表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セラバモ 〜セバリゴノ・ドミノ〜  作者: ロソセ
クモ座の劣等星
11/66

クモ座の劣等星⑥

先に手を出したのは椿緋女だった。


雲の上に浮かぶ彼女が左手をまーちゃんに向け、鋭く突き出す。着物の袖口から白い絹糸の束が、まるで生き物のようにうねりながら飛び出した。

それは私を縛る糸と同じ、絡めば逃れられない強靭な繭糸だ。


「まーちゃん!」


あの糸に捕まったら終わりだ!


まーちゃんは飛来する糸を右に軽やかにかわし、一歩後退。

椿の花びらが敷き詰められた不安定な絨毯の上で足を踏ん張ると、軽く地面を蹴り、その反動で椿緋女へと突進した。

花びらが舞い上がり、彼女の動きに華を添える。


椿緋女はまーちゃんの猛進を見て、真っ赤な唇を歪め、毒々しい笑みを浮かべた。


次の瞬間、彼女は雲の中へとスッと潜り込む。雲が霧となって瞬時に拡散し、跡形もなく消えた――かに見えた。


だが、まーちゃんの背後で空気が揺らぎ、椿緋女が音もなく出現。

まるで空間を切り裂いたかのような移動だった。


まーちゃんは鋭い気配を察知し、振り返るや否や、椿緋女が両手を振り上げた。

袖口から白い糸が凝縮された球体となって連続で噴射される。


バシュッ、バシュッ!

空気を切り裂く音が響く。


まーちゃんはヒラリヒラリと蝶のように舞い、右へ左へ、バックステップで攻撃をかわす。

糸の球は地面に着弾するたび、椿の花びらを粉砕し、小さな爆発のような衝撃波を起こした。

彼女は一瞬の隙を見逃さず、左手で近くの椿の細枝をパキリと折り、ヒュンッ! 鋭い音を立てて椿緋女へ投げた。


椿緋女は雲ごと宙に飛び上がり、枝を回避。


だが、それはまーちゃんの罠だった。

彼女は同時に跳躍し、椿緋女と同じ高さまで舞い上がる。空中で身体を左に大きく回転させ、右脚を鞭のように振り抜く。


強烈な回し蹴りが炸裂!


「グハッ!」


革靴の踵が椿緋女の腰帯に直撃。


衝撃で彼女は雲から弾き出され、グルングルンと右回転しながら椿の絨毯に叩きつけられた。


花びらが舞い散り、地面がわずかに揺れる。


「ぅ、カハ…ッ!」


長い黒髪が首に絡み、紅白の着物が乱れる。

吐き気を堪えながらも、椿緋女はよろめくことなく即座に立ち上がる。


右手を振り上げ、白い糸の束をヨーヨーのように伸ばしてきた。

糸は空気を切り裂き、鋭い音を立ててまーちゃんに迫る。


まーちゃんはジャンプで糸を回避すると、驚くべきことに糸の上に着地。

まるで綱渡りの達人のように、揺れる糸の上を軽やかに走り、一気に間合いを詰める。


椿緋女の瞳が驚愕に見開かれるが、まーちゃんは止まらない。

目と鼻の先まで迫ると、クルンッと前方宙返り。

その勢いのまま、脳天に向かって踵落としを叩き込んだ!


バキィッ!


椿緋女は顔面から地面に激突。衝撃で花びらが爆発的に舞い上がり、地面に小さなクレーターができる。

そして、彼女はそのまま動かなくなった。


「まーちゃん、すごい!」


私は心の中で歓声を上げ、拍手する。

あんなアクロバティックでカッコいいまーちゃんを見たのは初めてだ!


まーちゃんは綺麗に着地し、うつ伏せに倒れた椿緋女を見下ろす。

彼女の閉じた目には、鋭い光が宿っていた。


ゆっくりと右足を上げ、椿緋女の頭部に――


グシャッ!


私は思わず目を逸らした。

だが、聞こえたのは紙を丸めて潰したような、軽すぎる音。

違和感に駆られ、恐る恐る視線を戻す。


まーちゃんが踏み潰した頭部は粉々に砕け、着物の内部は空っぽ。

断面には何もなく、まるで抜け殻だった。


「脱皮!?」


その瞬間、背後の椿の花々が盛り上がり、真っ白な長襦袢姿の椿緋女が飛び出した!

彼女の動きは蛇のように滑らかで、両手から放たれた無数の糸がまーちゃんを瞬時に絡め取る。


「まーちゃん!!」


まーちゃんは肩を振って抵抗するが、ミシン糸のように細く強靭な糸が全身を締め上げる。

頭のてっぺんからつま先まで、蜘蛛の巣に囚われた蝶のように絡みつかれ、身動きが取れなくなる。


「まずは貴女から頂きます。」


椿緋女は冷たく囁き、糸を操ってまーちゃんを繭状に包み込む。

両腕を左右に振ると――


バキバキィッ!!


木の枝が折れるような不気味な音が響き、繭が一回り小さくなった。


「まーちゃん!!」


私は叫ぶ。中で何が起こっているのか、想像するだけで心臓が締め付けられる。


バキバキッ!!


繭はさらに縮み、枕五個分ほどの大きさに。椿緋女は糸を操り、繭を引き寄せると、両腕で優しく抱きかかえた。

まるで赤子を抱く母親のような、穏やかで不気味な微笑みを浮かべている。


私はその光景に一瞬でも安心を感じた自分を呪った。


彼女は真っ赤な唇を開き、白く鋭い犬歯を剥き出す。

そのまま繭に勢いよくかぶりついた。


顔は繭に埋もれ、椿の花よりも濃い鮮血が口元からドロドロと溢れる。

ゴクゴクと喉が膨張と収縮を繰り返し、鮮血は長襦袢を真っ赤に染めていく。


「まーちゃん!!」


繭は萎み、バレーボールほどの大きさにまで縮む。


このままじゃ、まーちゃんが消えてしまう!


私は必死に身体を動かそうとするが、糸に縛られた手足はピクリとも動かない。

焦りと恐怖で涙が両目から溢れ、左のこめかみを伝う。


「大丈夫」


小さくなった繭から、まーちゃんの優しい声が聞こえた気がした。


「此処は、ヒキちゃんの世界だから」


それはピンチの時に必ず響く、まーちゃんの魔法の言葉。


私の心に火を灯す合図。


繭から、椿の花よりも鮮やかな紅い光が放たれる。それはまるで脈動する心臓のように、力強く輝いていた。


「まーちゃん…」


私がその光に目を奪われていると、繭はさらに縮み、茹で卵ほどの大きさに。


椿緋女はそれを親指と人差し指で摘み、顔を上に向け、口を開く。

紅い光を放つ小さな繭を、彼女は躊躇なく口に放り込んだ。


ヌチャ、ジュプッ……ゴクリ。


湿った音とともに、まーちゃんだったものは彼女の喉を滑り落ちた。

椿緋女は舌で口元を舐め、両手で腹をゆっくり撫でながら、満足げに目を閉じる。


「次は私の番だ…!」


恐怖が全身を駆け巡る。


何とかしなきゃ!


私は拘束された両手をギュッと握り、目を強く閉じて念じた。


「思い出して、昨日のこと!」


今度はもっと具体的に、強く願う。


「飛べ! 飛べ! 飛べ! この拘束から解き放て!!」


ヒュ〜ゥ…


どこからか、甲高い風の音が響く。

まるで悲鳴のような、歌うような旋律。


「また、口ずさめばいいのかな?」


静かで、どこか懐かしいメロディー。


「夏の遠い夢の中、君がいた」


昨日は大空を思わせる軽やかな音だったが、今日は暑い夏の記憶や、夜の闇に隠された悲しみを呼び起こすような、深い響きを持っていた。


ピューゥ、ルー、ヒュルリ、ピュー、ヒュルリ…


風が反応する。


その音は心の奥に染み込み、遠くで失われた魂が呼びかけるような哀しみを帯びていた。

胸が締め付けられるけど、私は音を拾い続ける。


「空に打ち上げられ消えていった」


ピューゥ、ピュー、ヒューゥ…


「はぁ〜なあ〜びぃい〜」


風と一体になるよう、声を張り上げて歌う。歌声は風に乗って遠くへ響き、まるで空を旅する鳥のようだった。


ワンフレーズだけなのに、歌うと心が軽くなる。

やっぱり歌はいいな、としみじみ思う。


風の音が静かに止んだ。


「これで終わり? まだ続きがあるのかな?」


ふと、身体が軽くなる感覚。

糸の拘束がわずかに緩んだ気がする。だが、同時に背筋に冷たいものが走る。


椿緋女がこちらを見ていた。

彼女の瞳は、まるで獲物を値踏みする蛇のようだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ