1章-1
「って、ちょっと待て。はぐらかされそうになったけど、そもそもあなたは? どうやってここに?」
僕がそう聞くと、その女性は自分のポケットをまさぐり、鍵を取り出した。僕が持っているこの屋敷の鍵と同じもののようだ。
「アタシの名前は霧崎。霧崎明音だ。キリサキと呼んでくれて構わないよ」
「あ、どうも、秋風流一です・・・」
って、それどころじゃなーい!
つられて名乗ってしまった自分自身にツッコミを入れる。
「それで、えっとキリサキさんはいったい父とどういう御関係で?」
ここのカギを持っているのは父さんの関係者しかありえない。はずだ。
「どういう関係だと思う?」
質問に質問で返された。うーん、さっきも推理して見ろとか言っていたが、推理するには情報が足りない。というかわからないから質問しているのだ。とっとと答えてほしい。
「・・・仕方ない。答えてあげよう」
僕が困ってるのを感じ取ったのか、単に飽きたのか、キリサキさんはそういって机の引き出しからごく自然にナイフを取り出した。
・・・ナイフ? あれ、おかしいな。見間違いだろうか。いや、あの金属的な輝きはどう見てもナイフだ。
えっと、なんでここでナイフが出てきたんだ?
「ふん、どうも君は緊張感が足りないね。得体のしれない人間が目の前でナイフ抜いたんだよ? もうちょっと驚いたらどうだい?」
キリサキさんはそんなことを言う。どうだい? って言われてもな・・・
「え、えーと、ちょっと状況が理解できないんですけど」
「ああ、そうか。君はキャパを超えると思考が止まるタイプか」
ぼそっとキリサキさんが呟くのが聞こえた。
何なんだ? この人。何考えてるのかさっぱりわからない。父さんの知り合いだと思っていたけど、ただのやばい人なのかもしれない。
「あの、何だか知りませんけど、そろそろ警察呼びますよ? 不法侵入だし」
僕は少し大きな声で言いつつ携帯端末をポケットから取り出そうとした。
「おっと、それには及ばない」
ひゅっと風を切る音が右耳の近くでしたかと思うと、直後にドスッと鈍い音が背後でした。
驚いて振り返ると、さっき僕が入ってきた木製のドアに、ナイフが一本突き刺さっていた。
え? なんだこれ、最初から刺さっていたのか? いや違う。そのナイフには見覚えがあった。さっきまでキリサキさんが持っていたものだ。
改めてキリサキさんに向き直る。キリサキさんはさっきとは別のナイフを持っていた。
「お、やっといい顔になったじゃないか。さて、ようやく状況を理解したかい?」
僕は一歩後ろに下がる。
「無駄だ。君がこの部屋を出るまでに、アタシは三本のナイフを投げられる」
・・・ここは、逃げちゃだめだ。慎重に言葉を選ばないと・・・・・・
「・・・わかりました。あなたの話を聞きましょう」
「うん、いい判断だ」
キリサキさんが椅子から立ち上がり、そして僕の方へとゆっくり歩いてくる。
「だが、アタシはその提案を拒絶する」
キリサキさんが一歩近づくごとに僕も一歩下がる。しかし、すぐに背中がドアに当たってしまった。ドアを開けてその先に進むには、背を向けなければならない。
何かないのか、この状況を打開する何か。その時視界の端に黒いものが映った。さっきキリサキさんが投げたナイフの柄だ。僕の頭の少し右のほうに刺さっている。手を伸ばせば簡単に届くだろう。いや、待て流一。ナイフをあんな風に投げてくる人間にこのナイフ一本で戦えるのか? いや、そもそも戦うのか?
どんどんキリサキさんは近づいてくる。もう3メートルぐらいしかない。
やるしかないのか?
その時、あることに僕は気が付いた。
「キリサキさん」
僕は彼女の名前を呼んだ。
「ん? なんだい?」
キリサキさんは立ち止まる。
「そのナイフ、おもちゃですよね」
そう言いながら僕はドアからナイフを引き抜く。
同時にキリサキさんも動くが、僕はお構いなしに、抜いたナイフをキリサキさんに突き付ける。
キリサキさんは、僕のセリフに一瞬動揺したのか、少し反応が遅れた。その結果、僕の方が一瞬早かったのだろう。僕の首元を狙っていたであろう一撃は、30センチほど離れた場所で止まっていた。
カランと軽い音がして、キリサキさんが握っていたナイフが床に落ちた。金属製のナイフではこんな軽い音はしない。確かに見た目は派手で、金属のような光沢をしていたが、金属光沢ぐらい塗装すればなんとでもなる。
「どうしてそう思ったんだ?」
「あなたが投げなかったからですよ」
本当に殺すつもりなら何のことはない。最初の投擲で彼女は簡単に僕を殺せたはずだ。でも彼女はそうはしなかったばかりか、もう一本は投げようとせず、あえて接近してきたのだ。
それは手持ちの武器が他になく、しかも投げられないものだったから。そう考えると、彼女の持っていたナイフは装飾過剰で非常に安っぽく見えた。
「・・・・・・ふっふふ」
一瞬沈黙したキリサキさんは不気味な含み笑いを漏らした。
「なるほど。合格だ」
直後
「あ!」
僕が止める間もなく、キリサキさんは僕の腕を掴み、切っ先をキリサキさんに向けたままだったナイフを、自分の腹に突き立てた。
ぶしゅっという嫌な音と共に、キリサキさんが着ていた紺色のセーターがどす黒く染まっていく。
「あ、あああぁ・・・」
キリサキさんが苦痛をこらえるような声を絞り出す。口元は吐血したのか、血だらけになっていた。
「あ、あは、は、次は、君の、番だ」
「うわ、ああああああああああ!」
キリサキさんは血だらけになった手でずるりとナイフを傷口から引き抜く。
僕は必死でドアを開けて部屋の外に飛び出した。振り返ると血だらけになったキリサキさんがゾンビのように、足を引きずりながら僕の方に歩いてくるところだった。
なんなんだよこれ! もうわけわかんねーぞ! この屋敷だけバイオハザードなのか?!
「ああ、あああ、あ・・・・・・あわ!」
ゾンビのようにゆらゆら近づいてきていたキリサキさんが急に大きくよろけた。
そのまま盛大に頭からすっ転ぶ。
「うべっ」
あ、顔を床にぶつけた。痛そう・・・
って、それどころじゃなかった!
キリサキさんが片手で鼻の頭を擦りながら、ゆっくりと起き上がる。
「うわ、危な! 自分で持ってたナイフで心臓串刺しになるところだった・・・」
よく見るとキリサキさんが倒れたあたりの床に、血まみれのナイフが転がっていた。ナイフというか、刃物持ったままコケると危ないよね。
って、だからそれどころじゃないんだよ!
お腹の傷は!?
「あ、ごめんごめん。今やり直すから、ちょっと待ってくれ」
そういうとキリサキさんは一度目を閉じてから、見開いた。
「さあ、言い残すことはあるか・・・・・・」
「いやいやいや、待って。ちょっと」
「え、何? 今いいところなんだけど」
いいところじゃねーよ! やっぱり演技だったのかよ!
1章5万字を予定してます。3章構成です。