兄と妹
近親ものです。
性的な事を匂わせる描写もあります。
兄を選んだ場合がこちら。
日付の変わる少し前。
私は兄様の部屋の前で悩んでいた。
兄様はもう休んでいるのだろう。明かりも消えているし、起きている気配も感じない。
(本当にこれでいいの?)
ここまで来て今更と思うが、それでも迷うのだ。
だって、これで全てが決まるのだから。
『後悔して欲しくないのです』
朱祢の言葉が頭の中に浮かぶ。
(朱祢……)
私はゆっくりと息を吸い、吐く。
「兄様。瑠璃です。夜遅くに申し訳ございません。大事な話があるのです」
しばらく待ってみたが、兄様の部屋からは何の反応もない。
こうなれば仕方ない。
無断で入るのは罪悪感があるが、それ以上に後悔はしたくない。朱祢のためにも自分のためにも。
「兄様、失礼します」
意を決して障子に手をかけたとき。
奥の襖が開く音が聞こえた。
私は障子にかけた手を止め、声がかかるのを待つ。
「瑠璃か」
「はい。このような時間に申し訳ございません。ですが、どうしても聞いて欲しい事があるのです」
からりと音を立て、障子が開く。
「入れ」
「ありがとうございます、兄様」
部屋へ入り、障子を閉める。
兄様は、少し怠そうな感じだ。それでも畳の上に正座し、私に向き合ってくれる。
私は兄様の正面に移動し、同じく正座する。
「兄様、私は朱祢とは結婚しません。私は兄様の妻になりたいのです」
もう隠すことなくはっきりと言った。
「朱祢はどうする」
「その朱祢がこの時間をくれたのです」
「私には藍子がいる。お前は決められ通り朱祢の元へ行け」
兄様は、淡々としていた。話は聞くが私の望みを叶えるような様子も見えなかった。
私もすんなりいくとは思っていない。
だから。
「ならば私は常磐様の元へ参ります」
「常磐様だと?」
兄様の表情が一瞬険しくなる。
「はい。兄様の妻となれないのなら、私は常磐様の妻となります」
「何故、私の妻になれないからと言って常磐様の妻となるのだ。何故、朱祢の元へと行かない? それに常磐様にも迷惑な話だ」
「兄様こそお忘れですか。私は一族の血を引く子を産めばよいのです。であれば朱祢ではなく常磐様の子であっても問題ありません。むしろ長老方は喜ばれるのではと。それに、この話は常磐様が直接私に仰ったのです」
「常磐様が?」
兄様の表情があからさまに険しくなった。
「はい。新年会の折りに」
「成程。あの方はまだそういう気力があるのか」
嘲りを含む声音。
「兄様、常磐様を悪し様に言うのはお止めください。常磐様はこのような私でも欲しいと仰ってくれたのです。近い先、夫なる方を侮辱するのは妻として見過ごせません」
兄様は虚をつかれたようだ。まさか私がここまで常磐様を庇うようなことを言うと思っていなかったのだろう。
兄様は知らないけど、私にとって常磐様は信頼できる数少ない大人の方なのだ。
私が常磐様を庇った事で、兄様が少し苛ついて来たのがわかる。
兄様の気持ちもわかったし、私ももう悔いはない。
頃合かしらね。
「話はお終いですね」
私は兄様をしっかりと見つめ、頭を下げた。
「兄様、私は常磐様へ嫁ぎます。父様へは私からお話します。夜分遅くに申し訳ございませんでした。では失礼します」
立ち上り、障子に手をかけたとき。
「瑠璃」
背後から名を呼ばれた。
私は少しの間、待った。兄様が何を言うのか。
だが、続く言葉は聞こえない。
(狡い!)
私は振り向き、見栄も意地もかなぐり捨てて立っている兄様の胸に飛び込んだ。
「狡い! 狡い、狡い! 兄様は狡い! 私のことを拒絶しながらいざ行こうとすればあんな声で私を呼ぶ。そうすれば私が言うことをきくと、戻ると思って……!」
私は力一杯兄様の胸を両手で叩いた。兄様はびくともしないけど。
私は顔を上げ、兄様を睨む。部屋は薄暗いし、私も涙で視界がぼやけているので兄様の表情はよくわからないけど。
「どう!? 満足したかしら!? 兄様の思い通りになる私を見て! でもね、言いなりになる私はこれで最後。私は常磐様の元へ行くわ」
兄様の表情が動いたような気がした。気のせいかも知れない。でもこれで、少しでも兄様の心に傷をつけられたと信じたい。
「さようなら、兄様」
私は震える声で、別れを告げ、踵を返そうとしたが。
「駄目だ」
去ろうとした私を、兄様は背後から抱きしめその腕の中に閉じ込めた。
「……今更何を。私はもう兄様のものではありません」
私は兄様の腕をほどこうと、身を捩るがびくともしない。
「駄目だ。お前はこの家から出さない。常磐様にはやらない。朱祢と添い遂げるんだ」
瞬間、怒りが頂点に達した。
ありったけの力を出して兄様の腕を振りほどき、その勢いも乗せて兄様の頬をばしんと叩いた。
「臆病者!」
相当な力だったのか、予想外のことだったからか、兄様の身体がよろけた。
私は兄様の胸ぐらを掴み叫ぶ。
「私を手離せないのに自分のものにはしようとしない。そのうえ、私には兄様の結婚を見せつけ、いづれは子さえも見せつける。それがどれほど残酷非道なことかわかっているでしょう!」
私は身体を震わせ、沸き上がる言葉を吐露した。
愛しい兄様をこんなに憎いと思ったのは初めてだ。
兄様が私の両肩を掴む。
「ああ、そうだ。お前にどう思われようが構わない。お前は外にはやらない。この家で死ぬんだ」
「嫌っ! そんなこと絶対に嫌っ! 兄様の隣に藍子がいるのを、兄様と藍子の子を見ていろと!? 絶対に嫌っ! 私は常磐様の元へ行く。そして後悔すればいいのよ! あの時私を選ばなかったことを!」
もうこれ以上言うことはない。部屋へ戻ろう。
そのために兄様の両手をはがそうともがくが、びくともしない。腹が立つ。
「離さないと言った」
「…………!」
さらに頭に、身体中に熱が駆け巡る。
どれだけ傲慢なのか。
そしてどれだけ臆病なのか。
もういい。
それなら……!
「……わかりました、兄様」
私は身体から力を抜いた。
脱力した事で観念したと見たのか、兄様も抱きしめる腕を少し緩めた。
(今だ!)
その隙に私は兄様の方へ向き、兄様の浴衣を掴み強引に兄様の顔を引き寄せると、兄様の唇を食い千切るような乱暴な口付けをした。
兄様はまたも私の突然の行動に対応できず数歩前へ後へとよろめくが、直ぐに体勢を直し私を引き剥がす。
「……っ」
離れた兄様の唇の端から血が滲んでいる。
だけど私は間髪いれずに、兄様を勢いよく突き飛ばした。
「……!」
兄様は背後の襖に手をかけ体勢を立て直そうとしたが、私が兄様の足を払い、更に後へ突き飛ばしたので、兄様は完全にバランスを崩して後――、兄様の布団へ倒れた。
「くっ……」
すぐさま起き上がろうとした兄様だが、そうはさせない。
私は兄様の腹辺りに座り、両肩を上から押さえつけた。はしたないことだが、馬乗りという体勢だ。
兄様は起き上がるのを止め、私を下から睨み付けながら口を開いた。
「瑠璃、お前は何をしたいんだ?」
「何がしたいか、ですって!?」
あんなに言っているのに!
今までも、兄様を慕っていると立ち振る舞っても見せたのに。
それなのに知らないふりを続けるの!?
無かったことにするの!?
兄様の両肩にかける指を食い込ませ、体重をかける。
兄様の表情が一瞬、痛みに歪むが直ぐに視線は私に戻る。
「兄様が欲しい」
兄様の表情は冷たい。
「兄様は誰にも渡さない。兄様を殺すのは私」
「駄目だ」
兄様は冷えた声音で拒絶する。
「っ……!」
私の指に更に力が籠る。
本当にこの男は何処まで逃げるのか。
狡い、卑怯者!
それならもう……!
私は兄様の唇を喰らうように奪った。
私を受け入れない口を抉じ開けるため、先程傷つけた口端に容赦なく歯を立てた。
「!!」
兄様の口が開く。
私はすかさず舌を兄様の口中に滑り込ませた。
兄様は舌で私の舌を押し出そうとしたが、逆効果だ。
私は兄様の舌に上手く自分の舌を絡ませ刺激する。
快楽を引き起こすために。
兄様は腕に力を入れ、私を退かそうとするが、その度に舌に噛みつき、黙らせる。
そんなことを暫く続けるうちに、抵抗する兄様の力が弱くなった気がする。
(兄様……)
私は油断した。
兄様の肩を掴んでいた指の力を緩めてしまった。
その瞬間。
「やっ……!」
兄様は私を引き剥がし、横に転がした。
そして私の上に兄様が乗った。
先程と場所が入れ換わる。
私の上に兄様がいる。
私の両肩を掴み、動きを奪う。
「いい加減にしろ、瑠璃!」
少し息が荒い。毒が回ったんだろう。
こんなにも私の毒に侵され易いのに。
それなのに!
「嫌です。兄様、貴方はこんなにも私の毒に弱い。それなのに私を選ばないなんて馬鹿ですか!? そんなに私を殺すのが怖い!? 兄様の臆病者!!」
「お前は」
兄様の右手が私の肩から頬に移動した。
「お前は身体が急速に冷えている。私の毒で……」
兄様は私の頬を擦る。きっと温めたいのだろう。
そんな優しさはいらないのに。
「ええ。でも構わない。兄様に殺されるなら私はし……」
「駄目だ!」
兄様が叫んだ。
その声の大きさに、身体が一瞬竦んだ。
「駄目だ、駄目だ駄目だ! 私は、お前を殺したくない!」
私は頬にある兄様の手を掴んだ。
「兄様! そんなに自分で私を殺すことが嫌なのですか。私は兄様に殺され、そして私が兄様を殺す事が本望。それなのに兄様は朱祢に私を殺させようとする。どれだけ貴方は臆病なの? 花青!」
兄様の顔が強張った。
そして私にゆっくり覆い被さった。
左側の耳元から兄様のくぐもった言葉が聞こえる。
「ああ、そうだ。私は臆病だ。私は、お前を殺したくない。いつでも傍にいて欲しい。お前を自分が殺して喪うなんてことをしたら私は耐えられない、生きることなんて出来ない……! 死ぬまで一人孤独になんて耐えられるものかっ……!」
「……だから朱祢に私を? 意気地無しね」
「私がお前を喪って正気を保てるわけがない。だから」
「これが最善? 私を殺した朱祢に憎しみを、恨みをぶつけることが? 兄様は朱祢を何だと思っているの? 私の可愛い朱祢にそんな八つ当たりをするなんて赦さないわ」
どれだけ狡くて卑怯で臆病なのか、この男は。
「そんなくだらないことをするぐらいなら私を選べばいいのよ。そうすれば私はずっと兄様のもの。ずっと傍にいるわ」
私はなんとか右腕を動かし、兄様の背中をとんとんと優しく叩く。
「無理だ。私の毒の方が強い。お前の方が先に……」
どうしよう……。
兄様の毒で体温が下がっていたのに、毒以上に強い怒りでまた身体が熱くなってきた。
兄様を宥める手が一瞬で怒りに変わり、力一杯に浴衣を引っ張った。
「兄様! 貴方は一体何処まで臆病で自分勝手なの!? 私は、兄様に殺されるほど弱くない。むしろ私が兄様を殺すわ」
「そんなこと出来るわけがない。私の毒の方が強い」
「いいえ、私よ。兄様みたいな臆病者に私が負けるとでも」
「毒の強さと臆病は関係無い」
「本当に呆れるわ。どれだけ疑い深いのか」
「当然だ。お前を、お前だけは喪いたくない! お前しか欲しくないんだ……瑠璃」
どくん、と、下腹の辺りがうねる様に疼いた。
ああ、待っていた。
待っていたの、この疼きを、この気持ちを――。
「ようやく、ようやく言ってくれたわね兄様。約束しましょう、私は兄様より先に死なない、兄様も私より先に死なない。二人で一緒に逝くの」
「そんなこと、出来るわけが……」
「ない? 出来るわ。私達なら番になれるわ。そうなれば、逝く時は二人一緒よ。私は出来るわ。出来ない兄様は一人孤独に逝けばいいのよ」
「……………………」
「出来るわ。始めもしないで出来ないなんて言わないで」
「……………………」
「本当に疑り深いわね。そんなに愚図愚図しているなら私は常磐様の所へ……」
「駄目だ」
逃がさないとばかりに、兄様は私を抱きしめる。
「なら私を信じて、兄様。これを言うのは最後よ、兄様。私を信じなさい。二人で生きて逝きましょう」
兄様はゆっくりと私に顔を向けた。
「ふふ。酷い顔」
「お前は怖い顔だな」
「それは兄様のせいです」
「そうか」
兄様は目元を赤くしてべそをかいた情けない顔。さっきまでの冷たい顔なんて欠片も見つからない。
私はきっと目や頬がつり上がって、きつくて怖い感じになっているのだろう。
そんなお互いを見合って軽い笑いが零れた。
そしてどちらからともなく顔を、身体を、互いに引き寄せ合い、愛しい想いを注ぎ始めた。