表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/15

作者さん縄文・弥生時代の日本人をナメてない?

 この作品を書いている内に古代史に興味を持ち古代遺跡や博物館に足を運んだ所、意外と縄文・弥生時代の文化は発達して居る事が分かりました。


 住居は竪穴式ですが食物倉庫は高床式ですね。驚くべき事に石を削り出した石を組み、そこに柱をはめ込んで盛り土をする方針が取られていました。建物を建てる際にはちゃんと基礎工事しているんですね。その倉庫も木に凹凸を付けて互い違いに組み合わせると言う、釘を一本も使わない神社仏閣の建築の原型となっています。


 東海・近畿地方ではモース硬度が鉄より硬い石が取れます、日本で本格的に青銅器や鉄器が作られるのは西暦500年位からと言われていまして、中国は3000年前から鉄器を制作しているのに文化的に劣っているなと今まで思っていましたが、そこらへんで取れる石が鉄より硬いのであれば作る必要が無かったのですね。


 そして、奈良の弥生時代の遺跡からは福岡県産の土器が発見されています。

 古代に有った奈良湖から大和川を下り大阪から瀬戸内海を通じて九州まで行く交易ルートが存在しています。日本の古代の船は丸太をくり抜いた丸木船と言われた、縦6m幅1m未満の手漕ぎボートだと言われています。そんなもので割れ物を運ぶなんて正気の沙汰では有りませんね。そして何より非効率です。


 本州に有る杉の木がどの位まで成長するか分かりませんが、屋久島に有る縄文杉のレベルまで成長するので有れば現在の漁船位の大きさの船は作れ、海を使った交易路も現実的味を帯びてきますね。


 天孫降臨の伊勢起源説ではニニギ尊は石で出来た船で来たとなっていますが、木を加工して松ヤニなどで貼り付け石灰石を加工した漆喰の様な物で防水加工したら、見た目的には石で出来ているように見えますね。なおこの工法はミクロネシアやポリネシアで存在します。こちらで使うのはサンゴや貝を砕いた石灰質の物と粘土を合わせた物を塗る方法ですが、日本人の起源の一つに台湾やニューギニア辺りから世界中に広がって行った一族がいたらしいので、上記の人達とは同祖の可能性が有り造船技術が伝わってるかもしれないのですよね。


 屋久島には樹齢8000年を超える杉が現存するので、紀元前でもそれなりの太さの杉が有り木を張り合わせた船を造る必要は無さそうですが……


 なお、沖縄の博物館の調べでは、沖縄県で作られた貝を加工した装飾品が縄文時代には海を渡り北海道の最北端に近い礼文島から出土しています。さすがに個人では無くリレーの様な形での伝播でしょうが、少なくとも日本国内の流通は縄文期には確立されていますね。


 古代の遺跡からは貝や動物の骨を筆頭に宝石やガラス製品まで多くの装飾品が出土しています。古代人は結構オシャレというか、装飾品を買う余裕があったんですね。俺装飾品の類は買った事がないぞ? だとすると今の俺より文化的な生活を古代人はしていた事になるなwww


 少なくとも装飾品と物々交換をする余裕が日本には有ったと推測される。これは日本国内だけでは収まらず古代から多く来ていた中国人と青銅器との物々交換にも使われる。古代から中国人は日本に来て爆買いして帰っていたんですね。この時代の日本にマツモトキヨシは存在しないぞ? 何を買って帰ったのだろうか?


 魏志倭人伝によると絹と砂金が邪馬台国の主力商品となりますが、日本で金の装飾品は出土したと言う話は余り聞きませんね。金は全て輸出して居たのだろうか?


 なお、この海外から来た人たちはそのまま日本に移住している人も居ます。出雲風土記ではスサノオは半島方面から流れ着いたとされています。その集団は広く日本海側に分布し東北の方言で知られるズーズー弁は島根県や福井県でも痕跡が有るようです。


 また出雲には時代の特定出来ない金属加工の施設跡が残されていてスサノオの子孫は金属加工を得意とした一族だと推測されます。青銅器の生成は古墳時代からと言われていますが、弥生時代の遺跡から金属加工の後が出土しています。これは恐らく採掘技術の問題だと思われる。国内での銅や錫を掘り出す技術が確立して安定して生産出来るようになったのが古墳時代なのでしょうね。それまでは主に中国からの輸入品でした。


 日本で出土する青銅器を全て輸入に頼っていたとすると代金が半端ない事になるな。中国で日本産の土器や細工品などの工芸品が出て来た話は聞かないので金で取引していたとすると相当な量が当時から海外に流出していたのだろうか? 中国は約4000年前に存在した夏王朝の頃から青銅器を作って居たので黒曜石に代表される石器の類の輸出は絶望的である。残るは絹糸になりますが、実は養蚕を開始したのは天照大神だと言われています。


 作中では主人公の発案で始まっていますが、日本神話を紹介するには少し早まった気がしますね。

 日本の神様には子孫が現存するので実在の人物の可能性が高い、常識的に考えて中国との距離を考えると高天原は北九州の何処かとなってしまいます。更に言うので有れば養蚕の技術は中国から伝わり、蚕を育てるのに日本の気候が適していたのでは無いのではと推測します。不覚的要素の強い砂金で取引するよりも、絹糸の方が安定して物々交換ができそうです。


 日本神話ではアマテラス・スサノオ・ツクヨミは兄弟となっていますが、創造神で有るイザナミが顔を洗ったら出来たのがこの三人なので、作中の血のつながりは無いとします。現実的に考えてツクヨミの一族はどの一族なんでしょうね?


 海外から日本に入るには大きく分けてみっつのルートが有ります。台湾から沖縄本島を抜け鹿児島に抜けるルートと、朝鮮半島から北九州や日本海側に広まったルート、凍結した海を渡ってロシアから北海道に渡るルートですね。


 消去法で考えるとツクヨミはロシアから北海道から東北地方に分布した一族となります。ツクヨミとスサノオには口や尻から出された食事を出されて、こんなものが食えるかと相手を切り殺す話が日本書紀と古事記に書かれています。これは農耕民族が畑に人糞を巻いていたり、口噛み酒を飲んで居たからではないかと言われていて、神話ではこれが原因でアマテラスとツクヨミは兄弟喧嘩をして分かれて生活する事になります。


 同様の話が有るのでスサノオとツクヨミは同じ文化圏か、少なくとも日本の農耕文化を理解しない一族となり渡来人の可能性が高い。更に天孫降臨の前に日本には猿田彦に代表される国津神が存在し、これが縄文人だとすると天照大神も渡来人となってしまいます。そしてアマテラスと二人の弟は仲が悪い、つまり文化圏が違うとすると沖縄経由で日本に渡来して鹿児島や宮崎に来た一族にアマテラスが居たのかもしれない。


 この作品は伊勢起源説を採用しているのに九州起源が濃厚になってしまった。沖縄方面から来た人には潮に流されて高知県・和歌山県・千葉県に分布したのが遺伝子情報で解明されているので、三重県に来た可能性も少しは有るぞ。史記に猿田彦が伊勢の出身だとハッキリと明記されているので希望は有るかと思われる。


 天孫降臨の伊勢起源説を現実的な解釈をすると、船旅をしていたニニギ尊は嵐にあったか潮に流されて三重県の鈴鹿市に流れ着き猿田彦と出会います。そしてどうにか故郷に帰れないかと相談した所、猿田彦が九州まで送ってくれる事になり宮崎県までたどり着き、後にそこで綺麗な姫様と出会い住居を構えたとなりますね。言語の問題も考えると祖が同じで漁業を中心とする一族とは言葉が通じた可能性も有り現実味を帯びてきますね。


 作中の天照大神は架空の人物として紹介して居て、直系の子孫はラスボスとして九州から攻めて来るので、主人公と初代天皇に血の繋がりが無い以外は話の辻褄は一応あっているな。これは尺の都合と主人公の世代交代を上手く行った作品を見た事が無いと言う個人的な理由です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ