夢渡り令嬢と腹黒宰相の危機 ⑧
だけど、その前に事態は動いてしまった。
セシリーンはその日、ジスアド伯爵家の屋敷でのんびりと過ごしていた。社交界はまだ続いている。セシリーンは社交界が終われば、ジスアド伯爵領へと戻る。ジスアド伯爵領へと戻れば、セシリーンはしばらく王都にやってくることはない。
そうすれば、今のようにブラハントと噂になることもまずなくなるだろう。夢の中では会うことはあっても、現実では会うことはしばらくなくなるだろう。そして王太子殿下を眠らせた陰謀などにも、現実では関わらずに過ごせるようにはなるだろう。
(でも出来れば王都にいるうちにカーデン様に何かあげたいなぁ。お世話になったしね。カーデン様ともっと仲良くなるのは難しいかもだけど、それでも私があげたもの喜んでもらえたら嬉しいもの。それに今シーズンのうちにこの国の陰謀暴けた方がいいんだけどなぁ……)
セシリーンは椅子に腰かけて、足をぶらぶらさせながらそんなことを考える。そしてセシリーンは、思い立ったように立ち上がる。
「買い物に行こう」
そう一言告げて、セシリーンは動き出す。
夢の世界では幾らでもブラハントと出会えて、何でも夢の世界で与えることが出来る。けれど現実でブラハントに対して何かをあげたいと思った。それに王都の探索も、ブラハントに注意されて以来出かけていない。
今度は一人にならないように気を付けながら王都を探索し、何か買おうとセシリーンは決意する。
そしてセシリーンは侍女たちを連れてお忍びで、王都に出かけることにした。セシリーン・ジスアドという存在は、社交界では少し注目を浴びている。だけれどもそれは平民たちには関係がないことである。
セシリーンは少しの変装を行うと、侍女と護衛を連れて王都へと顔を出した。王都にはやはり人が多い。お忍びでこの場に来ているセシリーンは、王都の民たちの間で埋没している。特に注目を浴びるということもない。
(まずはカーデン様へのプレゼントを探しに行くとしましょうか)
セシリーンは笑みをこぼして、買い物をするために動き出す。何をあげようかと考えて、ぶらぶらと動き回るセシリーン。楽しそうなその様子に一緒についてきた侍女は優しい笑みを浮かべている。
何をあげようかと思考しながら、街を動くセシリーンは、結局日常的に使えるハンカチなどをプレゼントすることにした。
(……現実でカーデン様と会うことは中々ないから、夢の中で言ってからお父様に渡してもらおうかな)
プレゼントを購入したとはいえ、現実ではセシリーンはブラハントと会う予定はなかった。
社交界の場ではブラハントに会うことは出来るし、手紙でもしたためればブラハントは会ってくれるかもしれないが――恐らくブラハントは会ってはくれないだろう。ただでさえ噂が出回っている中でそういう行動をしたらセシリーンの身が危なくなる。
セシリーンもそれを分かっているので、ソドア経由で渡すことを考えていた。
そしてその後は王都の探索を続けた。この前、王都に出かけた時のように侍女や騎士とははぐれないようにしながら見て回る。
またはぐれてしまえば、今度こそこうやってお忍びで出かけることを許してもらえなくなるだろうということはセシリーンにも分かっていた。それに前回のように運よくブラハントがいて助けてくれるということはないだろうから、セシリーンも慎重になっているのだ。
そしてセシリーンは楽しく王都を満喫し、楽しそうに小さく鼻歌を歌いながら王都の屋敷へと戻ろうと貴族街に足を踏み入れる。
その最中の事である。
「ジスアド伯爵令嬢ね」
セシリーンは急に声をかけられて振り向く。
そこにいたのはお忍びのセシリーンとは違って、煌びやかなドレスを身にまとった女性であった。美しい令嬢は、セシリーンよりも幾つか上ぐらいだろうか。
その敵意のある瞳にセシリーンは怯む。
「何か御用でしょうか。……キムア様」
セシリーンは、その令嬢の名を思い出し、そう声をかける。
ほとんど関わった事もない伯爵令嬢。それが目の前にいる彼女である。セシリーンはどうして彼女が声をかけてくるのだろうかと不思議そうな顔をする。
セシリーンの後ろに控えている護衛と侍女は、警戒したようにキムアを見ている。
「……」
キムアは何も言わずにじっとセシリーンの事を見ている。嫌な予感がしたセシリーンは、不作法かもしれないがこのまま踵を返そうと思った。けれどセシリーンがその場から去る事は出来なかった。
セシリーンは腕を掴まれる。
キムアはか弱い令嬢なので、周りの警戒心も薄かったと言えるかもしれない。一瞬の出来事だった。
「貴方が悪いの! 貴方が、カーデン宰相と親しくなるから!!」
――セシリーンは気づけば、そんな声を聞きながら徐々に意識を失っていった。
周りの声が聞こえる。焦ったような声と、怒声のような声。だけどセシリーンは周りで何が起こっているかなど分からないままに、暗闇に包まれた。




