1章-6
翌朝目が覚めると、すでに日は上っていた。少し寝坊してしまったらしい。
服を着替えて一階に下りる。なんだかまだ慣れないな。他人の家に泊まった気分だ。
えっと、今日の予定は何だっけな。
僕は顔を洗いながら一日の予定を整理するのが日課だった。洗面所の蛇口から出したお湯を桶に貯めてそこに顔を突っ込む。
今日は二階の部屋の整理と洗濯をしたいな。あと、僕の分の食料も買ってこなくちゃ。あれ、なんか忘れてるな。なんだっけ。
さすがに息が続かなくなって、一旦顔を上げる。荒い呼吸をしながら水を滴らせている自分の顔が鏡に映っていた。その背後にキリサキさん。
「うおおおおおお!!」
「あひゃひゃひゃ」
本気で驚いて飛び上がった僕を見てキリサキさんは変な笑い方で爆笑していた。本当に気配も音もない。朝から心臓に悪い人だ。
「お、おはようございます。何か用ですか」
尻餅をついてしまったのが恥ずかしくて、俯きながら起き上がると、目の前にタオルが差し出された。ありがたく受け取って顔を拭く。
「何か用か、じゃないよ。依頼だよ。お仕事の時間だよ」
「え、依頼きたんですか? いつ?」
「さっき。ていうか、昨日予告しといたじゃないか」
ああ、何か忘れてると思ったら、それだ。大事な依頼を忘れかけるとは、探偵失格である。
「まあ、この依頼は定例業務というか、いつものことだから。ちゃんとやらなきゃ駄目だけど、失敗しても命に別状はないよ」
「は、はあ」
命に別状がある仕事が気になってしょうがないんですが。
「じゃあ、準備ができ次第出発するから、事務所に来てね」
キリサキさんはそういうと洗面所から出て行った。
どうやら少し急ぐらしいので、僕は手早く顔を洗って歯を磨いて、キッチンで一杯のコーヒーを胃に流し込しこみ、事務所として使われているリビングの椅子に座った。準備完了である。
「よし、じゃあ、これを君に」
キリサキさんに渡されたのは小型の工具箱のようなものだった。少し重い。
金具でロックされた蓋を開いてみると、中には様々な工具やルーペ、ペンライトに定規まで、様々なものが入っている。
「それは探偵24道具だ」
多いな! そこは普通七つ道具だと思う。
「それは君の父親であるリュータローが使っていたものさ。全部を携帯しておく必要はないけど、ペンライトぐらいは携帯してて困らないと思うよ」
「へぇ、これが」
僕が工具を手に取ってみたりして調べていると、いきなり頭にガボっと何かをかぶせられた。
「ん? ヘルメット?」
「時間がないんでね。ちょっと飛ばすよ」
「え?」
屋敷から出て庭の方に行くと、昔僕が来たころには無かった大型の物置が置かれていた。これのせいで、庭の面積は本来の2/3ほどになってしまっている。
キリサキさんがポケットから出した鍵で物置の扉を開けると、中には深紅のバイクが置かれていた。後でキリサキさんに聞いたところ、[Honda DN-01]という車種らしい。
物置から出したバイクにまたがりフルフェイスヘルメットをかぶったキリサキさんが「ほら、後ろ乗って」とせかす。
バイク二人乗りとか、初めてだし緊張するなぁ・・・
「アタシにつかまってれば落ちはしないよ」
「は、はい・・・」
というわけで、跨ったは良いけど、これ、どこにつかまればいいんだ。当然目の前というか、僕の数センチ前にキリサキさんが座ってるわけなんだけど、肩を持ったら危なそうだし、脇腹なんてもってのほかだし腰はその、なんか駄目な気がするし。うーん、でもドラマや映画では腰のあたりに手を回してるよな。でも、それじゃちょっと密着しすぎなんじゃ・・・・・・
「よし、フルスロットルだ!」
キリサキさんがそういった瞬間、エンジンが唸りを上げて、バイクが急加速した。
「うわわ!」
慣性の法則で後ろに吹き飛ばされそうになって、僕は慌ててキリサキさんにしがみつく。うわ、なんだこれ細いな・・・あ、柔らかい。
一瞬、その幸福な触感を楽しんだ僕だったが、直後に襲いかかる強烈な遠心力と、加速によるGに耐えるのに必死で、次に気が付いたときにはすでに目的地に到着していた。途中の記憶はない。
「よし、間に合ったな・・・って大丈夫かい? 一応エチケット袋あるけど」
「だ、大丈夫です、なんとか」