兄と妹、その後
「瑠璃! 瑠璃! 瑠璃、逝くなっ! 私を置いて逝くなっ……!」
花青がみっともなく涙を滂沱しながら、私の右手を砕けてしまうかもと思う程に強く握っている。
私の手にも涙が落ちて来るが、落ちた感覚さえわからない。
そう。
私には、涙が温かいのか冷たいのか、もうわからない。
当然、強く握られているという感覚もわからない。
花青の握り方から、物凄く強く握られているのだろうと判断しているだけだ。
そして、私はもうすぐ逝く。
今は、所謂死の床についているところ。
あの夜、兄様――花青と契り、結婚した。
あれから一年後、私は女の子を産んだ。
娘を産んでからというもの、産後の肥立が悪く、良くならないまま約一年、とうとう逝こうとしている。
まあ産後の肥立だけではなく、花青の毒に負けてしまったというのもあるのだけれど。
私達は番にはなれなかった。
原因は花青の想い、執着の強さを見誤り、朱袮に心の一部を置いて来てしまった私のせい。
花青の愛は強く、深かった。今まで抑えていた分、契り、想いを通わせた事で歯止めをかける必要がなくなったから。
勿論、私も負けず花青を愛した。
だけど。
あの日、部屋に私を送ってくれた日を最後に朱袮が家から姿を消した。
誰に訊いても『朱袮はいない。お前はもう会う必要などないから忘れろ』と言うばかり。
確かに、花青を選んだ私が朱袮に逢う必要などない。
でも、それでも一目逢ってありがとう、と言いたかった。
その心残りが棘となり、全身全霊で花青を愛する事が出来なかった。
だから、花青の愛に、毒に、私は負けた。
その結果が今。
もうすぐで、私の命は尽きる。
花青、ごめんなさい。
約束を守れなくて、貴方を一人残して逝く事を。
私の代わりにならないとは思うけど、娘を育てて私のいない空虚を紛らわしてちょうだい。
ああ……、もう目も開けていられない。
でも、もうこの血から解放されるからいいわ……。
この腐った蠱毒の血の輪から解放されるなら……。
「瑠璃、瑠璃っ!!」
兄様の声が小さいなっていく……。
ああ、ごめんなさい、兄様……。
私、やっぱり朱袮の事が気になるの。
朱袮、姉様は……朱袮の姿を……一目……みた、かっ……。
「瑠璃!? 瑠璃、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だっ! 私を置いて逝くなっ! 瑠璃ー!!」
瑠璃の手から力が抜けた。
呼吸も止まった。
「瑠璃、瑠璃。起きろ、起きてくれ……!」
どんなに身体を揺すっても何の反応もしない。
頭がゆらゆらと揺れるだけ。
何の反応も、ない。
ここには瑠璃の身体があるだけ。
もうその目が開く事はない。
話し出す事も、笑う事も、抱き合う事も、もう、何も出来ない。
瑠璃はもう、いない。
「あ、あ、あっ、あああーっ!!」
瑠璃、瑠璃、私の瑠璃っ!!
お前は私の毒になんか絶対に負けないと言ったのに。
私を殺すと言ったのに。
それなのにお前はこんなにも早く逝ってしまうなんて……!!
「瑠璃」
私は冷えていく瑠璃を抱き起こし、ぎゅっと抱きしめた。
「瑠璃」
私は瑠璃に口付けた。
何の反応も返してはくれない。
「瑠璃」
私は瑠璃の頬に自分の頬を付けた。
その頬は、冷たくなり始めている。
私の毒の影響だろう。
毒……。
我ら一族の身に流れる忌まわしい毒。
この毒は相手への想いが強ければ強いほど、より効く。
つまり、愛しい女を抱けば抱く程、愛しい女は死が近付く。
相手も自分を愛していれば、相手の毒は当然自分にも効く。
毒が拮抗すれば身体の中で相殺され、生きられる時間も長くなる。
だが瑠璃はこんなにも早く逝ってしまった。
娘を産んだせいもあるが、一番の理由は――。
「朱袮」
身体を繋げればわかる。
いや、繋げなくてもわかる。
結婚後、瑠璃は最後に一目逢いたいと言っていたが、その願いは叶わなかった。
となれば、多少の心残りにはなるだろう事はわかっていた。
だけど、瑠璃を朱袮には逢わせたくはなかったし、朱袮の事を思い出す暇も与えない程、愛し、慈しんでいたから問題はないと思っていた。
だが、現実は違った。
朱袮は想像以上に瑠璃の心の奥深くまで侵食していた。
「赦さない」
私は瑠璃を更にきつく抱きしめた。
「赦さない。朱袮、お前を絶対に赦さない」
瑠璃が悲しもうと関係ない。
瑠璃はもういないのだから。
これからどれ程の時間、瑠璃を喪った孤独に狂って生きるのかわからないが、私は逝くその瞬間までお前を憎悪し、赦さない。
絶対に――。