囲う長い白いカーテンの仕切り、そしてそれを見守るように置かれた小さな机と椅子だけで構成されている。


壁も床も、磨かれたように清潔で、静謐な光に満たされている。


窓から差し込む弱々しい光が、カーテンを透かし、部屋をほのかに柔らかく照らす。


まるで、時間の流れが止まったような、穏やかで孤絶した空間。


ここは、ゲンソウチョウの学校で唯一ベッドが置かれた特別な部屋。

保健室。


寒空から遠く隔てられ、白と静寂に包まれた保健室は、異次元の如く時間がゆっくり流れ、すべてが淡い光に抱かれている。


その光は、少女の閉じた瞼にまで届き、夢の奥で揺らめいているようだった。


少女は横たわったまま、肩を小さく上下させ、かすかな寝息を立てる。

穏やかな表情に、微かな笑みが浮かぶ。

まるで、優しい夢に身を委ねているかのように。


コンコン。


入り口の扉を、軽快かつ慎重に叩く音が、静寂を切り裂く。


コンコン、コンコン……。


だが、少女は深い眠りに沈んだまま。

何度扉が叩かれても気づかず、穏やかな夢の中に留まる。

彼女の唇は、夢の中で誰かを呼ぶように、わずかに動く。


ガラガラガラ……。


扉が横に滑る音が、保健室に響き渡る。


その音に、少女の体がピクリと反応する。

ベッドの上で身をよじり、眉間に小さなシワが寄る。

穏やかだった表情が、かすかに苦しげに歪む。

唇から漏れる小さな呻き声が、夢に忍び寄る不安を映す。


だが、彼女は目を覚まさない。


不穏な音に耳を傾けながら、夢の奥で彷徨う。

その音が何を意味するのか、彼女にはまだわからない。

ただ、胸の奥で、ざわめくような感覚が広がる。


「体調はいかがですか?」


凛とした女の声が、保健室の入り口から響く。


その声に、少女はようやく目を覚ます。

重いまぶたをゆっくり開き、顔だけを動かして声の主に視線を向ける。

黒茶色の吊り目は、眠気と戸惑いに揺れている。


入り口に立つのは、同じ制服を着た少女。

真っ黒なタイツに、フレームのない眼鏡。

赤茶色の髪を真ん中で団子状に結い、きっちりとした佇まい。

いかにも真面目そうな、規律を重んじる雰囲気。


ベッドの少女は、眠り足りない目をこすりながら、唇の端に小さな微笑みを浮かべる。


かすかに頷き、弱々しい声で答える。


「はい……何とか。」


「そうですか。」


眼鏡の少女は小さく頷き、レンズ越しの鋭い眼差しで、横たわる少女をじっと見つめる。

その目は、まるで心の奥まで見透かすよう。

強い意志と、厳格な規律が、彼女の表情に宿っている。


黒髪の少女は、その視線にたじろぐ。

目には焦りと不安が滲み、言葉を探して口ごもる。

何かを伝えたいのに、相手の求めるものがわからない。

胸の奥で、ざわざわと落ち着かない波が広がる。


二人の間に、長い沈黙が流れる。


保健室の空気が、まるで固まったように重い。

風も、光も、時間が止まったかのように静まり返る。

白いカーテンが、微動だにせず、ただそこに垂れ下がる。


眼鏡の少女は、厳しい表情を崩さず、冷静な眼差しで黒髪の少女を見つめ続ける。


その目は、言葉を待っている。

いや、言葉を超えた何かを、彼女に求めている。


一方、黒髪の少女は、困惑と不安に支配される。

額に冷や汗が滲み、視線を泳がせる。

眼鏡の少女の言葉を待つが、何も聞こえない。

ただ、沈黙の重さに耐え、気付かれぬよう小さく息を整える。

心臓が、ドクドクと速く鳴る。


コォッケッコッコオォ!


長い沈黙を破る、鶏の朝を告げる鳴き声。

町中に響き渡り、保健室の静寂を一瞬で砕く。


その音を合図に、眼鏡の少女が眼鏡の位置を小さく直す。

ようやく口を開き、冷たく響く声で告げる。


「貴女は特別にこの保健室で眠ることを許されています。ですが、いつまでも特別扱いされるとは思わないでください。」


溜め息混じりの厳しい口調。


黒髪の少女は、太い眉と吊り目の目尻を下げ、視線を泳がせる。


その言葉の裏に隠された意味を探るが、頭は混乱するばかり。

胸の奥で、冷たい不安が広がる。


眼鏡の少女は、深く息を吐き、話を続ける。


「ただ、貴女にとって、とても大切な時期ですよね。……私たちが手助けできることがあれば、何でも言ってください。」


先ほどの冷たさとは打って変わった、優しい言葉。


黒髪の少女は、ホッと息をつき、緊張がわずかに解ける。

ゆっくりと上体を起こし、掛け布団を半分退ける。

長袖の黒いカーディガン越しに、腹部だけが異様に膨らんでいる。

まるで、命を宿すような、神秘的で重い膨らみ。


少女は、両手をそっとその丸い腹に添え、大きく頷く。

声に、かすかな決意が宿る。


「わかりました。……私は、我が子の為に戦います。」


その言葉に、眼鏡の少女の口元がわずかに緩む。

そして彼女の決意を称えるように頷くが、すぐに眉を寄せ、慎重に尋ねる。


「急ぐ必要はありません。……本当に、それでよろしいのですか?」


黒髪の少女は、質問の重みを即座に感じ取る。


答えは一つしかない。

それでも、彼女は迷わず、力強く頷く。


「はい!」


その返答に、眼鏡の少女は満足そうに頷く。

眼鏡のツルに右手を当て、左手を右腕に添え、思案するように視線を落とす。


「では、特別に、貴女に『エサ』を用意しましょう。」


「エサ」という言葉に、黒髪の少女の吊り目が大きく見開かれる。


驚きと感謝が混じる表情で、声を弾ませる。


「感謝いたします!」


「では、お気を付けて。」


眼鏡の少女は、短く告げ、踵を返す。


その瞬間、窓の外から新たな白い光が差し込む。

ワックスで磨かれた床が、窓枠の辺りで眩しく輝く。

白いカーテンが、そよ風に揺れ、光の粒子が舞う。

まるで、保健室が一瞬だけ、別の世界に溶け込むように。


眼鏡の少女は、傷一つない白い右手を差し伸べる。


「改めて、私は……」


キーコーン、カーンコーン。


建物どころか町中に響く、鐘の音。


黒髪の少女は、細く、カサブタだらけの真っ赤な右手を伸ばし、眼鏡の少女の手を握る。

その手は、まるで血に濡れたように赤い。


「私は……」


キーコーン、カーンコーン。


二人は、窓の外、遠くを見つめる。


校庭、正門、その先の長い坂。

海が空となったその下には校舎がそびえ立ち、校庭、正門、そこを出れば長い坂、商店街、その先は小さな家が密集し、その周りを緑と大きな紅い鳥居があちらこちらに生えていた。


それ以外は何も無い、それだけ。


其処は幻の町、ゲンソウチョウ。



◇◇◇

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