ケルベルス座の上級星と水の星徒達⑪
困惑していた鱗魚助はようやく理解したのか、口から小さく「あぁ」と息を吐く。
彼の黒い目が一瞬だけ鋭く光るが、すぐに困ったような表情に戻る。
「なるほどなぁ。あの女とは、そういう関係だったのか…。」
彼の声は、どこか遠くを思い出すように低く響く。
キャットボックスのふわふわな床が、微かに揺れる。
「アタイは許さないよ!」
アタイは爪を構え、キャットボックスの床をガリガリと引っ掻く。
ピンクの毛が舞い上がり、まるで苺の匂いのような甘い香りが鼻をつく。
それでも、鱗魚助は困った顔をするだけで、無防備に突っ立ってる。
紺色の布が、まるで彼の落ち着きを象徴するように、ゆっくりと揺れる。
「オイラは嬢ちゃんの主を憎んでる。理由は分からねぇが、転生して記憶を失くしても怨んでるってことは、それだけ酷ぇことをしたんだろ。」
鱗魚助の声が、静かにキャットボックスに響く。
海の波音が、遠くでザザ〜ッと寄せる。
「それは…。」
アタイは言葉に詰まる。
確かに、妃姫様が過去に何か皆にとって悪い事をしたのではないかと薄々は感じてた。
「それは、そうだけど。」
アタイの声が、かすかに震える。
桜の鈴が、チリンと小さく鳴る。
「本当なら、生かすべきじゃねぇんだ。皆、そう思ってる筈だ。」
鱗魚助の言葉が、まるでナイフのように胸に刺さる。
アタイも、どこかでそう思ってる。
何をしたのか、皆も、アタイも、恐らく妃姫様本人も覚えていないけど、妃姫様は何かやらかしたのだ。
妃姫様への忠誠と、彼女の過去への疑いが、頭の中でぶつかり合う。
「オイラたちがやってきた事を許さなくても構わねぇ。」
黒い目が、アタイをじっと見つめる。
とても真っ直ぐで生き生きとした真っ黒な目。
アタイが何も言えずにいると、鱗魚助が続ける。
「だが、オイラは漢だ。一度嬢ちゃんを守ると言った以上、嘘を吐くわけにはいかねぇ。」
彼の声に、妙な力がこもっている。
もしかしてコイツ、罠じゃなくて、本当にアタイを助けようとしているのか…?
今朝、出会ったばかりのアタイを、可哀想だという理由で?
信じられないけど、嘘には思えなくなってきた。
「勝手にしな! けど、ちょっとでも変なことをしたら、タダじゃおかないから!」
アタイは吠える。
牙のような爪を振り上げ、キャットボックスの床をガリッと削る。
ピンクの毛が舞い上がり、まるで血の霧みたいに漂う。
「おうとも!」
鱗魚助が、ニヤリと笑う。
黒い目がキラッと光り、まるで挑戦を受けて立つような気迫が漂う。
「なかにゃおりかな? うれしいじょ〜!」
様子を伺っていたジョーカーが、鱗魚助の頭の上で腰を振って、ピョンと跳ねて床に着地する。
抹茶色の体が、キャットボックスのふわふわな床で弾む。
赤い口がパクパクと開き、黒いビーズの目が陽光にキラキラ光る。
まるでトランポリンを大道芸人が跳ねるように、ふざけた動きでキャットボックスを揺らす。
「言っておくけど、アンタもだからね!」
アタイは吠える。
桜の鈴がチリンチリンと激しく鳴り、全身の毛がブワッと逆立つ。
ジョーカーの呑気な態度が、妃姫様を傷つけた記憶を刺激する。
「えぇ〜? おれしゃまもぉ〜?」
ジョーカーが、ピョンと跳ねるのを止め、大きなビーズの目でアタイをじっと見る。
「アンタも、妃姫様が困ってるのを見て楽しんでたんだろ!?」
再びアタイの声がキャットボックスに反響する。
胸の奥で妃姫様が流した血と涙が浮かぶ。
「しどいっ! おれしゃまぁ、そんなことしてにゃいのに!」
ジョーカーが、小さな両手で丸い目の下を添え、ワザとらしく泣く仕草をする。
ピンク色の床の上で抹茶色の体が小さくピクピクと震え、まるで芝居がかったピエロみたいだ。
「まぁ、アンタを倒せば今回の選挙が終わるんだ、…覚悟しな。」
アタイは爪を出し、ジョーカーに近付く。
正直、マヌケで可愛らしい見た目のぬいぐるみを切り刻むのは心苦しいが、妃姫様の為だ。
鱗魚助は止めはしなかったものの、心配そうな顔のまま黙ってアタイとジョーカーを交互に見やる。
すると、ジョーカーは泣き真似を止め、アタイを見上げる。
「おれしゃまぁ、ヒキちゃんとハンバーグをたべたぁなかのになぁ〜、かなしいなぁ〜。」
ハンバーグ?
アタイの耳がピンと立つ。
妃姫様とハンバーグを食べた?
どういう事だ?
コイツ、今朝見かけた許子じゃないのか?
「ねぇ、アンタって一体何者なの!?」
アタイは恐る恐る尋ねる。
桜の鈴がチリンと震え、まるで心の奥を揺さぶる。
「おれしゃま、むかぁしむかし、モモカにもあったことあるぞぉ〜!」
ジョーカーがピョンピョンと跳ねながら答える。
ビーズの目がキャットボックスから漏れ出る陽光にギラリと光り、まるで過去を覗き込むようにアタイを見つめる。
「アタイが、アンタと?」
いつ、どこで、何回転生した時に…?
その時、頭の奥で、何かがチラチラと光る。
まるで霧の向こうで、商店街のネオンの明かりが点滅するように。
遥か昔、商店街が活気付いてた頃――、そう、アタイが妃姫様にお仕えしていた頃…。
記憶の断片が、まるで霧に浮かぶ幻のように揺らめく。
マヌケ面なカエルのパペット人形と、金色の大きなお玉を持った、金色の長い髪をポニーテールにした女の子…。
「おい、嬢ちゃん!大丈夫か!?」
耳に鱗魚助の声が響くが、頭の中に霧が充満して返事をする余裕が無い。
桜の鈴がチリンチリンと激しく鳴り、まるで記憶の波を呼び起こす。
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真夜中の豪邸の中、静まり返った廊下を歩くアタイに続いて鈴の音がチリンチリンと鳴り響く。
月光が窓から差し込み、大理石の床に青白い影を落とす。
見回りの途中、厨房から漏れるガチャガチャした音と、ジュウジュウという美味そうな匂いに、大きな耳がピクンと反応する。
何だ、この騒ぎは?
厨房の扉をそっと開けると、暖かい光がドバッと溢れ出す。
ハンバーグの焦げる香り、野菜の甘い匂い、鉄板のジュウジュウという音が、まるで活気溢れる商店街の屋台を思い起こさせる。
「ジョーカー、カモン♪」
女の子の軽快な声が、厨房に響き渡る。
「おれしゃまにぃ、まかしぇるんだなぁ〜!」
カエルのパペットが、口をパクパクさせながら、包丁で玉ねぎをトントンとリズミカルに刻んでいく。
抹茶色の体が、キッチンのカウンターでピョンピョンと弾む。
「もう就業時間は過ぎてるのに、どうしたんだい?」
アタイは、キッチンの前で作業する後ろ姿に声をかける。
金色の長いポニーテールが、フライパンの熱で揺れ、白い長マントがフワッと舞う。
「あら、モモカちゃん?」
相手が振り返り、アタイの名前を呼ぶ。
金色の髪が、光の加減で緑や虹色に煌めき、まるで天界の絹糸のような神秘的な輝きを放ちながら宙を描く。
人懐っこそうな丸い青い瞳は、湖面に映る青空のように透明で、アタイの心を全て見透かしそうな奥深さを持ってる。
「明日はミーシャ様の総領主記念パーティですもの! 張り切って作らなきゃね!」
少女が黄緑で縁取られた目蓋でウインクする。
右手に金色のお玉、左手にハンバーグを焼くフライパンを握り、ジュウジュウと肉汁が弾ける音が響く。
オレンジの手袋とロングブーツには、ルビーのような赤い宝石がキラキラと埋め込まれ、厨房の明かりに映える。
彼女の衣装は、オレンジ色のミニワンピースにクリーム色のエプロン、襟の付いた白いマントという、料理するには少し適していない、どちらかと言えば薬を調合する魔女みたいな奇抜なデザインだった。
「アタイも手伝おうか?」
料理は苦手だけど、せめて玉ねぎくらい切れるだろと、アタイは一歩前に出る。
ピンク色に輝く桜の鈴が、チリンと小さく鳴る。
「大丈夫よ、モモカちゃんはヒキ先輩のお世話で大忙しになるだろうから、ちゃんと寝てね♡」
少女が、柔らかい笑顔で答える。
金色のポニーテールがフワッと揺れ、暖かな光を放つ。
まるで陽光が髪に溶け込んでいるみたいだ。
「でも…。」
アタイが言いかけると、彼女がニコッと笑う。
「私にはこの子達がいるから♡」
ふわふわしたペンギンのパペットがフライパンとお玉で野菜をシャカシャカ炒め、アヒルのぬいぐるみが大鍋をガシャガシャかき混ぜる。
大きな長テーブルの上では、ウサギの親子のぬいぐるみが、せっせと皿に料理を盛り付けてる。
カチャカチャと皿が並ぶ音、野菜のシャキシャキした香り、肉汁のジュウジュウが厨房を奏で、生き生きとさせる。
そして、金髪の少女が、カエルのパペットを右手にはめ込むと、アタイの目の前に突き出す。
パペットの口がパクパクと動き、
「おれしゃまにまかしぇるんだなぁ〜!」
少女がパペットと一緒に口をパクパクさせ、無邪気な笑みを浮かべる。
青い瞳が、まるで星の光のようにキラキラ輝く。
アタイも、つられてニヤリと笑う。
「ああ、頼んだよ、ディケヤミィ!」
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