鳳凰座の転入星⑪
「まーちゃん!?」
思わず悲鳴に近い声で名前を呼ぶ、同時に一瞬止まっていた私の心臓は急に激しく鼓動し始めた。
まーちゃんは広げた左手で砕けた右腕の断面を隠すように覆う。
指と指の隙間から溢れ舞い散る紅く光る蝶々を身に纏わせながら不規則によろめくも、妙妙ちゃんに向けている視線は外さなかった。
でも、その視線には焦りと苦痛が混じっていた。
私はそれ以上に焦っていた。
今までピンチな目に遭っても微笑みを浮かべていた筈なのに、何で今日は辛そうなの?
不安と焦りで思わず私の手が空中で彼女を掴むように動くが、届くはずもない距離に立っていて、だからといって駆け付ける勇気も無く、ただただ呆然と立ち尽くして見送る事しか出来なかった。
「いくら優等生でも、制服姿のままで勝てると思っているの!?」
顔を歪ませフラフラとよろめくまーちゃんに対して眉を吊り上げ高い声で怒鳴り出す妙妙ちゃん。
馬鹿にされていると思っているのだろうか、さっきまで楽しそうだったとは思えない程に彼女は苛立っていた。
「あとね、掌底は…」
言葉を放っている間に妙妙ちゃんはピョーンっと軽やかに飛び跳ねて一気に詰め寄って来てはまーちゃんの目の前に手の平を見せ付け、
「こうやるのよッ!!」
風を押し切るような速さで掌底が放たれた。
まーちゃんは咄嗟に避けようと身体を右側へ捻ったけど、まるで雷のように体を貫こうと襲って来た攻撃をかわしきれず、左の脇腹に妙妙ちゃんの右手が当たった。
その瞬間、目には見えない周囲の空気が、一点に集約されるかのように感じられた。
それに伴い、耳には沢山の空気が乱回転して絡み合って轟くような力強い音が響き渡る。
強烈な掌底が脇腹に突き刺さり、まーちゃんの身体はくの字になり、真っ赤な火の粉を巻き散らしながら後ろに吹き飛んだ。
低くも遠くへ吹き飛ばされながら、まーちゃんの左脇腹が砕け、そこから紅玉の破片が放物線を描くように飛び散り、光り輝く蝶々へと変化して夜空へと羽ばたいていく。
まーちゃんは真っ赤に輝く両目を見開いて驚きと痛みが入り混じった表情を浮かべて吹き飛ばされながらも、隙を作らないよう必死に視線と平衡を保っていた。
そして地面との接触する直前に精一杯の力で足を着地させ、危うく転倒するところを免れた。
妙妙ちゃんの攻撃を受けて右腕と左の脇腹から胴体の半分を失ってしまっても、戦いの体制に入るまーちゃん。
それでも、細い2本の足で立つのがやっとのようだった。
体力の限界であると証明するかのように、右腕と左の脇腹から飛び立つ紅い蝶々は段々と減り、真っ赤な液体に変わってしまった。
真っ赤な液体はあっという間にまーちゃんの白い制服を赤黒く染め上げ、スカートの裾から滴り落ち、ドロドロと血溜まりを作り上げていく。
「まッ、まぁちゃァんッ!!!」
私は本能的に悲鳴を上げた。
急に広がる血の色が、私の心を恐怖に震えさせた。
怪我をしたら血が出る。
それが当たり前の現象なのに、私は受け入れられなかった。
いつも出て来る紅い蝶々が当たり前だと思っていたから。
そしていつも微笑んでいたのが当たり前だと思っていたから。
私は目をキョロギョロと泳がせ、口をフルブルと開けたまま、言葉にならない驚きと無力感に包まれていった。
ドクンドクン、と自分の心臓の鼓動が耳に響く。
頭の中が真っ白になって立つのがやっとだった。
すると、まーちゃんは目の前に居る敵に構わず私の方に顔を向けた。
そして、真っ赤な目を細め、お口両端を上げて、いつものように微笑んでくれた。
彼女の微笑みは、血に染まった痛々しい傷口と対照的に、何事も無かったかのような穏やかな光を放っていた。
苦痛を忘れさせるような、優しさと強さが交じり合ったものだった。
私を安心させる為に、まーちゃんは微笑んでいる。
でも、とても無理しているのだと悟ると息が詰まり、次にかけるべき言葉が出て来なくなった。
そんな私にまーちゃんは柔らかい微笑みを崩さなかった。
そんな優しいまーちゃんに対して、妙妙は冷ややかな笑みを浮かべていた。
まーちゃんと同じく両目を細めて両方の口角を上げているのに、優しさなんて微塵も感じない、とても高圧的で邪悪な笑みだった。
「まぁ、分かっていた事だけどね!」
私とまーちゃんを交互に見合ってから妙妙はそう吐き捨てた。
どういう事?
私がそう疑問に思っている間に妙妙はスッと両足の爪先を立てて、突然クルクルとその場で右へ自転し始めた。
彼女の体は氷の上をコマ回ししているのかと思う程に高速で滑らかに回転し、まるで風のように流れるような動きだった。
妙妙が急速に右回転する中その身体はスルリと低く潜み、大きなツインテール状の羽髪はパッと一斉に放射状に広がったかと思うと、物凄い速度に引きずられて彼女を包み込むよう直ぐに閉じられ、同時にキュッと小さくなっていく。
妙妙の身体は速さのあまり羽髪と残像に溶け込んでしまって見えない。
まるで巨大な花が閉じ、蕾となって妙妙の身体を守っているかのようだった。
残像の中で蕾がクルクルと舞う中、突如として妙妙の長く鋭い足が飛び出て来た。
その足はまーちゃんの下顎を目掛け、迅速に舞い上がって来た。
ヒュンッっ、と風を切る音がする。
まーちゃんは上半身を無理矢理に大きく右後ろへ傾け、辛うじて蹴りをかわしていく。
でも身体の大半を失くした今のまーちゃんには振り上げられた獰猛な蹴りの風圧に耐えられず、一瞬ふらついてからバランスを崩して右の片膝を地に着けてしまう。
彼女は深呼吸をしてから直ぐに左手を地面に着けて身体を支えながら立ち上がろうとした。
蹴りをかわされた事で妙妙の回転が急速に止まると、両手を軽く握り両脇を締めたルンルンポーズをしている彼女の姿が鮮明に浮かび上がった。
回転が急速に止まるとフワリと広がっていたスカートが閉じられ、大きく燃えるような紅いツインテールは勢い余って顔の左半分が隠れるぐらい右へ揺れた。
ようやく大きなツインテールが落ち着いた時に妙妙の顔が見えるようになった瞬間、私はショックを受けた。
蹴りをかわされたにも関わらず、妙妙は不敵な微笑みを浮かべたまま、目の前でフラフラしているまーちゃんを見下ろしていた。
もしかして、からかっている?
こんな状況でそう思ってしまっても仕方無いぐらい、彼女の瞳には余裕と挑発的な光が宿っていた。
それは明らかに他者を見下すような嘲笑みだった。
もしもそうだったら、ボロボロになっても必死に戦おうとしているまーちゃんを弄んでいるって事?
どうして?
どうしてそんな酷い事が出来るの?
私は絶望と共に落胆していた。
まーちゃんを応援していたけど、心の片隅では戦いを止めて和解出来るかもしれないと思っていた。
そう思わせる程に、妙妙とは分かり合えると感じていた。
だって、彼女も私と同じく皆から虐められている側で、それを何とかしたいと言っていたのだから。
まーちゃんが協力を拒んでしまった時、とても残念そうで可哀想だったから協力したいと思ってしまった。
でも、今の彼女の表情は弱い者虐めを楽しんでいるような、とても信頼出来ない顔だった。
そもそも彼女は最初、私達に対して敵意が無い様子で勝負を仕掛けて来た。
それが自分が優勢になった途端、態度が変わった。
今は女の子だけど、本当は男の子なんだよね。
それに、仲間になりたいって言っておきながら、今は私の親友を虐めている。
嘘ばかり吐いて、何を考えているのか分からない。
今更だけど、それに気が付いてゾッとする。
彼女の言葉や行動に対する私の不安が高まっていく。




