夢渡り令嬢と腹黒宰相の出会い ①
夢。
そう呼ばれるものに人は何を思うだろうか。
眠りの時に気まぐれにみられる不思議なもの? それとも過去の記憶を思い出させる素敵なもの? 何か嫌なことを思い出されるもの? 起きた時には記憶に何もないもの?
夢というものは、人によって、感じ方が違うものである。
人は眠る時に夢を見る。
夢を見ないものもいるかもしれないが、その夢はその人に様々な感情を感じさせるものである。
セシリーン・ジスアドにとって夢というものは特別な意味合いを持つ。
彼女にとって夢とは――彼女の遊び場である。
「お父様!!」
その日も、ジスアド伯爵邸に騒がしくも元気な声が響いていた。その場で働く使用人たちは、その声の主に心当たりがあり、慣れた様子である。
寧ろ今日もうちのお嬢様は元気だなぁと朝の始まりを庭師は考えているほどであった。
貴族令嬢らしくない、ドタバタと屋敷内を移動するその少女の名はセシリーン・ジスアド。
母親譲りの茶色の長い髪を持つ、今年十七歳になったばかりの少女である。刺繍の入った部屋着用の白いドレスを見に纏う。
「セシリーン、どうしたんだい? お父様は逃げないから、もう少しゆっくりこちらへおいで」
「ごめんなさい。お父様。お父様とはやく話をしたいと思って、急いできてしまったの!!」
執務室で仕事をしていた伯爵、ソドア・ジスアドは優しそうな顔立ちをした濃い青色の髪の男性である。娘の言葉が嬉しいのだろうか、その表情は綻んでいる。
ソドアはセシリーンの事を椅子に座らせる。セシリーンはその黄色い瞳を好奇心旺盛に輝かせ、父親の事を見つめている。
セシリーンは伯爵令嬢という立場だが、大変に好奇心旺盛で、元気な性格をしていた。
「セシリーン、仕事が一息ついたから話していいよ」
「あのね、お父様、今日ね!! 夢の中でね、楽しい夢を見たのよ。その夢の中でね、フッガ男爵が奥さんと仲よくしていたのよ。やはり仲よくしている様子を見るのは楽しいわね!!」
「……他の貴族の夢を覗く場合は気を付けるんだよ。私はセシリーンの力に助けられているけどね。それでも心配だからね」
「ふふ、大丈夫よ。お父様。私、ちゃんと、姿を変えているもの!!」
セシリーンはそう言って、にこやかに微笑んだ。
自信満々な様子に父親であるソドアは心配そうな表情だ。
この世界には魔法と呼ばれるものがある。人々が魔力を持ち、火を熾したり、水を沸かしたりといった奇跡を起こすことが出来る。
そしてその魔法の中でも固有魔法と呼ばれるものがある。――それは限られたものだけが固有で使える魔法である。
「お父様も知っているでしょう。今まで私が夢渡りの魔法で誰かにバレることなかったでしょう?」
セシリーン・ジスアドは自分の魔法の事を、『夢渡り魔法』と称している。
それは自分が寝ている間に、人の夢を見に行く能力である。その能力をもってしてセシリーンは人の夢に渡っている。そこで手に入れた情報は両親にだけセシリーンは語っている。
そこで手に入れた情報がソドアの仕事に役立っている。
「それはそうだが……。なんにせよ、用心に越したことはない」
「はいはーい!! お父様の言う通りにします!」
セシリーンは元気な声をあげる。その様子はとてもじゃないけれど貴族令嬢には見えない。それだけ天真爛漫な様子を見せるのがセシリーンという令嬢である。
セシリーンはそのまま元気に自分の部屋へと戻っていった。
「セシリーン様、本日はどうなさいますか?」
「んー、今日は部屋でゆっくりするわ! だからイッポリタ!」
「はい。心得ております」
イッポリタはセシリーン付きの侍女である。年は三十代後半ぐらいだろうか。セシリーンが小さな頃から側付きとして仕えてくれている茶髪の女性である。
イッポリタはセシリーンの言葉に頷くと、セシリーンの部屋に使用人も入る事がないようにと言いつけをする。
イッポリタは長い付き合いだというのもあり、ジスアド伯爵からも信頼を得ているため、夢渡り魔法について知っていた。人の夢に入り、その人の夢の情報を手に入れることが出来るその能力は色んな使い勝手のある魔法である。
そのことを本人も両親も把握しているため、その魔法を使えることは基本的に秘密である。この屋敷内でも限られている者しか知らない。
基本的に身体を動かすことが好きなセシリーンが部屋にこもっているのは、大体、夢で得た情報について考えている時である。自分の部屋というパーソナルスペースにいれば、人は油断してしまうものである。
外で夢で手に入れた情報を漏らさないようにと幾らセシリーンが気を付けていたとしても、自分の部屋だとポロリと零してしまうことがある。以前、やらかしてしまいそうになったことがあるため、基本的に人払いをしている。
セシリーンの部屋は、本棚や天蓋付きのベッドが置かれている白を単調とした部屋である。
本棚におさめられているものは、母親から読むように言われた刺繍の本や、父親からもらった歴史の本である。自分で集めた本というのは案外少ない。というのもセシリーンは家で大人しくしているよりも、活動的に動く事の方が好きだからである。
セシリーンは自室のベッドに横になる。そして思い起こすのは、これまで見てきた“夢”についてである。
あの人の夢は楽しかった。あの夢は面白かった。あの夢は怖かった。――そういうことを思い起こす。
昨日寝ている間にお邪魔した夢は、フッガ男爵の夢で、夢で仲睦まじい様子を見せ、奥さんのことが大好きな様子にセシリーンはほっこりした気持ちになったものだ。
ちなみにセシリーンはうら若き十七歳であり、結婚適性年齢であるため、社交界に適度に顔を出して相手を探している。恋愛経験はない。とはいえ、夢を渡り、沢山の夢を覗き見しているため、恋愛事情にそこそこ詳しかったりするが。
「ふふふふ~ん♪」
夢の事を思い起こして、セシリーンは楽しそうに鼻歌を歌う。それは音程が少しずれており、拙いものである。音楽が教養の一種とされている貴族社会では披露すれば褒められたものではないだろうが、心から楽し気な笑みに聞いているイッポリタは毎回癒されている。
セシリーンは、社交界の場ではまだ取り繕っているが、基本的には家ではバタバタと動き、元気に歌を歌い、庭を駆け回るといったお転婆な令嬢である。
しばらく夢について思い起こして部屋で大人しくしていたものの、すぐに退屈になったのか起き上がり、セシリーンはイッポリタに指示を出して、外に出るための衣服へと着替える。外に出るための衣服とはいっても、貴族令嬢が着るような高価な動きにくいドレスではない。街娘が着ていてもおかしくないような簡素なワンピースだ。
これを着てセシリーンが何処にいくかといえば、街である。このおてんば娘は、外によく行きたがる。幼少期に勝手に抜け出したこともあるため、ソドアも条件を付けてそれを許すようになっていた。