追憶のあの日~ギルド試験3
◇◇◇
千合を超える切り結びとは言えジェイコブの反撃はまだなかった。
いや、もとより切り結んではいなかった。
エリンの視界と脳内では虚像が目まぐるしく動いていたが、現実にジェイコブは逃げ惑うだけだった。
「いつその様に反撃されても良いように」と想像力が実際以上の動きを捕捉していただけだ。
ジェイコブの額にはびっしりと玉の汗が浮かび、そこに乏しい前髪が張り付いていた。
それが必死さを物語っていた。
木剣と言えど大岩すら断ち切るエリンの剣だ。
当たりどころなど関係ない。
だから必死になって逃げていた。
エリンは鬼気迫る勢いで断ち切ろうとしていた。
何をか況やジェイコブの全てを。
ジェイコブは息荒く、いや、息も絶え絶えの様子だ。
もう軽口すら口にできていない。
だがエリンはそんなことをお構いなしに全力で突っ込み続けていた。
脳のリミッターを外して動き続けている。
全身の至る所が疲労骨折と筋断裂で占められていた。
それすら意に介さない。
動かない部分が有ろうと無かろうと戦いに不要なすべてを弾いた。
不都合の一切を不知としていた。
そうまで最高効率を追求し続けていた。
そして身体の悲鳴さえも想定内だった。
それすらが型通りだった。
心臓が口から出てきそうなジェイコブの耳にもエリンの崩壊は耳に届いていた。
だがその無骨な手を差し伸べようものならその手ごと。
胴体と魂ごと断ち斬られるのは自明の理と手を拱き続けていた。
エリンはジェイコブを断ち切るまでの、無限地獄。
ジェイコブはエリンが意識を取り戻すまでの、無限地獄。
そんな膠着状態が終焉を迎えたのは、闘技場の扉が開かれたと同時だった。
エリンの意識や視界には入っていなかった。
だが幽かな振動と空気の流れが一瞬だけエリンの剣を不意に歪めた。
想定外が起こったのだ。
そこに刹那の空白が紛れ込んだ。
精密機器を狂わせるのはほんの些細な歪みだ。
例えば一つのホコリでさえもその原因となり得る。
エリンはそこまで精緻に肉体を動かしていた。
その瞬間に、ジェイコブは勝ち筋を見出したように動き出した。
一度狂った歯車を分解し組み立て直せるだけの余力がエリンには無かった。
もとより全てを注ぎ込んでいた。
だから遊びが皆無だった。
巻き返しは不可能だった。
これまでとは異なる。
意図的な回避に揺さぶられる。
徐々に歪みは大きくなっていく。
そして――
僅かな剣筋のブレから意図せぬ一瞬の隙ができた。
それが分水嶺となった。
エリンのもとに研ぎ澄まされた一閃が放たれた。
それは奇しくも前回の焼き直しのような光景となった。
――だが満身創痍のエリンの肉体はそこに反応した。
他の角度から振るわれたならそこで終わっていた。
だが、幾度敗北の瞬間を思い描いたことか。
だが、何度ジェイコブを夢想したことか。
数え切れないほど繰り返した動作だった。
鍛錬を十二分に積んでこの場に立っていた。
積み重ねた日々が体に染み込ませていた。
あとは擦るだけだった。
ジェイコブが繰り出した最速の一閃が迫っていた。
エリンはジェイコブと同じ剣筋を後追いした。
――型は逆袈裟。
大剣と細剣が光を放った。
剣閃が両者の瞳を射した。
瞬間、エリンの細剣が先にジェイコブの脇腹を掠めた。
瞬間、ジェイコブの大剣が後に空を切った。
前回の敗北と同じ動作だった。
――だが、結果は違った。
木剣は粉砕されなかった。
エリンの両手も粉砕されなかった。
同じ悲劇を繰り返さないように木剣を振り続けてきた。
ジェイコブの剣は当時よりも若干速く奔った。
それでもなおエリンの剣が上回った。
努力が、今、成果を伴って証明された。
――だが、致命傷には程遠かった。
今、この瞬間に負けなかっただけに過ぎなかった。
それは子供のラクガキも同然、一筋の赤い線をジェイコブの身体に描き込んだだけだった。
エリンよりも遥か高みにいる仇敵だ。
それだけで泣き言をいうような相手ではなかった。
――満を持した『その先』が繰り出された。
「どっりゃぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――」
激しく迸る攻撃的な気勢が野太い雄叫びと共にエリンを叩いた。
空を切った大剣が上空から垂直に墜ち、その柄頭がエリンの頭上に迫った。
剣としてではなく闘争の道具として。
斬撃ではなく、打撃だ。
エリンすらが想定外の『その先』が示された。
エリンが握りしめる細剣は逆袈裟を振り放った直後。
右脇腹から左肩に抜けた位置。
つまり上段の構えに近いところに在った。
当然『この先』を想定していた。
――想定外の何かが来ると。
満を持しての一閃に抗する一手をエリンも準備していた。
どの様な攻撃が襲ってきても、覚悟の上で迎え撃つと。
全ては次の一瞬のために在った。
だから――静かに闘気を漲らせていた。
極限の集中が提示したのは『明鏡止水』の静かな気迫。
エリンのターコイズブルーの瞳が輝く。
振り下ろされた大剣の柄頭を視界に捉えた。
そこに、一閃。
木剣が落雷のように墜ちた。
そして対象に触れる寸前に最高速度に達し、霞のように姿を消す。
その軌跡を誰にも悟らせない至高の斬撃が放たれたのだ。
再びその姿を現したのは地面に触れる寸前――大剣の柄をすり抜けた後だった。
無骨で大きな掌が握り締めた大剣の柄、その僅かな隙間に刃が通った。
両手持ちの剣は片手分の柄しか残らず再びジェイコブの大剣は空を切りった。
今度はそのまま床へ放り投げられた。
鋭利かつ鏡の様に艷やな柄頭が硬質な床を叩いた。
カランカランという音がその場に鳴り響いていた。
だがエリンの脳裏に届いたのは最近になって耳に馴染み始めた親友の“低い声”。
――朝一番に誕生日プレゼントを届けてくれた親友からの激励の言葉だった。
『いやいや、どこの誰がギルマスに勝てっつったよ。お前の努力は誰もが認めてる。入団試験なんか軽く絶対に受かるさ。素人目を侮んじゃねぇぞ。この二つの赤い瞳に誓ってやる』
こうして、親友の赤い瞳は辛うじて守られた。
だが今のところ、《《一つの》》試験が終わったところだった。
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