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第一話:鉄仮面のルイと肉じゃが その一

 鉄仮面ルイ。このムビンダ大陸で最も恐れられる冒険者。

 凶悪なクシュ人の奴隷商人たちや、北部沿岸を支配する海賊たちですら、この無表情の女剣士の名を聞けば震え上がるという。

 そんな生ける伝説を目の前にして、宿の主人はブルブルと震えていた。


「おうおう、黙っていちゃわからないだろうがよ」


 ルイの奴隷と思われる三人の戦士が主人にすごんだ。

 一人は大きな身体をしたライオンの獣人。グルカ・ジンバという種族だ。黄金色の立派なたてがみを揺らし、牙をむき出して威嚇する姿はとても恐ろしい。

 もう一人は漆黒の肌をしたクシュ人の戦士だ。獣人にくらべて一回り小さいが、しなやかな筋肉は芸術品のように美しく、その眼はムビンダ最強部族のクシュ人らしい獰猛さを秘めているのが、宿の主人にははっきりとわかった。

 最後の一人は褐色の肌をした女の子だ。東の薔薇砂漠の出身だということは分かるが、フードに隠された顔から表情は窺えない。身長は小さく、子供のようだ。だが二人の大柄な戦士に並んで、こんな小さな女の子が戦えるはずがない。この子も恐るべき力を持ったルイの奴隷に違いないのだ。


「ひ、ひぃぃぃ」


 あ、やばい、おしっこもらしそう。宿の主人は涙目で彼のかみさんである給仕に視線を送るのだが。


「あ、そろそろ買い出し行ってくるわね」


 そう言って、最後の頼みの綱はあっさりと、主人を見捨てたのだった。先月三丁目のヤスミーンと浮気したことをまだ怒っているのか。


「お、お許しを……」

「だからこの料理はなんだって聞いてんだ!」

「は、はい! ご注文の牛肉とジャガイモのスープです!」

「姐さんが頼んだのは、牛肉とジャガイモと玉ねぎを、塩と酒で煮て、味をしっかり染み込ませた料理だ! だがなんだこりゃ、さっぱり味がしみ込んでねーじゃねえか!」

「あ、味が染み込むというのがよく分からなくて……」

「てめえが自信のねえ料理を出したのか!」

「ひぃぃぃ、申し訳ございません!」


 獣人に肩を揺さぶられ、主人は首をガクガクと揺らしていた。首がとれてしまうのではないかとその光景を見ていた他の客は思ったほどだ。


「もういい」


 表情を変えずに座っていたルイが言った。


「で、でも姐さん」

「いくぞ」


 壁に立てかけていた自分の背丈ほどもある大振りのカタナを背負うと、ルイはテーブルに銀貨を置いた。


「お、お代は結構なんで……」

「てめえ、姐さんに食い逃げやれってのか?」

「ひぃぃぃ、ご利用ありがとうございましたぁぁ!」


 四人の冒険者が出て行ったあと、主人はへなへなと床に座り込んだ。


「お、おいら生きてる。生きてるぞ」


 拍手喝采。あの恐ろしいルイに難癖つけられながら、この主人は生き残ることができたのだ。シンバ(ライオン)に襲われながら生き残ることより難しい偉業だ。


「ありがとう! ありがとう!」


 客達の拍手に感極まった主人は、つい調子にのって酒を一杯ずつ客におごってしまう。きっと後でかみさんにどやされるに違いない。


 その風景を楽しそうに眺めていた少年がそこにはいた。歳は十四歳。大きなリュックを背負い、重そうな金色の鍋をリュックにぶら下げている。

 一見すると黄金に見えるかもしれないが、よくよく見れば、その輝きは真鍮の輝きに近いことが分かる。


「坊主にも一杯おごってやるぞ! エール酒がいいか? それともぶどう酒か? 酒が飲めないならデーツジュースもあるぞ!」


 デーツというのはこの地方で見られるナツメヤシの果実のことだ。とても甘く、砂糖の原料にもなる。


「ありがとうおじさん。じゃあデーツジュースをもらおうかな」


 少年の前に出されたものは、潰したデーツをヤギの乳に混ぜたものだ。飲んでみると、酸味のあるすっきりとした甘さが口の中に広がった。


「うん、美味しい。これがデーツなんだ」

「なんだい坊主、デーツを食べたのは初めてなのか?」

「初めてだよ。こんなに甘い果実が簡単に手に入るだなんてすごいね」

「おう、デーツはこの町の特産品だからな」

「そういえば、さっきのルイって人は有名人なの?」

「坊主、鉄仮面のルイを知らねえのか?」

「実はついさっき、この街の港に着いたばかりなんだ」


 宿の主人はあらためて少年の姿を見た。その白い肌は、少年がこの大陸の出身ではなく北の大陸からやってきた証だ。髪は栗色で少し癖がある。背は小さく、どちらかといえば華奢だ。

 服は布と革を組み合わせた頑丈な旅人用の服だ。肩に着けられているマントは火地竜ファイヤドレイクの革を使った水を弾く高級品だ。

 ははーん、こいつはどこかの貴族の放蕩息子と見た。そう宿の主人は考えた。普段ならよいカモだと高い料理をふっかけるところだが、今日は機嫌がいいのだ。高くて美味い料理をふっかけるとしよう。主人はニヤニヤと笑いながら言った。


「坊主、ここに来たからにはアバダのステーキを食わないと損だぜ!」

「アバダ?」

「二本の角を持つイノシシの体毛を持った馬の肉だ」

「この大陸の魔獣なんだ」

「なかなか手強い上に、角には癒しの力があって群れでいる間はとても手出しができねえ。群れからはぐれたやつを狙うしかねえ。だから普通は手に入らねえんだが、運がいいことに今日はそのアバダの肉が手に入ったんだ」


 嘘は言っていない。ただアバダの肉は癒しの力が残っており、腐敗しにくいため言うほど珍しくないという点を伝えていないだけだ。高級品であることに違いはないし、料理の値段もぼったくりというほどではない。

 先ほどひどい目にあったというのに、宿の主人はすでにいつもの調子に戻っていた。この大陸の住人は、彼のように陽気なものが多いのだった。


「うーん、美味しそうだね。でも今はそれより、さっきのルイって人のこと教えてよ」

「あ? ああそうか、いやいやすまんな」


 主人はテーブルの反対側に座ると、自分も酒を飲みながら、四年前に現れた鉄仮面のルイについて話し始めた。


「鉄仮面のルイは、大陸の東側……ここから見たら南東だな。そっちで暴れていたらしい冒険者だ」

「冒険者っていうと、帝国と同じイメージでいいのかな?」

「レオンから来たのか。ああ大体一緒だな」


 このムビンダ大陸でも、冒険者の扱いは北のレオン帝国とそう変わらない。専門知識を持ったフリーのエージェント。乱暴に言えばそういう立場だ。依頼がなくても、財宝を貯めこんでいる盗賊やクリーチャーの潜むダンジョンを攻略し、財宝を得たり、前人未到のエリアを探索し作成した地図を売ったりもする。


「鉄仮面のルイにまつわる噂はいくらでもある。奴隷商人たちを壊滅させたとか、圧政を敷いていた王をぶん殴ったとか、暴れまわっていた溶岩竜マグマドラゴンを単身討ち取ったとか。まあ凄腕冒険者にはよくある噂……なんだが、ルイの恐ろしいところはそれらがすべて事実だということだ」

「へえ!」

「実際、ルイの首には南東の国の王たちから賞金がかけられている。これがルイの伝説を証明しているんだよ。そして多くの賞金稼ぎに狙われているというのに、ああやって襲ってくる刃を歯牙に掛けることすらせず旅をしている。恐ろしいやつだ」


 ぶるりと亭主は震えた。


「鉄仮面の二つ名は、ルイが一切表情を変えないまるで仮面を被ったような女だからついた名だ。人を斬るときも眉一つ動かすことはない。それが鉄仮面ルイだ」

「ふーん、それはすごいな」


 少年は興味深いと言うかのように頷いている。


「悪いことはいわんよ坊主、あの女に近づいちゃいけねぇ」


 言い含めるような亭主の言葉に、少年は曖昧に笑って頷いた。

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