鳳凰座の転入星④
「あの、えぇと…。」
私は言葉を探し求めていたけど、沈黙が長くて余計に話しかけ辛くなって困り果てちゃって、ついつい気まずい時の声が漏れ出る。
胸の中で自分の心臓の鼓動がドキドキどんどん速まっていくのが感じられる。
まるで何か大事な事を言わなければいけない緊張感が、息苦しさと共に私を包み込んでいく。
女の子は私の呻き声に気付いて顔を向ける。
再び目が合った。
白く濁った彼女の目に私の顔が映り、私の中の秘められた言葉を読み解こうとしているようで、その視線に耐えられなくなって、私は目を少しだけ逸らす。
「独り、暮らし、寂しく、ない?」
「えっ?」
突然の質問に驚いて、またしても変な声が出た。
彼女は何の前触れも無く急に私生活について訊いてきたのだから。
それに、彼女は私の名前だけではなく、私が独り暮らししている事までも知っている。
それに対して私は、彼女の名前すら知らない。
なんだか、これまで感じてきた恐怖とは別の意味で怖く感じる。
でもそんな事より、質問してきた彼女の声からは私を心配しているのが伝わってくる。
流石に無視するなんて出来ない。
「うぅん。」
私はゆっくりと首を横に振った。
「本当に、寂しく、ないの?」
私は肩をビクッと震わせる。
まさか更に問い詰めて来るとは思わなかった。
こんな深いところまで掘り下げられるなんて、予想していなかった。
彼女の問いには更に続きがある気配が漂っているような気がして、私は思わず後退ってしまう。
次も答えてまた更に訊かれたら…。
何と答えれば良いのか、考えがまとまらない。
「ごめん、なさい、嫌、だった?」
私の様子を見て咄嗟に謝る女の子。
彼女の目には未だに心配の色が残っているのが見えた。
心の中で何を考えているのか、その表情からは読み取れない部分もあるけど、少なくとも私の反応を気にしているようだった。
どうしよう、何か悪い事しちゃったな…。
胸がざわめきながら、そんな不安が心に広がっている。
でも、やっぱり心配してくれる人がいてくれる事は、とても嬉しいな。
それに、彼女は私の事を知りたがっている。
お友達になれるチャンスだ!
だから少しでも自分の秘密を伝えて、共有したい!
「猫が…、いるから。」
私は答えを口から出していく内に段々と小さくなっていく。
正直に答えると少しだけ心が軽くなっていく気がした。
でも、言ったその直後から追い掛けるように、とてつもない不安が押し寄せて来たのだった。
いつだったかな。
少し前にも他の女の子達から同じような事を訊かれてモモカの事を話したけど、その子達から意味分からないって罵られた事があった。
きっと皆、一軒家暮らしの私と違って集合住宅暮らしで猫や犬が飼えないから妬んでいるんだと思うけど。
でも、モモカ以外で明確な理由が無いから、素直に答える。
それに、自分でも不思議なくらい、彼女には打ち明けても良いかなと思っていた。
彼女は細い眉をピクリと動かし、不思議そうに私を見つめた。
猫を飼っているのは私だけだろうから、予想通りの反応だった。
やっぱり言うべきじゃなかった。
「ぬぇくぉ…?えぇと、猫…?」
さっきまで淡々と機械人形みたいに喋っていたのに、素っ頓狂な声をあげてから聞き返す女の子。
予想以上の反応だったけど、私は落ち着いて大きく頷いた。
「そう、猫。」
目を閉じると、自宅の部屋が浮かび上がる。
静かな夜、窓から差し込む月明かりだけが、誕生日パーティー明けの寂しげな部屋を照らしていた。
学校では皆から除け者にされ、家に帰っても誰も居ない。
何度も繰り返す日々の中で、寂しさが私の心に染み込んでいくのを感じていた。
そんな私にモモカが現れたのだ。
捨て猫だったその弱々しくも小さな存在、唯一の家族が、私の寂しさを埋めてくれるような感じがした。
モモカのボサボサでふわふわとした毛並みに指をなぞり、生き物の心地良い温もりを感じながら、辛い夜を乗り越えてきた。
「そっかぁ、猫かぁ…。」
私が思いに耽ていたら彼女も安らいだ声に変わり、少し肩の力が抜いて窓の方を見る。
窓の外は朝日ですっかり明るくなっていた。
保健室の真ん中からギリギリ見える位置に生えている細くて葉っぱ1枚すらない黒い木々の枝が微かに揺れていた。
「私、猫…好き、最近、見てない、から、寂しい…。」
彼女は小さな声で呟いた。
その言葉からは、彼女の心の中に寂しさが広がっているのが感じられた。
何だか可哀想。
助けて貰ったお礼に、私に出来る事は無いだろうか?
そこまで思ったのだから、考えるまでも無かった。
「じゃあ今度、連れて来るね!」
すると彼女は物凄い早さで振り向き、目を大きく見開いた。
そして、大きくゆっくりと瞬きした直後に潤み、キラキラと輝いた。
彼女から驚きと喜びを同時に感じているのが伝わって来る。
「本当、に?」
彼女は確認するように尋ねる。
その声にはまだ少し疑念が残っていると同時に期待も込められているのが分かる。
「任せて!」
私は期待に応えるよう自信を持って大きく縦に頷き、右手を前に突き出してᏙサインを作って見せる。
「楽しみに、してる…。」
彼女は立ったまま顔だけ少し俯くと、小さなお口の両端を上げて両目を細める。
その顔からは喜びと興奮が滲み出ている。
あ、この子、やっぱりヒトだったんだ。
ちょっと安心しちゃった。
「約束するよ、ぇえと…」
そういえば、名前が分からない。
同じクラスになってからだいぶ経っているのに、ほぼ初対面だった。
誰ですかって、今更訊けない…。
「私、詩由羅、狩生詩由羅。」
彼女は顔を上げて名乗った。
少し猫背を直して背伸びをしているのか、さっきよりも背が伸びたように見える。
「詩由羅ちゃん、宜しくね!」
私は詩由羅ちゃんに向かって自分の右手を差し出した。
彼女との新たな繋がりを期待しながら緊張と興奮が胸を高鳴らせる。
「こちら、こそ、宜しく。」
詩由羅ちゃんは返事こそはしてくれたもの、私の手を握ってはくれなかった。
嫌がったり躊躇ったりする様子は無かったけど、私の握手を求める手を完全に無視した。
皆が握手していたから真似してみたんだけど、急に近付き過ぎたのが悪かったのかな?
ちょっと残念だけど仕方が無いかぁ。
彼女の気持ちを尊重し、少しだけ距離を置いてあげるべきかもしれない。
たった今、クラスメイトから友達になったばかり、焦る必要は無いのだから。
すると、詩由羅ちゃんはそのまま保健室の隅に置いてある大きなゴミ箱に歩み寄る。
「ゴミ、溜まったね。」
私も後から続いてゴミ箱に近付いて覗き込む。
腰の高さまであるゴミ箱は燃えないゴミを中心に、8分目まで溜まっていた。
「校舎裏、に、棄てに、行かなくちゃ…、でも、この後直ぐ、図書室、行かなくちゃ。」
ふと保健室の窓の外を見ると、美しい風景が広がっていた。
赤、白、黄色と庭園に咲く花々と木々の緑が、新しく優しい朝日を浴びて輝いているように見えた。
その奥に見える大きな焼却炉の傍にコンクリートの壁でコの字に囲まれたゴミ置き場がある。
「じゃあ、私が棄てに行くよ!」
私は詩由羅ちゃんに向かって右手を挙げた。
不安そうな表情で見つめる彼女に笑顔を見せながら。
「ぇえと、良い、の?」
きっとひとりでは大変だと思ったのか、詩由羅ちゃんが疑問げに尋ねる。
それでも私は自信を持って頷く。
「任せて!」
「ありがとう、それじゃあ、お願い。」
彼女は微笑みながら言うと、小走りで保健室から出て行った。
本当は大切な用事があったのに、私に付き合ってくれたんだ。
これがお友達っていうものなんだ。
私は彼女を見送った後、ゴミ箱に向き直る。
左腕、右腕へと長袖を肘まで捲くると、大きなゴミ箱の縁の下から指先を引っ掛けて靴の高さまで持ち上げる。
縁が少しだけお腹に食い込んで、全体を支えるようになった。
大きくて重いけど、運べない程では無い。
休み休みであれば私ひとりでも大丈夫!
新しく出来たお友達の信頼に応える為、その重要な使命を胸に抱きながら、私は大きなゴミ箱を抱えて出発した。
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