ナメクジ座とヒル座の劣等星②
キーコーン、カーコーン!
町中に響き渡る学校のチャイム。
キーコーン、カーコーン!
鳴り終われば、楽しい時間がやってくる!
よーい、ドン!
私は誰よりも早く、校門を飛び出し、長い坂を駆け下りる!
私の名前は桜丘妃姫。
みんなからは「ヒキちゃん」って呼ばれてるよ!
学校が終わったから、今からカラオケに行くんだ!
毎日恒例だけど、心がウキウキ、弾む弾む!
超ウレピーマン!
長い坂をダッシュで下り、商店街へ一直線!
黒い三つ編みが右へ左へ暴れても、向かい風で白いワンピースのスカートが太ももに貼り付いても、履き潰した黒いローファーがコンクリートを擦る音がしても、ぜーんぜん気にしない!
だって、ここは私の夢の世界!
夢の扉が開かれた瞬間なんだから!
坂の下、大きくて真っ赤な鳥居をくぐり抜ける。
シャッターが下りたお店がずらりと並ぶ、静かな商店街。
その真ん中に立つ、もう一つの赤い鳥居が、いつもの待ち合わせ場所だ。
ダッシュで到着し、周りを見渡すけど……誰もいない。
灰色の石畳がどこまでも続くシャッター通り。
その先には、また赤い鳥居と、森と住宅街が広がっている。
でも、探している人の姿はどこにもない。
人も鳥も、まるで見当たらない。
なんだか、ちょっと寂しいな。
今日も会えるかなぁ。
思わず溜め息が漏れる。
「ヒキちゃん、誰と喋ってるの?」
「わっ?!」
聞き慣れた声に、びっくりして変な声が出ちゃった!
後ろから急に話しかけられたから、心臓がドキッ!
振り返ると、商店街に老若男女、たくさんの人が私の悲鳴に反応して、「何?」「どうしたの?」って顔でこっちを見てる!
やだ、恥ずかしー!
顔がカーッと熱くなる中、目の前には、私と同じ白いワンピースに黒いリボンの制服を着た女の子が、にこやかに立っていた。
「ヒキちゃんったら、恥ずかしがらなくても大丈夫よ。」
顔を真っ赤にしてる私に、彼女は目を閉じたまま、涼しげに微笑む。
すらりとした長身。
腰まで伸びる、つやつやの真っ黒な髪。
閉じたまぶたに、長い漆黒のまつげ。
おでこに縦に走る傷さえなければ、完璧な美少女!
「すらっとした長身! つやつやの黒髪! 長いまつげ! 傷さえなければパーフェクトな美少女、幻子ちゃん!」
嬉しさと興奮で、つい周りに聞こえる大声で叫んじゃった!
そう、この子こそ私の大親友、幻子ちゃん。
略して「まーちゃん」!
「……褒めてくれるのは嬉しいけど、大声だとちょっと恥ずかしいな。」
まーちゃんは口角を上げ、頬をほんのり赤く染めて俯く。
まるで夕日に照らされた一輪の花みたい……。
って、なに! このヤマトナデシコ感!
同じ女の子なのに、ドキドキしちゃう!
そんなこと考えて、また恥ずかしくなっちゃった!
「と、と、とりあえず! 遊びに行こ!」
気まずさを振り払うように、私はスタスタ歩き出す。
まーちゃんは両方の口角を上げて頷き、目を閉じたまま軽やかに付いてくる。
「ね、ヒキちゃん、今日はカラオケ?」
私の歩幅に合わせて歩き、右手をそっと繋いでくれるまーちゃん。
その手は柔らかくて、滑らかで、ほのかに温かい。
彼女の閉じた目の先に、白い縦長の建物が見える。
「カラオケ」と赤く光る電子看板が、チカチカと派手に主張してる。
「最近ね、登校中に流れてくる歌を何度も聞いてたら覚えちゃって! たぶんカラオケにあると思うんだ!」
まーちゃんも知ってるよね、って鼻歌を歌おうと息を吸った瞬間、
「あ、ヒキちゃん! その曲、ないよ!」
まーちゃんが早口で教えてくれた。
「そっか、残念……。」
思わず「チューッ」と唇を尖らせちゃう。
そんな私に、まーちゃんはクスクスと小さく笑う。
こんな私にも、嫌な顔一つしない、優しい美少女。
そう、私とまーちゃんは大親友なんだ!
「ね、ヒキちゃん、今日はあのオシャレなカフェでケーキでも食べない?」
まーちゃんが指差す先を目で追う。
赤い鳥居が点在する草原の丘。
その上に、ぽつんと立つ、赤い屋根の積み木みたいな二階建ての家。
「わぁ! めっちゃ可愛い! 小さい頃に遊んだお家にそっくり!」
あまりの可愛さに、ピョンピョン飛び跳ねちゃう!
昔、従姉妹の美沙お姉ちゃんと砂沙ちゃんと三人で、お人形遊びしてた頃を思い出す。
懐かしいな!
心がウキウキマンボー!
「じゃ、行こっか。」
まーちゃんが私の手を引いてくれる。
小さくて可愛い家は、近づくにつれてどんどん大きくなる。
扉の前に立って見上げると、思った以上に大きくて、なんだか迫力がある。
「わぁ……本当にそっくり!」
感動で声を上げながら、顔を上げる。
特徴的な赤い屋根は、太陽の光を反射してキラキラ輝いてる。
外壁はミルクティー色の木でできていて、木目が年輪みたいにうっすら見える。
たくさんの窓ガラスが光を跳ね返し、自然と調和した温かみのある家って感じ!
「それじゃ、入ろっか。」
まーちゃんが大きな木のドアを押す。
ギィッと小さな音の後、ふわっと暖かい風。
ほのかに甘い木の香りが漂ってくる。
思わず鼻で空気を吸い込む。
中に入ると、広い壁も床も、テーブルも椅子も、全部ミルクティー色の木でできてる。
吹き抜けの二階には、木枠の大きなガラス窓がずらり。
日の光が差し込み、足元までぽかぽか明るい。
外壁に沿った階段は、途中にも小さな窓がいくつもあって、光がキラキラ反射してる。
「ヒキちゃん、あそこに座ろっか。」
まーちゃんが指差すのは、窓際の席。
長方形の木のテーブルを挟んで、椅子が二つ向かい合ってる。
陽の光がたっぷり降り注ぐ、ぽかぽかの一等地だ。
「いいじゃん! ウレピーマン!」
パタパタと席に向かい、さっそく椅子に座る。
まーちゃんはゆったり歩いて、向かいの席に腰掛けた。
木の椅子とテーブルは、ニスでピカピカに磨かれてて、つるつるしてる。
怪我の心配もないし、超ウレピーマン!
ほんと、温かみがあって素敵な雰囲気!
どんな人が経営してるんだろう?
カフェのメニューも気になるな!
「いらっしゃいませ。」
「わぁっ!?」
「……っ!」
音もなく現れた女の人に、びっくり!
まるで幽霊みたいに、気配も元気もない声!
黒い半袖の長スカートワンピースに、白いエプロンとヘッドドレス。
クラシカルなメイド服を着てるんだけど……めっちゃ背が高い!
メイド服がぶかぶかになるくらい、ヒョロヒョロに細い!
膝下まで伸びる真っ黒な髪は、重そうで、青白い顔にはギョロギョロした紫の目。
そして、耳! 肩にくっつきそうなほど、めっちゃ長い!
これはもう、人間じゃないよね……。
「ゲンソウチョウ」じゃ、たまにこういうのに出会うけど、久々だからドキッとした!
まーちゃんも驚いてるみたい。
目を閉じてるから見えてるかは謎だけど、メイドさんの方を向いて、口をポカンと開けてる。
「……メニュー表、です。」
骨張った青白い手で、メニュー表をスッと差し出すメイドさん。
ボソボソした声で、聞き取りづらい。
「あ、はい。」
つい素っ気なく受け取っちゃった。
「……では。」
メイドさんは音もなく、ゴキブリみたいにカサカサと小走りで、奥のシンプルなキッチンカウンターへ戻る。
カウンターには、もう一人。
メイドさん似の長い黒髪を後ろで束ねた、泥みたいな色の肌の男。
黒いスーツの執事姿で、ヤカンを温めてる。
彼も長い耳と、ギョロっとした紫の目をしてる。
兄妹でカフェやってるのかな?
遠くから調理の様子が見えるけど、なんか不気味な人たちの料理見ても食欲なくなるだけだから、視線を外した。
正面には、にこやかに微笑むまーちゃん。
私は彼女を眺めながら、料理が来るのを待つことにした。
微かに、いつもの曲が流れてる。
この店でいつもかかる、優しくて落ち着いたメロディー。
でも、今日はなんだか違う気分。
温かな木の建物と、冷たく不気味な店員。
どっちが生きてるのか、わからなくなる。
ゾンビがカフェやってるなんて、変なの!
「ヒキちゃん?」
まーちゃんの声で、ハッとする。
ボーッと考え込んでた私に、まーちゃんはメニュー表を広げて見せてくれる。
おっとりしてるけど、実はせっかちな子だよね。
「あ、そっか……。」
メニュー表を覗き込むため、ちょっと立ち上がってテーブルに両手をつき、中腰で目を細める。
写真や文字がたくさんあるのはわかるけど、全体的にボヤけてて、何がなんだか。
どれだけ近づいても、目を凝らしても、ダメ。
いつものことだけど、これほんと困るな……。
「私はね、ホットケーキと温かい紅茶がいいな。」
まーちゃんがメニュー表を見せながら言う。
ホットケーキかぁ。
なんか、シュークリームとかプリンアラモードとか、もっと甘いのが食べたい気分なんだけど、メニューが読めないから仕方ないか。
でも、なんだか胸の奥がざわざわする。
このカフェ、温かいのに、どこか冷たい。
まーちゃんの笑顔だけが、私をこの場所につなぎ止めてるみたいだ。