僕はロボットにお礼を言う
僕はロボットにお礼を言う。
洗濯をしてくれた時とか、掃除をしてくれた時なんかに。そのロボットは、元々は祖母の介護の為に買ったもので、祖母が介護のお礼をそのロボットに言っていたものだから、なんとなく、そのロボットを貰い受けるのと同時にその習慣も引き継いでしまったのだ。
ロボットにはお礼に対して「どういたしまして」とそう返す機能がついている。それを受けても、まぁ、何も感じない。自動販売機でジュースを買った時に「ありがとうございました」と言われるのと似たようなもんだ。だからなんでそんな事を続けているのかは分からない。
変かな?と自分でも思わないでもない。ま、でも、一度根付いた習慣ってのはなかなか消えないもんで、僕はやっぱりロボットにお礼を言い続けているのだけど。
ある日の職場の飲み会で、僕はその話をなんとなく皆にしてみた。すると、それを聞いた一人からえらく馬鹿にされてしまった。
「お前、そりゃアニミズムってやつだぞ。物に魂が宿っているって錯覚しているんだ」
僕としてはその言葉は心外だった。そんな大袈裟な気持ちでロボットにお礼を言っている訳じゃない。
「そうかな? でも、感謝の言葉を述べるってのは、そんなに悪いことじゃないと思うけど」
「何言ってるんだ? 相手はロボットだぞ? ロボットなんかにお礼を言ったって、何にもならないじゃないか。ロボットなんかを人間扱いするなんて馬鹿馬鹿しい。あいつらは人間に奉仕して当然の道具なんだぞ?」
確かに一部には、ロボットを半ば擬人化して「ロボットを大切にしましょう」とか言っている人達もいる事はいる。まぁ、そういった人達は、彼が言うのと似たような感じで侮蔑の対象になる場合も多いのだけど、僕が言っているのは、そういうのとはまた違うんだ。ただ、それを説明しようと思っても上手く言葉にできなくて、僕は結局諦めてしまったのだけど。
ところがだ。それからしばらくが経って、こんなような事が言われ始めたのだった。
「ロボットを乱暴に扱うのは、情操にとってよろしくない。そういう人は、人間に対しても乱暴に接するようになってしまう」
それが本当かどうかは分からない。けど、世間の皆は意外とその話を信じているようだった。それで僕がやっているようにロボットに対してお礼を言うのも別に変な風には思われなくなっていったんだ。
「自分をえらいと勘違いしないようにする為には、ロボットにお礼を言うくらいがちょうど良いのかもしれない」
なんて感じで。
だけど、先に書いた飲み会で僕を馬鹿にして来た奴はその考えを真っ向から全否定していたのだった。やっぱり以前と同じ様に「ロボットに礼を言うのなんて馬鹿馬鹿しい」と主張している。
ロボットに感情があると思って、ロボットにお礼を言うのは確かにある意味じゃ馬鹿馬鹿しいかもしれない。ロボットを人間扱いしているとそう思う。でも、その反対に頑なにロボットにお礼を言うのを拒絶するのも、やっぱり同じ様に人間扱いしているような気が僕はする。
ロボットを上下関係で捉えているからこそ、そんな風に下に見る感情も芽生えるのだと思うから。
そして、彼のそんな“ロボットを見下す発言”は、やがて彼に実害を与え始めてしまったのだった。
「ロボットを乱暴に扱っているから、部下や後輩の扱い方も乱暴なんだ」
彼はそんな風に言われるようになってしまったのだ。つまり“パワハラ上司”のレッテルを貼られてしまったって訳だ。
そして本当に彼がそんなに強いパワハラを行っているかどうかを僕は疑っている。“確証バイアス”って心理現象がある。先入観を持って何かを見ると、人間はその先入観に基づいてそれを評価をしてしまうものなんだ。「ロボット乱暴に扱っているから、乱暴者」というその先入観が、彼の何でもない行動をパワハラに見せているのかもしれない。
それに、仮に彼のパワハラが本当でも、“ロボットを乱暴に扱っている事”が原因ではないのかもしれない。それは彼の元々の性格でむしろ逆にそんな性格だからこそ、彼はロボットを乱暴に扱ってしまうのかもしれない。或いは、それらは相互に影響し合っているのかもしれないけれど、どうであるにせよ、真相は不明だ。こーいうのは、そんなに簡単に結論を出せないんだ。
ただ、何にせよ、彼は職場で問題視されてしまっている。そしてそれでもまだ「ロボットにお礼を言うの何て馬鹿馬鹿しい」とそう言い続けている。
何が彼をそこまで頑なにさせているのかは分からない。
今日も僕はロボットにお礼を言う。
それが自分でも無自覚の内に、僕の情操の役に立っているのかいないのかは分からないし、それがロボットを人間視する行為なのかどうかも分からないけれど。