ナメクジ座とヒル座の劣等星③
「え、それじゃ私もホットケーキと紅茶で!」
「お待たせしました。ホットケーキです。」
いつの間にか、メイドさんが私とまーちゃんの左隣に立ってる!
フォークとナイフを一本ずつ置き、テキパキ準備してる後ろには、銀色の丸い釣鐘型の蓋が二つ載ったワゴンが。
「あれ? 私たち、まだ注文してな……」
チラッとメニュー表を見ると、いつの間にかホットケーキと紅茶の写真だけになってる!
ホットケーキ強制じゃん!
ちょっとガッカリしたけど、目の前に置かれた大きな銀の蓋がスッと開けられた瞬間、フワァッと香ばしいバニラの甘い湯気が顔に広がる。
うわ、鼻がヒクヒクしちゃう!
……まぁ、ホットケーキの気分になったし、結果オーライかな?
「うわぁっ!」
白い湯気の中から現れたのは、まるで輝くお月様!
横から見たら辞書みたいに分厚いホットケーキが、なんと三段重ね!
一番上には黄金色のシロップがキラキラ広がり、ところどころ溢れて下の段まで小さな滝みたいに流れ落ちてる。
シロップの湖には、四角いバターの船がゆったり溶けながら漂ってる。
まるで絵本から飛び出したみたいな、夢みたいなホットケーキ!
「さ、冷めないうちに食べよっか。」
相変わらず急かすまーちゃん。
「うん、いただきまーす!」
右手でナイフを握り、真ん中から手前へスッと下ろす。
しゅわっ!
思わず目が丸くなる。
ナイフが、泡を切るみたいにスーッと三段を一気に切っちゃった!
「これ、スフレパンケーキだ!」
「良かったね、ヒキちゃん。いつも食べたいって言ってたよね。」
興奮で目をキラキラさせる私に、まーちゃんは口角を上げて一緒に喜んでくれる。
まーちゃんは両手でお皿の端を持ち、左右にゆらゆら。
遅れて、分厚いホットケーキがぷるぷる揺れる。
しまった!
最初から知ってたら、私もぷるぷる楽しんだのに!
負けられないから、私もホットケーキを揺らす。
まーちゃんほどじゃないけど、ぷるぷる動くの、超楽しい!
切り込んだ溝に、溶けたバターとシロップがじゅわっと吸い込まれていく。
ぷるぷるを堪能したら、一口サイズに切ってパクッ。
「んふぅッ!」
びっくりして変な声が出ちゃった!
ふわっとした生地が、口の中でしゅわぁっと広がる!
噛むと、舌の上でバターの濃厚な塩気とシロップの甘さがドバァッと弾けて、鼻からバニラの甘い香りが抜ける。
「なにこれ!? めっちゃ美味しい!」
こんなホットケーキ、初めて!
早く食べきらなきゃ!
一口ごとに、ふわっとした雲みたいな生地がシロップとバターを吸って、だんだん重くなる。
でも、圧縮されて噛みごたえが増すと、生地の香ばしさやバターのミルキーな塩気、シロップの甘さがもっと濃く感じられて、これも最高!
「ヒキちゃん、食べるの早いね。」
私が半分食べちゃったのに対し、まーちゃんはまだ一口も食べてない。
興奮しすぎて、いつもよりハイペースかも。
「あれ? まーちゃん、嫌いだった?」
「ううん、そうじゃないけど……」
まーちゃんはチラッと、カウンターの二人に目を向ける。
まーちゃんと目が合ったらしい執事さんは、右手にカップとソーサー、左手でポットを高く持ち上げる。
ポットの口から飛び出した夕日色の紅茶が、湯気をまとって細い放物線を描く。
日の光にキラキラ輝きながら、まるで生き物みたいにティーカップへ次々と飛び込んでいく。
執事さんの長い腕のおかげで、キラキラの放物線がめっちゃ長くて、めっちゃ綺麗!
「おお~!」
思わず拍手しちゃう!
紅茶で満たされたカップをメイドさんに渡す執事さん。
その直後、
「紅茶、です。」
「んっ!?」
いつの間にかメイドさんが目の前に!
ソーサーとカップをテーブルに置く。
慌ててカップとテーブルの間を覗くけど、一滴もこぼれてない!
驚きとホッとした気持ちが入り混じる。
もう一度メイドさんを目で追おうとしたけど、気付いたらまーちゃんの前にも紅茶が置かれてる。
え、速すぎ! 何!?
まるで時間が止まったみたい。
メイドさんの動きの速さに、ただただ圧倒されて、心の中で「すげぇ……」って呟く。
「では、ごゆっくり。」
メイドさんは小さくお辞儀し、執事さんが皿を磨くカウンターへカサカサ戻っていく。
「……なんか、今日、すごいね?」
「そうね。」
言葉が見つからず「すごい」としか言えない私に、まーちゃんはゆっくり深く頷く。
「いつの間にか、選挙が始まってたみたい。」
「選挙!?」
聞きたくなかった言葉を、思わず復唱しちゃう。
同時に胸の奥がザワッと騒ぐ。
もしかして、って、カウンターの二人にチラッと目をやる。
細長くて青白いメイドさん。
泥みたいな肌の執事さん。
真っ黒な長い髪と、ギョロっとした紫の目。
このカフェの温かさに、めっちゃ似合わない。
お化け屋敷の方がピッタリかも。
でも、なんか……見覚えがある?
どこかで会ったような、でも思い出せない。
ギョロリ。
二人の紫の目と、私の茶色い目がバッチリ合った。
ヒィッ! こっち見てた! 見つめ合っちゃった! 怖っ!
知らないフリしなきゃ!
そ、そうだ、紅茶飲も!
慌てて、ソーサーの白いカップを両手で持ち上げる。
指先にじんわり伝わる温かさ。
薄い陶器の縁には、金色の繊細な曲線が輝いてて、シンプルなのに上品で、なんか特別な気分。
カップの中は、夕日に照らされた湖みたいに、濃くて明るい紅茶がゆらゆら揺れてる。
白い湯気がふわっと立ち上り、香ばしい中にオレンジのフルーティーな香りが混じる。
そっと唇を当て、ふんっと鼻で香りを吸い込む。
熱いから、ゆっくり、ちびちび飲む。
柔らかい口当たり。
紅茶の心地良い渋みに、オレンジの爽やかな甘みと酸味が調和して、口いっぱいに広がる。
喉を通り過ぎ、全身がじんわり温まる。
「ほぉ……紅茶も美味しいね。」
ドキドキしてた心臓が、ちょっと落ち着いた。
「ヒキちゃん、お塩ちょうだい。」
「え? お塩? はい。」
テーブルの隅に、最初からあったか謎な銀色の塩ボトルを手に取り、まーちゃんに渡す。
「ありがと。」
まーちゃんはボトルを受け取ると、蓋をパカッと開けて……
自分のホットケーキに、塩をドバドバぶちまけた!
「まーちゃん!?」
驚く私を無視して、まーちゃんは塩まみれのホットケーキをフォークでグチャグチャかき混ぜる。
シュワシュワと音を立てながら、ホットケーキがみるみる萎んでいく。
まーちゃん、時々変なことするけど、これはさすがにビックリ!
言葉も出ず、残念な形になっていくホットケーキを呆然と見つめるしかなかった。
「ヒキちゃん、私も手伝うから……」
グチャグチャの塩まみれホットケーキを口に運び、まーちゃんは目を閉じたまま、静かに微笑む。
「今回の選挙、大変だと思うけど、頑張ってね。」
「まーちゃん……」
私はフォークとナイフをお皿に置き、まーちゃんの後ろの窓の外、オレンジ色の空に目をやる。
夕暮れが近づく空は、陰りのない暖かなオレンジ一色。
何もない、ただただ広がる空。
そのシンプルな美しさが、なぜか現実から目を背けたい気持ちを呼び起こす。
私、選挙が嫌い。
毎日毎日、選挙から逃げてた。
まーちゃんと出会うまでは。
まーちゃんは、私が選挙に勝つことを願ってる。
その期待に応えなきゃ。
だから……
「大丈夫! 私、まーちゃんのために、選挙めっちゃ頑張るよ!」
まーちゃんに向かって、ブイサインをキメる!
まーちゃんは満足そうに、ゆっくり頷く。
「それなら良かった。楽しみにしてるね。」
いつの間にか、まーちゃんのホットケーキは消えて、お皿だけが残ってる。
窓の外、オレンジの空に赤い鳥居がシルエットになって浮かんでる。
その向こう、遠くで、キーコーン、カーコーンと、微かにチャイムの音が響く。
なんだか、胸のざわざわが大きくなってきた。
でも、まーちゃんの笑顔を見ると、頑張れる気がする。