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セラバモ 〜セバリゴノ・ドミノ〜  作者: ロソセ
クモ座の劣等星
12/66

クモ座の劣等星⑦

私は歌の後に起きる奇跡を待ちわびた。

昨日みたいに、キラキラと輝く星空が広がるはず――でも、何も起こらない。


静けさが私の胸を締め付ける。

心臓の鼓動が耳元でドクドクと響く。


「次は貴女の番ですよ。」


椿緋女が近づいてくる。

彼女の真っ赤な唇は、まるで血を啜ったばかりのように濡れ光り、長襦袢は鮮血でまだらに染まっている。

周囲の椿の花々よりも深く、ドス黒く浮かび上がるその姿は、絶望そのものだった。


トス、トス。


彼女の足音が近づくたび、不安が膨らむ。

心臓の鼓動が早鐘のように加速する。


「逃げなきゃ!」


必死に身体を捩るが、糸に縛られた手足はピクリとも動かない。

焦りと恐怖が頭を支配し、思考がぐちゃぐちゃになる。

その時、冷たい何かが首筋に触れた。

蛇のような滑らかな感触。


「嫌だッ…イャアァァァァッ!!」


反射的に叫んだ瞬間――


ヒュルルルルゥゥッ!!


私の叫びに呼応するように、風が咆哮した。

荒々しい突風が巻き起こり、地面に敷かれた椿の花々が根こそぎ舞い上がる。


花びらではなく、まるで生きているかのように花全体がクルクルと回転しながら宙を舞い、枕ほどの大きさの花束を形成。


風の勢いに乗ったその花束が、まるで投擲された槍のように私の顔めがけて突進してきた。


「ワッ!?」


ボフッ!


椿の花が顔を覆い、視界を奪う。

振り払おうにも身体は動かない。

花の甘く重い香りが鼻を突く。


風の咆哮はさらに強まり、まるで獣の遠吠えのように私の周囲を駆け巡る。


「なっ、何この風…!?」


プュルシュバババババッ!!


椿緋女の困惑した声が、鋭い風の音に掻き消された。


風は彼女をも巻き込み、椿の花を刃のように振り回す。

花びらが空気を切り裂き、ビュンッ、ビュンッと鋭い音を立てて彼女の周囲を旋回する。


次の瞬間、


ガタンッ!


私を縛っていたベッドが突風に煽られ、空中でバラバラに分解された。


糸の拘束が一気に緩み、身体が宙に投げ出される。


顔にまとわりついていた椿の花も風に攫われ、暗闇の中へと消えていく。


私は目を固く閉じたまま、恐怖で叫ぶこともできない。


冷たい風が全身を包み、ふわっとした浮遊感が続く。

真っ赤だった景色が、今は真っ黒な闇に飲み込まれているのが、閉じた瞼の裏でも分かる。


下へ、下へ、落ちていく。

右も左も上も下も、すべてが黒い虚空。

手足が宙に浮き、感覚がふわふわと漂う。


「この感覚…昨日と同じだ!」


きっと、まーちゃんが迎えに来てくれる。

昨日みたいに、すぐに助けてくれるはず。

私は目を閉じたまま、そう信じて身体を預けた。


でも、どれだけ待っても浮遊感は続く。

何も見えず、何も聞こえない。

風の音も、私の心音も、すべてが遠ざかる。


「…え? 私、死んだの?」


ふと、そんな考えが頭をよぎる。


夢から醒めても学校で嫌なことが待っていて、楽しいはずの夢の中でもこんな目に遭うなら、このまま何もない闇で眠り続ける方が幸せかもしれない。


ただ、最期はまーちゃんと一緒が良かったな…。


「ヒキちゃん、もう目を開けても大丈夫よ。」


暗闇の底から、まーちゃんの優しい声が響く。


恐る恐る目を開ける。


そこには、椿の木々も花々も跡形もなく、ただ真っ黒な空間が広がっていた。


だが、目の前を一匹の赤い蝶がヒラヒラと舞い抜ける。


その軌跡を追うと、遠くで無数の赤い蝶が一箇所に群がっているのが見えた。


その中心にいるのは――。


「まーちゃん、大丈夫なの!?」


私は叫び、思わず走り出す。足元に地面はないのに、まるで水面を滑るようにまーちゃんに近づいていく。


「私は大丈夫。」


蝶の群れから、まーちゃんの声が柔らかく響く。

無数の赤い蝶が次々と飛び立ち、キラキラと光を放ちながら消えていく。


やがて、汚れ一つないまーちゃんの姿が現れる。

彼女はいつもの優しい笑みを浮かべ、ゆっくりと私の前に歩み寄ると、柔らかい右手で私の左手を握ってくれた。


「あぁ、良かった…!」


心の底から安堵の息が漏れる。


昨日は斬りつけられ、今日は食べられて、もう駄目だと思った。


でも、まーちゃんはこうやって助かって、目の前にいてくれる。


本当に、本当に良かった。


「それより、ほら、見て。」


まーちゃんが指差す先を見上げると、真っ黒な空に赤い風船が一つ、ふわりと浮かんでいた。


ヒュゥゥウウ〜!


風船が空気を吐き出し、勢いよく上昇する。


雲を突き抜け、どんどん高く舞い上がると――


パンッ!


暗い空に、巨大な赤い花がパッと咲いた。

燃えるような花火が夜を切り裂く。


「わぁ〜!」


興奮と感動が胸を満たし、思わず声を上げる。

私とまーちゃんは同時に歓声をあげ、花火が散り散りに舞い、優雅に消えていくのを眺めた。


ドンッ!!


太鼓を叩くような重い音が響き、一瞬の静寂が訪れる。


だが、すぐにヒュゥヒュゥと新たな風船が次々と飛び立ち、赤、青、緑、黄色――色とりどりの花火が黒い空を鮮やかに彩る。


ヒュゥゥウウ〜!


パンッ! ドンッ!!


黄色い菊、赤と黄の牡丹、ピンクのハート、青い星。

形も色も異なる火の花が次々と咲いては散り、大きな音を残して消えていく。


「綺麗…!」


花火の光を追いかけ、子供のようにはしゃいで手拍子する。


まーちゃんも隣で手を叩き、笑顔で空を見上げる。


こんなまーちゃんと一緒にいられる私は、最高に幸せだ。

美しい花火を、こんな風にまーちゃんと見られて、本当に良かった。


最後の花火が打ち上がり、静かな夜が戻る。

心の中にはまだ、花火の音と光の余韻が温かく響いていた。


「元気になって良かった。」


まーちゃんが私を見つめ、優しく言う。

その笑顔と声は、花火に負けない温かさと美しさがあった。


「まーちゃん…」


感謝の言葉を伝えようとした瞬間、目頭が熱くなり、涙が溢れ出す。

必死に抑えようとするけど、涙は止まらず、鼻水まで出てきて慌ててすする。

勢い余って耳の奥がキンと痛む。


そんな私を見て、まーちゃんは口の端を上げる。

いつもの合図の笑み。


「今日は楽しかったね。明日はもっと楽しい一日になると良いね。」


その言葉は、どんな時も私の心に火を灯す魔法。

不思議と、明日も頑張れる、どんな困難にも立ち向かえる気がしてくる。


私はただ、激しく頷いた。



◇◇◇◇


気が付くと、白いベッドの上に横たわっていた。


白いはずのベッドは、薄暗い部屋の中でかろうじて形が分かる程度。


窓の外はすでに夜の帳が下りている。


「あれ…家じゃなかったんだ。」


「桜丘さん、まだいたんですか。」


いつの間にか目の前に制服姿の少女が立っていた。


聞き覚えのある声に顔を上げると、フレームのない楕円形の眼鏡をかけた吊り目の女の子――黒白さんが、腕を組んで私を見下ろしている。


「は、はい。今起きたばかりで…」


「もう夜の7時ですよ。体調が大丈夫なら、早くお帰りください。」


黒白さんは小さくため息をつき、ベッドから一歩離れて道を空けた。


「は、はい。」


急かされている気がして、慌てて上体を起こす。

ベッドから足を下ろし、白い靴下を履き直し、黒いローファーを履いて立ち上がった。


その時、黒白さんの後ろに、もう一人いることに気づいた。


小柄な女の子。

右側に赤、左側に青のリボンで栗色の髪をツインテールにしている。


彼女はしゃがみ込み、右手で何かを弄っていた。


視線を下げると、それは虫だった。

太った黒い蟻かと思ったが、よく見ると手足のない蜘蛛。

仰向けに転がり、胸から腹にかけて大きな穴が空いている。

穴の周囲には、泥のような黒い液体がべっとりと広がっていた。


女の子は右手の指をすべて使い、蜘蛛の腹をグチャグチャと音を立ててほじくっていた。

液体が指に絡み、ねっとりと糸を引く。


「うわっ…」


気持ち悪さに背筋がぞくりとする。

見てしまったことを後悔し、視線を逸らして早足で保健室を出ようとした。


「ばいばい、桜丘ちゃん。」


女の子は蜘蛛を弄りながら、鈴のような可愛らしい声で別れの言葉をかけてきた。


「えっ、あ、さ、さよなら!」


咄嗟に挨拶を返し、保健室を後にする。振り返らず、足早にドアを抜けた。


結局、彼女が誰だったのか思い出せない。

でも、生徒会長の黒白さんと一緒だったから、きっと優等生なんだろう。


明日、名前を聞いてみよう。


今朝、黒白さんに注意されたことを思い出しながら、薄暗い廊下を渡る。


静寂に包まれた校舎を抜け、開け放たれた校門をくぐり抜けた。

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