神話8
たくましいヘーニルは肩に女神の像を担ぎ、筋肉の筋を浮かせ、白い息を吹き出しながら遥かに地平線まで駆け抜けていきました。
「彼を追いかけて、取り戻さなければならない!」
「肉」は追い詰められたようにそう叫びました。
「まあ落ち着きなさいよ。」
オーディンは言います。
「私には弟が二人おりまして片方が今しがた駆けてったヘーニル。もう片方が詐欺師のローズルと言いましてね…」
「君の弟達が今のこの状況に何の関わりがある!」
「肉」は切羽詰まったようにそう吠えるのでした。
「血は長男が色濃く受け継ぐものです。」
オーディンは落ち着き払って続けます。
「末っ子が詐欺師。次男は今しがたご覧になった通りの白昼堂々の大泥棒。とくれば長男はそれよりもなお気狂い、ならず者の血が濃い。」
オーディンはにっこり笑って一本の鋭い草刈り鎌を取り出して言いました。
「私は狂人です。他人様の首を、この草刈り鎌で刈り取るのが女と寝るよりも楽しみでね。」
「あなたが留守の間に、あなたの大事な息子も娘も八つ裂きにしてご覧に入れますよ。」
ああ、と叫んだかと思うと「肉」の巨人は押し黙りました。
「生まれたばかりの女神の像、この世でたった一つの品。あなたの最高の作品、人間の男と女。2ついっぺんには追えませんよ。あなたの『心』はどこですかな。」
オーディンにそう問いかけられると「肉」は力なくうずくまりました。
体中を覆う手と足もダランと垂れてぶら下がりました。
「肉」の心は割られてしまったのです。
オーディンは相手が力を失ったと見るや、一気に踏み込み草刈り鎌の先を食い込ませました。
そして横一文字に切り裂いたのです。
鋭い刃の先は皮を裂き、脂肪を裂き、「肉」の身体を両断しました。
すると傷口から塩辛い水が、とめどなく溢れてきました。
館全体を沈めるほどの大洪水だったのです。
「旦那さん。早く逃げるが吉だよ。」
足元から声がしました。小さなトカゲが、尻尾が短いのが気にかかりましたが男と女を連れ立っていました。
オーディンはうなずくとトカゲと人間の男と女と、「肉」の館から去ろうと振り返りました。
「神よ!」
背後で絶叫が轟きました。
「神よ、我が神よ! 何ぞ我を見捨てたもうか!」
盲目白痴のものは起き上がり、三人と一匹を目のない顔で睨みました。
そのとき、男はトカゲのしっぽを彼の足元に投げ出しました。
尻尾はうねるように動き、半分ほどに水没した館の水面を泳いだのです。
オーディンはほんの少しだけ気を取られた「肉」のその額に、鎌を投げました。
鋭い先は「肉」の頭蓋骨を打ち突き刺さりました。
「行きましょう。」
とオーディンは男と女に言いました。
「私は行けるかしら? 私は見れるかしら? 私は聞けるかしら?」
心を取り戻していた女はしきりに問いかけました。
「全てに行き、全てを見、全てを聞くことが出来るさ。」
オーディンは逃げながらもそう答えました。
しばらくして、三人と一匹はあらかじめ決めていた高い山の頂きにありました。
俊足の神ヘーニルも合流しました。
重い石像を担いでいたので息が切れていました。
「彼は…どうした…あの嘘つきローズルは…どこにいる…」
「ここだよ。」
小さなトカゲはだしぬけに変身を解きました。
怒るもの、憂うもの、詐欺師、男、女。
5人は雲を突き破るその山の頂きから、起きたこと起きていること、これから起こるであろうことの全てを見ました。
「肉」から流れ出した塩辛い水は地に生きるすべてのものの営みを洗い流し、ついには世界を取り囲んで輪になったのです。
余りに広大で、その向こうまで探索の眼を向けようとするものは、この世の始まりから終わりまで現れないでしょう。
「肉」が生んだ怪物の多くも、歪んだ都に住むかの小山の如き大巨人も、泡立つ潮の流れに押し流されるか深い底に沈むかしたのです。
それは世界中に響き渡る金切り声でした。
「尻尾返してくれなかったね。」
ローズルはニヤニヤ笑いながら言いました。
「これは人間がついた最初の嘘さ。」
「じゃあ神々がついた最初の嘘は?」
オーディンは訪ねます。
「それは…あなたが一番よく分かっているでしょう?」
ローズルはニヤニヤしました。
オーディンは笑いました。




