夢渡り令嬢と腹黒宰相の出会い ③
セシリーンはその日も、眠る時に夢渡り魔法を行使していた。いや、行使していたというのは正しい表現ではないかもしれない。セシリーンは眠る時に無意識にその魔法が発動する。
現実のセシリーンが目を閉じ、しばらくするとセシリーンの前にはいつも通りの光景が広がっている。
夜の空のような真っ暗な空間に、星々のように何かが煌めいている。そしてその空間の中には、幾つもの――数えきれないほどの扉がある。
その扉はそれぞれ異なる。
例えば恐ろしい思考をしている者の夢だと禍々しかったり、冒険の夢を見ている人の夢や剣を生業としている人の夢だと剣の文様が書かれていたり、恋愛をしている人の夢だとピンク色だったり――大体扉を見た段階で、どういう夢をその人が見ているのかなんとなく想像が出来るものである。
セシリーンはそんな扉が沢山並んでいる中で、ワンピース姿で浮いている。夢の世界だからか、道がなかったとしても動こうという意志があればその扉の前へと向かうことが出来る。
(何だかまた昨日とは違う扉がいくつもあるなぁ)
毎回の夢で見る扉は、いつも異なる。どういう基準でその扉が出現しているのかはセシリーンにもいまいち分かっていない。ただ近しい人の夢は近くにある事が多い。
(お父様とお母様の夢の扉はいつも近くにあるなぁ)
そう思いながらセシリーンが視線を向ける先には、並んだ二つの扉がある。茶色の扉に花の絵が描かれている。独立した二つの扉だが、ドアノブの部分でリボンが繋がっている。それはセシリーンの両親がそれはもう仲良しの夫婦である証である。
セシリーンはその夢の扉を見るだけで、両親が仲が良いことがうかがえて嬉しい気持ちで一杯であった。
(んー、どの夢が面白いのだろう? どの夢だったら明日お父様に楽しい報告が出来るかな?)
セシリーンはそんなことを考えながら、色んな夢の前に立ち止まる。
興味深い夢がいくつもあった。危険な香りのする扉は流石に入ることはしない。セシリーンの好奇心では、覗いてみたい気持ちも当然あるが、両親に止められているため覗くことはしていない。
そしていくつかの夢の前で立ち止まったセシリーンが、結局覗くことにした夢は無骨な黒い扉である。危険な香りは特にしない。戦いの雰囲気もない。今までで初めて見る扉の見た目をしていて、セシリーンはとてもその扉のことが気になった。
(んー、この扉からはどういう人の夢なのかは分からない。人によって夢の扉の形や色は少なからず異なるけど、あんまり見た事ない雰囲気。なんだろう、騎士様とかだと明らかに戦ってますって感じだし、鍛冶師とかだと何だか扉が熱かったり、職業が比較的わかりやすいんだけど。でも戦いの感じじゃないよね。何だかシンプルな感じで、黒い扉ってことはそこまで明るい感じの人ではないはず。あと恋愛もしていなさそうだよね)
夢の扉というのは、比較的その人自身の性格や職業が見て取れることが多い。
夢渡り魔法を魔法が発現してからずっと使っているセシリーンは、扉を見るだけでその人自身が分かったりしているわけだが……この扉からは特に読み取れない。穏やかだけど、扉から冷たさを感じるのは、少しだけ冷たい性格をしているのだろうか? というのぐらいは分かるがそれだけである。
初めて出会う扉に、セシリーンは興味津々でその扉を開けることにした。
もちろん、開ける前には姿を変えておく。
ここはあくまで夢の世界。夢というものを覚えている人は少ないため、セシリーンがお邪魔したとしてもセシリーン自身のことを覚えている者はあまりいないだろう。所詮夢だと切り捨てて、セシリーンが魔法でこの場にいて、起きた時にそのことを覚えていることさえも分からないだろう。
とはいえ、覚えている者がいた場合、セシリーン自身の姿でそこにいればお邪魔した夢を見ている本人に絡まれてしまう可能性がある。そういうわけでいつも気まぐれに姿を変え、人の目に映りにくくしているのだ。
今回は黒髪の目立たない少女に扮している。
セシリーンは、夢の扉を開けて、青い空から地面へと降り立つ。
場所が国内の――それも王都だったため少し驚いた。
伯爵令嬢であるセシリーンは、社交界のために王都を訪れることは度々ある。結婚適性年齢のため、結婚相手を探して最近はよく顔を出している。その王都である。ジスアド伯爵領で街を出歩いているとはいえ、王都で街を出歩けるわけではない。夢の世界とはいえ、王都を出歩けることが嬉しいななどと思い、セシリーンは顔をほころばせた。
どの人が夢を見ている人なのかは分からないが、その夢の中の王都には沢山の人がいた。ジスアド伯爵領の領民たちとは、また違った様子の人々である。ジスアド伯爵領は花の生産が有名で、それを誇りに思っている者が多いため花にまつわるものを身に着けている者が多い。花飾りだったり、花柄のワンピースだったり……という風にである。
王都では流行の流れが速い。今の流行は隣国から流れてきた絹製品だと聞いている。王都の民はそういうものを身に着けている者が多かった。
(それにしてもこの夢の主は誰なんだろうなぁ。王都って事は王都に詳しい人なのかな? 見た感じ建物にほころびもなく、本当の王都にいるみたいに見えるし)
妄想の中の王都であるのならば、夢とはいえほころびがあるものだ。あ、これはその人が思う王都なんだなってセシリーンには分かる。
そういう違和感がこの夢の王都にはない。
おそらく王都に詳しい人が見ている夢なのだろうと、セシリーンは結論付けた。
セシリーンは楽しく王都を探索していた。夢の世界だからいいやと思いながら、ジスアド伯爵領では子供でも知っているような歌を歌いながらスキップしている。現実でこんな風に移動すればイッポリタあたりに注意されることだろう。
夢の世界だからとセシリーンは、自分が伯爵令嬢であることも忘れてご機嫌である。
(あれって、まだ王都にしか出ていない美味しいパンのお店だよね!! わぁ、人の夢の中とはいえ美味しそう。お父様に、是非ともジスアド伯爵領にも店を置いてほしいって頼んでみよう。私の我儘だけだとお父様は断るけど、ちゃんと利益になることなら許してくれるだろうし)
パン屋さんを見つけ、夢の中だけど食事をしようとセシリーンはパンを買った。
そのパン屋はまだ王都にしか進出していない美味しいパン屋さんである。セシリーンも社交界に出ているので、流行り物の情報は手に入れている。
もちろん、夢の中でパンを食べてもお腹が膨れることはないが、セシリーンは食べたかったので食べた。セシリーンは欲望に忠実なのである。
さて、そうやって誰の夢であるかも気にせずに楽しく王都を満喫していたわけだが……、セシリーンはそうする中で一人の男性を見かける。
――その男性は有名人なので、セシリーンも顔と名前を知っていた。
「……ブラハント・カーデン様」
思わずぽつりとつぶやいてしまって、セシリーンは慌てて口を手でふさぐ。