ナメクジ座とヒル座の劣等星④
「美味しかったぁ~! ごちそうさま!」
お腹も心も満たされて、超ウレピーマン!
優雅に振る舞うべきなのに、幸せすぎて、つい両手でお腹をポンポン叩いちゃう。
「それじゃ、行こっか。」
まーちゃんは満足そうに頷き、さっと立ち上がる。
私はびっくりして見上げる。
「え! もうちょっとゆっくりしようよ!」
まーちゃんと、もっと一緒にいたい。
できれば、ホットケーキと紅茶をおかわりしたいな~!
でも、まーちゃんは小さく首を振る。
「いつもならいいけど、今日はダメなの。」
「そっか……残念。」
まーちゃんの迷いのない言葉に、ちょっとしょんぼり。
急いで帰りたい理由はわからないけど、こんなハッキリ言われたら、諦めるしかないよね。
窓の外、夕焼けが消えて、夜の闇が広がってる。
カフェの中にも、じわじわと暗がりが忍び寄ってくる。
まーちゃんとの別れが近いんだな、って、胸がチクッとする。
私が立ち上がると、まーちゃんが両手で私の右手をぎゅっと握る。
柔らかくて、ほのかに温かい、優しい手。
その温もりが、ふわっと安心感をくれる。
「また、別の日に一緒に来ようね?」
「うん、絶対!」
私も笑顔で答え、まーちゃんの手をぎゅっと握り返す。
彼女の左側に並び、一緒にドアへ向かう。
でも、
「お待ちください。」
出口のドアの前に、サッとメイドさんが立ちはだかる。
それだけじゃない。
彼女の手には、ヒョロ長い体よりさらに長い真っ黒な棒。
その先には、三日月型の銀色の刃が鈍く光ってる。
まるで、死神の大鎌。
「な、なに!?」
どうして!?
さっきまで給仕してたお姉さんが、なんで!?
「仕方ないの……私たちは、君と選挙をするつもりはなかった。けど、こうなってしまった以上、やるしかない……そう、ないから。」
大鎌を構えたまま、ブツブツ呟くメイドさん。
勝手に武器持ってるのに「選挙したくない」って、意味わかんない!
混乱する私の隣で、まーちゃんが深い溜め息をつく。
「ヒキちゃんの思い出の家が出てくるなんて、おかしいと思ってた。やっぱり、貴方たちの仕業だったのね。」
さっきまでの温かい声と打って変わって、冷たい声。
まーちゃん、最初から気づいてたみたい。
でも、「私たち」ってことは……
「動くな。」
後ろから、低くて冷たい男の声。
同時に、首元がヒンヤリ。
嫌な予感に、視線だけ下にやる。
首にピタッと、鮮やかな濃青の刃。
ちょっとでも動いたら、切れちゃいそう。
目だけ右に動かすと、まーちゃんも同じ状態。
彼女の首には、燃えるような真紅の刃が当てられてる。
執事さん、両手に刀を持ってるってこと!?
「君が隠してることはわかってる。死ぬ前に吐け。」
右耳に、冷たい息が吹きかかる。
人の温もりなんて、微塵もない。
ビクッとしそうになるけど、必死にこらえる。
それよりも、隠してるって、なに!?
訳がわからず、目をパチパチさせてると、
「だ、黙ってないで、教えてください!」
目の前のメイドさんが、モゴモゴしながら声を荒げる。
ギョロっとした紫の目が、もっと大きく見開かれて、こっちをガン見。
いつ大鎌で斬りかかってきてもおかしくない。
「ひっ……!」
どうしよう!
私たち、殺されちゃう!
「大丈夫よ、ヒキちゃん。」
まーちゃんが、いつもの穏やかな声で言う。
びっくりするくらい落ち着いてて、余裕さえ感じる。
「まーちゃん?」
信じられない。
いくら冷静なまーちゃんだって、こんな状況でどうして大丈夫って言えるの?
「ヒキちゃん、強く、しっかり、念じてごらん。この状況から逃げられるように……」
「え!?」
思わず変な声が出ちゃった。
「念じるって、私、魔法なんて使えないよ!?」
心の中で、めっちゃ首を振る。
今まで選挙に何度も巻き込まれたけど、いつもまーちゃんが守ってくれて、私には戦う力なんてない。
急にそんなこと言われても、できるわけないよ!
「早く! どこに隠したか言え!」
執事さんの冷たい声が、明らかにイラついてる。
その瞬間、真紅の刃がわずかに動いた。
まーちゃんの首から、ダラダラと一筋の血が流れ落ちる。
「まーちゃんッ!!」
「ちょっと、ミスティカ君!? ダメ、まだ殺しちゃダメ!」
私とメイドさんが、ほぼ同時に叫ぶ。
「時間がないんだ、早く!」
「まーちゃん! まーちゃん!」
今度は私と執事さんが同時に叫ぶ。
どうしよう、まーちゃんが!
頭がパニック。
怖くて、怖くて、体がガタガタ震える。
首がチクチクしても、震えが止まらない。
視界が歪み、白く霞む。
涙がボロボロ溢れて、止まらない。
「大丈夫よ、ヒキちゃん。」
首から血を流しながら、まーちゃんは微笑む。
私を安心させるために、微笑む。
「ここは、ヒキちゃんの夢の世界だから。」
そう言って、ずっと閉じていた両目を静かに開く。
現れたのは、深淵のような深い紅の瞳。
まるで炎が渦巻き、燃え盛るような輝き。
その瞳に、吸い込まれる。
横から見ても、紅い光が私の心の奥に触れ、迷いや不安を一掃していく。
言葉にできない力が、胸の奥から湧き上がる。
まーちゃんの勇気が、私にも伝わってくる。
「まーちゃん、私……!」
「お前は死ね。」
執事さんの冷たい声。
真紅の刃が鋭く天井に振り上げられ、まーちゃんの首から血飛沫が四方に飛び散る。
真っ赤な血が私の目に向かって飛んできて、思わず目を閉じる。
顔に熱い液体がベチャッと張り付き、頬を伝って滴る。
「ミスティカ君! 話が違うじゃない!」
「そっちこそ、選挙はしないって言っただろ!」
「私だって、なんで選挙が始まったのかわからなくて困ってるの!」
メイドさんと執事さんが言い争ってる。
迷ってる場合じゃない!
私がまーちゃんを守らなきゃ!
血で固まった目をギュッと閉じ、冷たくなっていくまーちゃんの手を、温めるように強く握る。
何をどうすればいいかわからない。
でも、まーちゃんの言う通り、ここから逃げられるよう、念じる!
ここは私の夢の世界なんだから、絶対なんとかなる!
お願い、飛んで!
飛べ! 飛べ! 飛べ!
ヒュウゥゥ……。
どこからか、甲高い空気の音が響く。
まるで、風が歌ってるみたい。
「えっと……今すぐ願いが叶うなら? 翼が欲しい?」
何となくそう聞こえて、つい口ずさむ。
ピュゥウォアアア……!
風の音が強くなる。
もしかして、って、耳を澄ませる。
「背中に鳥が乗ってるみたいに、白い翼をください。」
静かで、重々しい、でも希望に満ちた旋律。
ビュウビュウビュウ……!
やっぱり、私の声に風が答えてる!
こんな状況なのに、なんだか楽しくなってくる。
聞こえるリズムに合わせ、続きを歌う。
「この広い空に翼を広げて飛び立ちたい! 悲しみのない自由な空へ飛んでいきたい!」
伸びやかに、声高らかに、逃げ出したい気持ちを込めて!
すると、背中から本当に翼が生えたみたいに、強烈な風圧がドンッと押し寄せる。
風が私の周りを渦巻き、空へ引き上げるように巻き込む。
「待って、ダメッ!」
「まさか、君が!?」
ピュルビュワッビュッビュウビュルバシュウゥッ!
切り裂くような風の音が、メイドさんと執事さんの声を掻き消す。
同時に、強烈な風が私を襲う。
「あっ……!」
足元がふわっと浮く。
ビュゥビュウっと、冷たい空気が全身を包む。
手足も、全身も、地面の感触も重力も感じない。
宙に浮いて、ふわふわしてる。
上も下も、どっちが空かもわからない。
新たな不安と恐怖が、心を締め付ける。
恐る恐る、目を開く。
何も見えない。
右も左も、上も下も、真っ黒な闇。
見えない風に身を委ねながら、混乱と恐怖が心を支配する。
自分がどこにいるのか、生きてるのかさえわからない。
暗闇の中で、押し潰されそうな不安が広がる。
どれくらい時間が経ったんだろう。
漂い続けて、ふと、冷静になる。
痛みもない。
まーちゃんも、襲ってきた二人もいない。
あれ?
私、死んじゃったのかな?
失敗して、よくわからないうちに死んだのかも。
いつの間にか、顔にこびりついてた血も、きれいさっぱり消えてる。
そっか……人って、こんなあっけなく死ぬんだ。
でも、独りぼっちの暗闇じゃなくて、まーちゃんと一緒に、明るくて楽しくて、お腹が空かない天国に行きたかったな。
虚無の海を、前のめりでプカプカ漂いながら、ぼんやり考える。
身も心も空っぽになって、このまま永遠に暗闇で消えていくのかな。
「ヒキちゃん、月が出てきたよ。」
暗闇の中、聞き覚えのある声。
まーちゃん!
顔を上げ、真っ黒な遠くを見つめる。
すると、闇の空から、ホットケーキみたいにまん丸な月が顔を出す。
その光に照らされて見えたのは、長い黒髪を逆立て、紅い瞳を細めて微笑むまーちゃん。
遠くから、こっちへ走ってくる!
「まーちゃん!」
大声で呼び、平泳ぎみたいに腕を掻き分けて突き進む。
踏み外しそうになりながら、ドンドン近づく。
やっと互いに手を伸ばし、ぎゅっと握り合った瞬間、月と闇だけの空間がキラリと一瞬で変わる。
右も左も、上も下も、どこまでも広がる星空が私たちを包む。
白や黄色、ピンクの大粒の星がダイヤモンドみたいに輝き、眩い光の粒が宙に舞う。
まるで、夢の絵本の中みたいな、幻想的な美しさ。
手を繋いだまま、私とまーちゃんは、透明なエレベーターで降りるみたいに、立ったままスーッと下へ落ちていく。
心地良い風に包まれ、星々の間を空中散歩。
下の世界へ、ゆらゆらと向かっていく。
「ヒキちゃん、あの木の上に降りよう?」
まーちゃんが指差す先には、ブロッコリーみたいなモコモコの緑の木。
月の光に照らされて、鮮やかに輝いてる。
「うん、あの木に着地!」
ゆらり、ゆらりと、揺り籠みたいに揺れながら降り、ブロッコリーのてっぺんに同時着地。
足元は、ふんわり柔らかい絨毯みたい。
辺りを見渡すと、ブロッコリーの木はこれ一本だけ。
周りは、真っ白でドロドロしたホワイトソースみたいな川が、湯気を上げながら流れていく。
遠くには、赤い鳥居がポツンと立ってる。
やっと地に足がついたけど、不安がまだまとわりついてる。
まーちゃんと繋いだ手を、離したくない。
「まーちゃん、大丈夫?」
急に思い出して、まーちゃんの首を見る。
ほんのり赤い細い首に、横に浅い傷。
ヌラヌラと血が流れ、白い制服を真っ赤に染めてる。
「大丈夫。いま、元通りに治るから……ね?」
まーちゃんが優しい声で言うと、流れていた血の一滴一滴が、ほのかに光る紅い蝶々に変わる。
パタパタと、月に向かって空高く飛んでいく。
黒い夜空に、紅い蝶々が浮かび上がり、月の光に照らされてキラキラ輝く。
まるで、星空に宝石が生まれた瞬間。
私はその美しさに目を奪われ、優雅に舞う蝶々を見送る。
視線をまーちゃんに戻すと、おでこの傷以外、いつもの無傷のまーちゃん。
両目を閉じて、静かに微笑んでる。
「ぁ……良かった……っ。今日、ほんと、ダメかと、思って……っ!」
安心した瞬間、感情が溢れ出す。
言葉が詰まり、体から力が抜ける。
心臓がドクドク鳴り、目の端に涙が溜まる。
夢の世界でも、いつも楽しいことばかりじゃない。
この前は、巨大なトナカイに追いかけられて、海まで逃げた夢を見たし。
でも、今日は違う。
命の危険を感じる、恐ろしい悪夢。
殺意に満ちた二人に挟まれた恐怖。
首に刃を当てられたチクチクした痛み。
目の前で親友が斬られた絶望。
安全な場所に逃げても、その記憶が鮮明に蘇り、体が小刻みに震える。
「まさか、この世界の掟を破ってくるとは思わなかった……。私が対策してたから何とかなったけど、もうすぐ次の生徒会長が決まる日だから、手段を選ばなかったのかも。」
あんな怖い目に遭ったのに、まーちゃんは落ち着いてる。
「またあんなのに襲われたら、私……私……っ!」
胸がざわつき、冷静になろうとしても体が震える。
声まで震えて、胸が締め付けられる。
まーちゃんは微笑んだまま、左手を伸ばし、人差し指と中指で私の涙をそっと拭う。
「大丈夫。ヒキちゃんには、私がついてるから。」
「まーちゃん……」
その優しい言葉に、緊張の糸がプツンと切れる。
風船から空気が抜けるみたいに、全身の力が抜ける。
足がフラフラして、立ってるのがやっと。
そんな私を見て、まーちゃんは口の端を上げる。
いつもの、合図の言葉。
「今日も楽しかったね。明日はもっと楽しい一日になるよ。」
その声は、暖かな太陽みたいに心を包み、希望と安らぎで満たしてくれる。
まーちゃんの期待に応えたい。
私も、精一杯の笑顔で頷く。
「うん、また明日ね!」
ブロッコリーの木の上で、手を繋いだまま、月を見上げる。
遠くで、キーコーン、カーコーンと、チャイムの音が微かに響く。
赤い鳥居の向こう、星空の海が揺らめいてる。
胸のざわざわはまだ消えないけど、まーちゃんの手の温もりが、明日も頑張れる力をくれる。