双子座の優等星①
薄暗い部屋は、まるで生き物の臓器のように複雑に絡み合った管や、天井までびっしりと並ぶ無機質な器具で埋め尽くされていた。
冷たい鉄の匂いと、微かに響く機械の低いうなり声が、物置というより秘密の実験室を思わせる。
部屋の中央に、直径2メートル、高さ3メートルの円柱型ガラス容器が鎮座している。
瓶の蓋のような重厚な装置で密閉されたその容器は、天井の弱い蛍光灯に照らされ、青白く不気味に輝いていた。
容器の中には、透明な培養液が静かに揺れ、中心に布切れ一枚も身にまとわず、明るい桃色の髪を持つ少女が浮かんでいる。
水中にもかかわらず、彼女は直立したまま、まるで夢の中で佇むように静かに眠っていた。
容器の下から細かい気泡が絶え間なく噴き出し、少女の白い肌を優しく包み込む。
その光景は、まるで神聖な棺に納められた聖女のようであり、同時に、実験体の冷酷な美しさを湛えていた。
長い桃色の髪が水流に揺れ、まるで天に向かってそよぐ花のようだ。
カツカツ、コツコツ…
「全く!何故この私がクソバ…お姉様の奴隷なんかを案内しなければならないのですか!私には他にも研究が山程あって忙しいというのに…っ、こんな下らないことに時間を割くなんて…!」
朝の静寂を破る、苛立った男性の声と複数の靴音が、部屋の唯一の出入り口――重厚な鉄製の扉の向こうから響く。
音は徐々に近づき、部屋に不協和音を投げ込む。
ギイィィ…
扉が重々しく観音開きに開くと、瑠璃色の長い髪を金のリボンで一つに束ねた青年が姿を現す。
紫のマントと群青色のローブに身を包み、気高い雰囲気を漂わせる彼の尖った耳には、紫水晶のピアスが揺れている。
その後ろから、柔らかな空色の髪に小さな白いメイドキャップを被った少女が続く。
白いエプロンと紺色のロングワンピースに身を包む彼女は、可憐だが人形のように無表情だ。
彼女の足音は、青年のそれよりも軽く、まるで影のように控えめだ。
部屋に入るなり、瑠璃色の髪の青年は鋭い視線でガラス容器を一瞥する。
アクアトルマリンとグリーントルマリンのオッドアイが、冷たく光を反射する。
彼は振り返り、メイドの少女に高圧的な口調で告げる。
「本日の面会時間についてですが、10分で宜しいでしょうか?」
丁寧だが、反論を許さない声音。
紫水晶のピアスがカチリと鳴り、彼の苛立ちを代弁するかのようだ。
「構いません。ありがとうございます。」
空色の髪のメイドは、無表情のまま小さく頷く。
青年の視線を受け止め、腰から深々とお辞儀をする。
その仕草には、感謝と敬意が込められているが、彼女の青い瞳には微かな警戒心が宿る。
顔を上げると、彼女は静かにガラス容器に歩み寄り、深く青い目で中を見つめる。
「久しぶりね。今回で2度目…特別に面会の許可を頂いたの。また貴女に会えて、嬉しいわ。」
彼女の声は柔らかく、まるで水面に落ちる滴のように響く。
ガラス容器の中の少女――身長を超える長い桃色の髪をふわふわと揺らし、優雅に培養液に浮かぶ――は、まるでその声を聞いているかのように穏やかだ。
白く細い手足が気泡とともにゆらゆらと揺れ、水中で踊る精霊のよう。
彼女の顔は夢心地に浸り、淡い桃色の唇が微かに微笑んでいる。
瞼の裏には、どんな夢が広がっているのだろうか。
その少女は、髪色や立場は異なるものの、目の前に立つ空色の髪の少女と瓜二つだった。
まるで鏡に映ったもう一人の自分を見るかのように、彼女たちは対峙している。
「今日は不思議な夢を見たの。紅い柱が立ち並ぶ町で、貴女と私が手を繋いで笑い合い、流れ星を数えていたわ。」
空色の髪の少女は、抑えきれない感情を声に込めて囁く。
彼女の無表情な顔には似合わない、熱を帯びた言葉。まるで、長年封じていた想いが溢れ出すかのようだ。
その瞬間、桃色の髪の少女が反応した。
ゆっくりと、桃色の睫毛が震え、薄く目を開く。
紅い瞳は濁り、焦点が定まらないが、その奥には微かな希望の光が宿っている。
まるで、遠い夢の果てからこちらを覗くように。
空色の髪の少女は息をのむ。青い瞳が見開かれ、ガラス越しに少女を見つめる。
「まさか、あの程度の会話で意識が戻るなど笑止!」
扉に寄りかかり、腕を組んで退屈そうにしていた瑠璃色の髪の青年が、少女の変化に眉を上げ、身を乗り出す。
異なる色の瞳が光を反射し、彼の好奇心を映す。
深く青い瞳と、深く紅い瞳。
二人の少女は、ガラスを隔てて静かに対峙する。
培養液の気泡が小さく弾け、部屋に微かな音を響かせる。
「私には貴女と一緒にいた記憶はない。でも、まるで長い人生を共に歩んできたような気がするの。夢の中で過ごした時間が、現実と錯覚するほどに…。こうして貴女に会えたのは、奇跡だと思うわ。」
空色の髪の少女の声は、興奮を抑えきれず、言葉が滝のように溢れ出す。
無表情の顔とのギャップが、彼女の内なる熱を際立たせる。
桃色の髪の少女は、薄く開いた目で静かに浮かぶ。
動かない身体から、わずかに開いた口を通じて小さな気泡が漏れ、ゆっくりと天井へ昇っていく。
その気泡は、まるで彼女の夢の断片を運ぶかのようだ。
空色の髪の少女はそれを見逃さない。
虚ろだった青い瞳が細まり、嬉しさで震える笑みを浮かべる。
「今は別々の道を歩んでいるけど、心は一つ。何があっても絆を忘れず、いつか再び出会い、共に未来を切り開きましょう!」
彼女は、擦り傷だらけの白い左手を伸ばし、ガラス越しに桃色の髪の少女の手に触れる位置にそっと置く。
ガラスの冷たさが、彼女の熱い想いと対比する。
「改めて、私は…」
キーコーン、カーンコーン。
夢の中で聞いた、忘れられない音。
建物どころか町中に響き渡る鐘の音。
低く、重く、まるで夢の境界を揺さぶるような音色。
桃色の髪の少女は、ぼんやりとした表情のまま、傷一つない白い右手をゆっくりと伸ばす。
ガラス越しに、空色の髪の少女の指に触れる。
彼女の紅い瞳は、まるで遠い記憶を追いかけるように揺れる。
「そして、貴女の名前は…」
キーコーン、カーンコーン。
鐘の音が再び響く。
桃色の髪の少女の意識は、微睡みの中の断片的な記憶を辿る。
校庭、正門、その先の長い坂。シャッターが閉じた商店街、小さな家々が密集する一角。緑の木々と、紅い鳥居が点在する風景。
それ以外は何も無い、それだけ。
其処は幻の町、ゲンソウチョウ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆